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「イタリア料理の誕生」書評 食の欠乏がもたらしたこだわり

評者: 藤原辰史 / 朝⽇新聞掲載:2022年11月05日
イタリア料理の誕生 著者:キャロル・ヘルストスキー 出版社:人文書院 ジャンル:食・料理

ISBN: 9784409510940
発売⽇: 2022/08/24
サイズ: 20cm/357p

「イタリア料理の誕生」 [著]キャロル・ヘルストスキー

 風味豊かなオリーブオイル、色鮮やかなパスタ、地域で異なるチーズやワイン、極上のジェラート、そして香り立つエスプレッソ。
 タイトルから、こんな料理の背景にある豊かなイタリアの自然、古代からの伝統、卓越した料理人の技などを期待する人も多いだろう。だが、本書は全く趣を異にする。行政文書やレシピを読み込み、本書がたどりついた「イタリア料理」誕生の最大の背景は、なんと食の欠乏だ。ここから考えないと、なぜあれだけイタリア人がマクドナルドの出店に抵抗したのかが説明できない、と著者はいう。
 19世紀半ばに日独と共に遅れて近代国家に仲間入りしたイタリア王国は、混乱の中で貧困に喘(あえ)いでいた。庶民のほとんどは肉を口にできない。トウモロコシ粉を練ったポレンタや、質の良くないパンやパスタで空腹を凌(しの)ぐ。世紀転換期に経済状況が改善しても、人びとは質素な食べものにこだわり続けた。第1次世界大戦では、政府が食料価格や配給に介入したおかげで、兵士になれば、良質な食事に馴染(なじ)むことができた。
 そして、本書の白眉(はくび)はファシスト政権下の分析である。ムソリーニたちは食物の自給自足を目指すために、国産品を食べるよう指導し、消費者には節約と、何より工夫を求めた。こんなファシズム的な食、すなわち「合意の料理」は戦後の経済成長の中でもあまり揺らぐことはなかった。自宅や、ファシズム時代から続く社員食堂や公衆食堂などで共通の保守的な食事を食べ続け、少ない国産素材で工夫する料理文化は守られていく。
 言われてみれば、イタリア料理は素朴である。ペペロンチーノがその代表だ。あるいは、パスタの形の多様さは、同じ分量の小麦でも毎日違った感じで楽しもうという工夫の結晶と言ってよい。こんな政治史と権力論に味付けされたイタリア料理本なのに、読後に無性にパスタが食べたくなるのが不思議だ。
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Carol Helstosky 米デンバー大准教授(イタリア現代史・料理史)。著書に『ピザの歴史』。