ここでいう「反応しない」とはどういうことなのだろうか。「感じない」ことではない。外界の刺戟(しげき)や印象に対して鈍感になることではないのだ。
生きているかぎり、感じることは避けがたい。しかし、その感受に対し「反応しない」。
初期仏教ではまずこれが説かれる。反応すれば、その対象への愛着(あいじゃく)、あるいは嫌悪など好悪(こうお)善悪の判断が生じる。両者ともに煩悩であり、人を「苦(ドゥッカ)」にさいなんでいく要素だ。
古い仏典がたとえるごとく「蓮葉(はちすば)の上の露のように」感受の泥水に汚されず、「錐(きり)の尖(さき)の芥子(けし)のように」感受に粘着しないこと(『ブッダのことば』中村元訳)。見ながら見ない。聞きながら聞かない。こういう姿勢が望まれる。
本書が述べ伝えようとしていることも、根本的にはこれと同じなのだが、同時に現下の課題、いまある「苦悩」への処方箋(せん)として差し出されている。
二〇一五年初版。売れに売れた。そして再び読まれている。
当初は、ネット(SNSやツイッター、ネットニュースなどなど)から流れてくる様々な情報や他人の言葉の刺戟にいかに煩わされずに暮らすかを教示してくれる書として広く受け入れられた。
このこと自体は別段的外れではない。仏教学者の佐々木閑(しずか)がいうように、ネットには仏教でいう業(ごう)を増悪(ぞうあく)させる性質が看(み)て取れる(『ネットカルマ』)。だから「反応しない」実践は有効なのだ。
だが、七年たったいま求められているのはより深い安心(あんじん)だろう。コロナ禍を経て、読者の関心はネットの情報環境や人間関係のストレスのみならず、その深奥にある、生の根源的な不安や不全感、つまり「苦」の解消に向かっているように思われる。
それでも本書は、一種のライフハック(人生を効率よく安楽に過ごす技術)本としても読める。もともと在家の仏道は、宗教よりライフハックの側面が強かったのかもしれない。=朝日新聞2022年11月12日掲載
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KADOKAWA・1430円=46刷25万3千部。2015年7月刊。著者は僧侶。インドでNGOを運営。版元によると発売当初は男性読者が多かったが、現在は6割が女性という。