北陸の冬は厳しい。中野重治の自伝的小説『梨の花』(1959年/岩波文庫)には主人公の高田良平が雑誌にケチをつけるくだりがある。
〈たのしい正月がきました。/男の子は、たこあげをしてあそびます。/女の子は、はねつきをしてあそびます〉。良平は憮然(ぶぜん)とする。〈正月は、朝から晩まで吹雪(ふぶ)いてるのだ〉〈あいつらは正月と春とをいっしょくたにしてけつかる〉
明治末期、高椋(たかぼこ)村(現坂井市)で祖父母と暮らしてきた少年はやがて福井市内の中学に進学。町の子との差を思い知る。良平の村には電気も来ていなかったのだ。
それでも彼は当時のエリートだった。福井は繊維産業で栄えた県だ。特に絹織物の羽二重は明治中期、花形の輸出産業に躍り出る。生産現場を支えたのは女たちである。
ということが、津村節子『絹扇(きぬおうぎ)』(2003年/新潮文庫)を読むとよくわかる。主人公のちよは春江村(現坂井市)に生まれ、数え7歳から家業の機織りを手伝ってきた。
その腕を買われ19歳で結婚。夫は地元有力織屋の次男坊。工場を任されたちよは張り切るが、夫の順二は野心家で、最新技術の導入や工場の拡張に余念がない。〈どうや、これが力織機や〉〈これから春江は変(かわ)るで。新しい風が吹くんや〉。ところが関東大震災で横浜港が壊滅。輸出羽二重は大打撃を被る。どん底から立ち上がるちよの姿はまるで『風と共に去りぬ』のようだ。
その羽二重の衰退期から、谷崎由依『遠の眠りの』(2019年/集英社)ははじまる。代わって台頭したのは人絹で、福井市郊外の農家に生まれた西野絵子も人絹工場の女工になった。が、時はモダニズム全盛の昭和初期。福井駅前に出現した百貨店に魅了された絵子は、百貨店が運営する少女歌劇団(実在した劇団である)の座付き作家に転身する。
労働運動に身を投じた女工仲間。少女歌劇団にもぐり込んだ謎の美少年。迫りくる戦争の足音や、航路を通じて大陸とつながっていた敦賀港の国際的な歴史なども織りこんだモダンガールの裏面史である。
空襲と3年後の震災・水害。戦後の福井は三つの災害の復興からスタートしなければならなかった。
今年7月に復刊された大島昌宏『九頭竜川』(1991年/つり人社)は震災で両親と祖母を失った少女が主役。昭和20年代、高校を出た庄田愛子がめざしたのは、祖父と父の後を継ぐ九頭竜川の鮎(あゆ)釣り漁師だった。〈女にはやっぱり無理でないかの〉の声を尻目に春夏は祖父と川に入り、冬は料亭で働く。
福井は女性の就業率が全国トップクラスの県である。働く女性を描いた作品はどれもすばらしい。
時代はさらに下る。馳星周『光あれ』(2011年/文春文庫)の重要なモチーフは原発である。舞台は敦賀。相原徹がサッカー少年だった10代の頃、彼の周辺は原電(原発)の賛否で揺れていた。チェルノブイリの事故後は特に。だがそれも過去の話。就職した水産加工会社はバブルの崩壊で経営が悪化。2000年代、30代になった徹は不安を胸に原発の警備員として働いている。
往時「越前竹人形」(1963年/新潮文庫『雁〈がん〉の寺・越前竹人形』所収)で郷里の伝統工芸を描いた水上勉が、後年『故郷』(1997年/集英社文庫)で描出したのも原発地帯と化した若狭湾の姿だった。
現代の福井を語る上で避けて通れない現実。どちらも3・11前の作品である点を特筆しておきたい。
特異な文体で文学界に衝撃を与えた作品を一編。舞城王太郎『煙か土か食い物』(2001年/講談社文庫)は『カラマーゾフの兄弟』と『長いお別れ』を足して福井のスパイスをまぶしたような怪作だ。
舞台は福井県内の架空の町・西暁町。主人公の奈津川四郎は米国在住の外科医だが、母が頭のケガで重体との報で、急ぎ故郷に戻ってきた。まさかの殴打事件。犯人捜しの過程で明かされるのは、父と4人の息子たちとの長い確執の歴史である。
しかし四郎はあきらめない。というか福井の文学はみんなあきらめていないのだ。経済危機から災害まで幾多の困難から立ち上がってきた福井県。その血脈だろうか。=朝日新聞2022年11月5日掲載