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京極夏彦、多田克己、村上健司、黒史郎著「ひどい民話を語る会」 下らない口承を集め慈しむ

『ひどい民話を語る会』

 民話、文字通り、民によって語られてきた口承の話。民俗学では、時や場所が特定できるかできないか。またその内容が事実らしいかどうかなどによって、昔話、伝説、世間話などと分類し、神話とあわせて研究の俎上(そじょう)にあげてきた。しかし、民話として採集されながらも、どうにも学術的な分類に入れにくい話がある。ある、というレベルではなくかなり多い。

 テレビやゲームや漫画もなく、絵本もなかった時代に、子どもたちが囲炉裏端で聞いていたような、お婆(ばあ)ちゃんの語る話。毎日話をせがむ子どもの興味をひくために、荒唐無稽な話やバリエーション違いも豊富に存在し、子どもが大好きなオナラの話やうんちの話も当然出てくる。オノマトペを多用し、子どもの飽きなどに合わせて話の尺も伸縮自在、語りのテクニックが存分に入っている。ただ、それにしても話の意図するところが不明で、下らない、そして雑な展開な話たちを集めて「これはひどい!」と慈しむ。それがこの本の語り手たちだ。

 今日では定型化している「桃太郎」も、教科書に採用され近代に入ってから一本化された「ちゃんとした話」っぽいが、実は各地方に無数にバリエーションが存在するひどい話がある。

 ニートらしい生活を送っている桃太郎が力自慢のために山の木を根こそぎ持って帰ってきたら、うっかり家に倒してしまい婆さんと爺(じい)さんを殺してしまうという、鬼退治にも行かない「山行き型」があったり、婆さんが川へ行っても桃は流れてこず、川の岩をまたいだらいきなり産み落とされるパターンがあったり。そもそもなぜ婆さんが川へ行き、爺さんが山に行くのか、というのも導入の話が用意されていたり。

 ただ、こういう「ひどい話」たちは、柳田国男的にはボツにされた。「要は下品な方に落として、面白おかしくしただけじゃないかと。でもですよ。よく調べてみると、民話ってほとんどそうやって盛っている、創ってるんですよ」(京極)という視点で、毎日語る方も面白おかしくした結果の形として楽しみ、ダメなものとはしない。この視点で読み解くと、鼠(ねずみ)が川に飛び込み続けたり、ハエが米粒を運び続けたりして終わらない「果てなし話」が、あまりに話をせがむ子どもが「もうやめて!」と懇願するよう仕組まれているものであるとわかる。

 学問するほど意味もなく、芸術というほどの価値はないかもしれず、伏線も回収されず、落語ほど語り手の技術に依存せず、教育的でも道徳的でもない話たち。ただ、そこから昔のお婆さんと子どもとの囲炉裏端の攻防がありありと見えてくる。これらの話を「ひどい」という視点で読者を楽しませる編集術に思わず唸(うな)った。=朝日新聞2022年11月19日掲載

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 KADOKAWA・1650円。小説家、意匠家、お化け友の会代表代行の京極氏が、進行的な役割も担う座談形式の本。多田氏は作家、妖怪研究家。村上氏はライター。黒氏は作家。