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「キリンのひづめ、ヒトの指」郡司芽久さんインタビュー 生き物に「ざんねんな進化」なんてない!

解剖すると動物の生きる姿が見える

――ご専門の比較解剖学とはどんな学問ですか? 「病理解剖学が『死の理由』を探る学問ならば、比較解剖学は体に刻まれた『生きる仕組み』を探る学問だ」という言葉が印象に残りました。

 やっぱり解剖学というと、みなさんドラマなどの影響で、どうしても病理解剖学をイメージすることが多いと思います。病理解剖はその名の通りで、なぜ死んでしまったのか、どんな病変があったのかを調べるための解剖です。

 一方で比較解剖は、いろんな動物の体の構造を見比べることで、どういう生活スタイルや行動に適した体を持っているか、進化の過程で体の構造がどういう風に変化してきたかを研究します。例えば、キリンの長い首はどのように動く構造なのかを調べたり、パンダの手に竹をつかむのに適した構造があるかを調べたり、といった感じです。

 ユニークな特徴を見つけて、それがどういう行動に役立っているかを調べるのが一つの大きな目的です。なので、どんな風に生きてきたのか、その生き様を調べていくんですね。

――そもそも進化とは何なのでしょう?

 実は進化って、多くの方が思っているよりも少し難しい概念なんですよね。進化は日常生活で使う一般用語じゃないですか。「大谷翔平が進化した」「ポケモンが進化した」みたいに使われます。「発展する」「すごくなる」など、前向きな変化のことを言いますね。でも生物学において進化というのは、どちらかというと変化に近いような意味合いです。

 生き物は、同じ種であっても、みんながみんな同じというわけではありません。それぞれちょっとずつ異なっていて、そしてそうした特徴のいくつかは、自分の子どもにも引き継がれていきます。ある特徴がその環境の中で生きるのに有利だったときに、その特徴を持った個体がどんどん増えていくことがあります。生きるのに有利な特徴をもつ個体は長生きができたり、たくさん子どもを残せたりするからです。

 それが何世代も重なったら、最終的にその特徴が大多数になっていく。そうした世代を経てつながっていく変化が、進化と呼ばれています。

――前向きな変化とは限らないのですか?

 進化にはプラス・マイナスといった概念はなくて。その部位がなくなったり、小さくなったりすることを退化と呼びますが、それも進化の一形式だと考えられています。

 たとえば、キリンは偶蹄類という、2本のヒヅメを持つ哺乳類です。これは私たちでいうところの指や爪にあたりますが、その数が2本に減っているんですよ。そうすると、当然物をつかんだりすることはできなくなります。でもその代わりに指先の安定感は増していますし、ヒヅメはすごく硬くて大きな爪で足先を守っているので、力強く地面を蹴って素早く走ることができる。それは指の退化だけれども、速く走ることができる進化だと捉えられます。そういう進化を遂げたのが、キリンをはじめとする偶蹄類の仲間なんですね。

 人間の指にも、人間ならではの進化が見られます。人間の指は、親指だけがほかの4本の指から少し離れてやや斜めに生えていて、他の指と向き合わせることができます。これは樹上生活に特化したサルなどの一部の動物にしか見られない構造で、手で挟むように細い小枝を握ることができる。だから人間は物をうまくつまんだり、操作したりすることができます。キリンのヒヅメも人間の指も、全然違うんだけど、どっちもすごいんですよね。タイトルにはそういう気持ちを込めました。

無駄と思える仕組みでも

――本書ではいろいろな生き物の部位が紹介されていますが、特に好きな章はありますか?

 帯に「生き物に『ざんねんな進化』はない!」という言葉が取り上げられましたが、特に強烈にそう思わされた部位は消化器官でした。

 キリンをはじめとする草食動物は、草を分解して栄養にするために、どのように消化しているのか。哺乳類は草だけを食べていても、そこから全ての栄養をとれるわけではありません。枝葉や下草の主成分であるセルロースを分解する消化酵素を持っておらず、自力で消化して栄養をとることができないんです。そこで、おなかの中にいる微生物に代わりに草を分解してもらって、そこから栄養を分けてもらっています。

 キリンの場合は、その微生物のすみかは胃です。さらに反芻(はんすう)といって、何度も噛みつぶして吐き戻すことをして、完全に粉々にすることで微生物に分解してもらっています。だから、すごく無駄がないんですよ。消化できない葉っぱなんてないんじゃないかと思えるくらいです。うんちも、食べたすべてが粉々になっていて、葉っぱの形なんて見る影もありません。

 これに対して、馬やゾウの仲間は、反芻をしていません。しかも微生物に分解してもらうのは、大腸、つまり消化器のかなり後半のほうなんです。だから効率がすごく悪いんですよ。うんちの中にも、未消化の草がたくさん入っている。食べたものは半分くらい、そのまま出している可能性があるとも言われています。食べたのに吸収もされずそのまま出ていくのは、めちゃくちゃ無駄じゃないかと思っていました。

――もったいないような気がしてしまいます。

 でも比較解剖学を勉強していくと、実は反芻をせずに大腸で吸収することの良さがいくつかあることがわかってきました。その一つとして、うんちから未消化のまま出てきた種が、そこから芽生えてまた新しい植物が育っていく。そこに森ができて、新しい食事場所となっていくんです。その話を聞いたときに、自分はすごく小さな視野で生きてきたなと思わされました。

 キリンの無駄のない消化が優れていると思っていた私は、今のことしか考えていなかった。今、ご飯を食べて栄養をとることだけを考えたら、すごく効率が良くて素晴らしいんですけど、でもそれは食べたら終わりなんですよね。

 (キリンなどの)偶蹄類の仲間は、過酷な環境でも生活できる種がいっぱいいるんですよ。すごく寒い場所だったり、崖場だったり。少ない餌を無駄なく効率的に栄養にできることが、その理由のひとつだと思います。その一方で、馬やゾウは比較的豊かな森で生きていて、無駄はいっぱいあるんだけど、その分いっぱい食べればいいやという戦略なんですよね。

 どっちが優れているか、判断できるものじゃないと思いました。馬やゾウのように、いっぱい食べていっぱい出す。それが新しいものにつながっていく。別に無駄があってもいい。そんな生き方でもいいんだと、すごく救われるような気持ちになりました。

――「ざんねんな進化はない」とはそういうことなんですね。

 一つの基準で見たらこっちがいいとか、あっちがいいというのはあるかもしれません。でも自然界で生きていく中で、やっぱり基準は一つじゃないんですね。同じ地球であっても、それぞれが過ごしてる環境はやっぱり少しずつ違っていて。それぞれの世界でなんとかうまくやっていければ、別にそれでいいんですよね。それが生き物の進化なんだなと思っています。