実家に住んでいた頃は、目をぎらぎらさせて、仕事をするための「居られる店」を探していた。電車に乗って繁華街に行ったり、自転車で遠出することもあったけれども、あまり移動したくない日もあったし、できるだけお金を使いたくなかったから、近所の店には目ざとかった。繁華街まで数駅の、だからこそ住んでいる人々がそちらで用事を済ませるために商売の気配がない住宅地で、手頃なカフェや喫茶店の席を探すのは難しかった。店自体が少ない上に、通勤していない人がこぞってそういう店にやってきていたからだ。
どの店も、お年寄りか地元の小中学生でいっぱいだった。近くの駅のチェーンのパン屋では、数人のお婆(ばあ)さんがそれぞれに「空調が好きな席」に散らばって座り、他の客の頭越しに喋(しゃべ)るという状況に遭遇し、心が折れて行かなくなった。別の近くの駅前のドーナツ屋とファストフードでは、同じ人が一人で四人席を占領して本を積み上げて勉強しているのを何回も見かけて心が苦しくなった。わたしも含めて、住むところはあるし、そこをメインに仕事をしたり勉強したりしている。でも気分転換の場所が少ない土地だった。
引っ越してからは、自宅で読書も仕事もできるようになった。カフェも喫茶店も事欠かないのだが、もう二年以上外の店で仕事をしていない。自分はなぜ家にいたくなかったのだろうと思う。夏になると気温より8度高くなるものすごく暑い部屋だったからか。
肩身の狭い思いをしていたのに、あれらの店とその周辺のことをときどき思い出す。店内のこと以上に頭を過ぎるのは、経路にあった団地だとか、行ったことのない回転寿司屋やとんかつ屋だ。いつも席があるのか不安に思いながら店に向かっていて、団地や店を視界に入れることで気を紛らしていたのだと思う。今、席取りの不安のない状態で、あの団地の敷地を訪れて、寿司やとんかつを食べにいったらどんな気持ちなのだろう。無性に行ってみたくなる。=朝日新聞2022年11月16日掲載