越境する作家に、コロナ禍以降の世界はどう見えているのだろうか。多和田葉子さんの『太陽諸島』(講談社)が刊行され、『地球にちりばめられて』『星に仄(ほの)めかされて』と続いてきた3部作が完結した。仲間たちとのおしゃべりがはずむ船の旅が、国家とは何かという大きな問いを投げかけてくる。
旅の始まりはデンマークから。語り手のひとり、Hirukoは留学中に故郷の島国が消えてしまったらしく、友人らとコペンハーゲンの港からバルト海を東に向かう。ポーランド、バルト三国、そしてロシアへ。サンクトペテルブルクで試練が待ち受けている。
コロナ禍”国境”復活にショック
小説と現実は複雑に入り混じる。波は「ジャパン」と音をたてるのに、「日本」という言葉はページをめくっても見つからない。ある登場人物が話す「たとえ国がなくなっても町はなくならない」という言葉は、ドイツ・ベルリンに暮らす多和田さんの実感でもある。「欧州は共同体としての絆が強くなり、国は緩くなり、町が重要になっていました」。それがコロナ禍で一変した。「自転車で通れたデンマークの国境も、歩いて行き来していたポーランドの国境も閉じられた。消えつつあったナショナリズムが、突然のように復活したのがショックでした」
多様な世界の6人 言葉遊び満載
船の旅に国境はない。しかし現実ではさらに国境を強く意識させる深刻なニュースが届いた。今作を文芸誌で連載中に、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。
「ウクライナの問題は以前から意識していたので、侵攻に驚いて作品が出てきたわけではありません。ただ、行く先に巨大なロシアが立ちはだかっていることは強く意識していました」。19歳での初めての海外旅行は、シベリア鉄道による渡欧だった。思い入れは深い。「彼らを乗せちゃおうかなと気が揺らいだことはあったけれど、でもやっぱり乗せられない。だって、戦争が始まってしまったから」
とはいえ、悲痛な小説ではない。道行きはにぎやかで、異文化や言語をめぐる議論が大胆に交わされる。多和田さんらしい言葉遊びも満開だ。最初に出会うデンマーク人のクヌートはのんびり屋の言語学者の卵。陽気なインド人のアカッシュは「性の引っ越し」をしている。自立心の強いドイツ人のノラは環境問題に熱心で、気難しいエスキモーのナヌークは日本語と日本文化を愛している。そしてフランスで鮨(すし)を握っていた同郷人Susanoo。言語も出自もばらばらの集まりを「わたしたちの国連」と呼ぶのがいい。「たった6人でも、これだけ広くて多様な世界があるんだよと、可能性や遊び心を伝えたかった」
Hirukoが話す「パンスカ」はスカンディナビアのどこでも通じる手作りの言葉だ。パンスカを話す声は大きく明瞭だが、母語を口にすると内省的になる。彼女自身、パンスカで話すほうが明確に気持ちが伝わると思っている。
「母語には危険な罠(わな)があるんですよ。何でも自由に言えると思っているけれど、母語に隠された暗黙のプレッシャーを無意識に引き受けてしまうので、だんだんものが言えなくなってしまう。日本社会の決まり事や暗黙の了解は、旅の仲間たちにはわからない。彼らと話すときにいらないものを全部捨てた言葉は、人工語のようになっている。シンプルな言葉のほうがうまくコミュニケーションできる瞬間があって、面白いなと思っていたんです」
自身にとって最長という3部作は、これまでになく物語性が豊かになった。世界が注目する作家。次に書く小説は――。「初心に戻って、これは絶対に小説ではないだろうという小説を書きたいですね」(中村真理子)
即興ピアノに詩をのせて 早大でパフォーマンス
コロナ禍で3年ぶりの帰国となった多和田葉子さんは、連日イベントや取材に引っ張りだこ。その一つが早稲田大学・小野記念講堂(東京都新宿区)で2日に上演された多和田さんとジャズピアニストの高瀬アキさんによるパフォーマンス「メキシコは江戸より暑き国にて候」だ。
メキシコの画家フリーダ・カーロと浮世絵師の葛飾北斎が時空を超えて交わしたという設定の手紙がモチーフ。芸術について、富士山について、死後の世界について語り合う。高瀬さんの即興演奏と多和田さんの詩が絡み合うセッションに約180人が聴き入った。
アフタートークでは、松永美穂・早稲田大教授を交えて作品の意図などについて語り合った。「ベルリンはいつも壁だった」などヨーロッパの世相を感じる言葉遊びに話が及ぶと、多和田さんは「冷戦は終わったというけど、今回の戦争のように歴史が逆行することはこれまでにもありました。コロナで国境を閉じることができるとわかったのもショックですし、常に壁はあるということですかね」と話した。(板垣麻衣子)=朝日新聞2022年11月16日掲載