さて、いよいよ最終回である。今回は自由にテーマを決めて良いとのこと。
何か、他人に自慢できるようなカッコいい趣味なんぞをここで捻り出せれば、作家としても箔がつくんじゃないかとも思ったのだけれど、残念なことに、そんな都合のいいものがあるはずもなく。結局のところ、小さい頃から一番親しんできたゲームにしようという結論に至った。だが、一口にゲームと言ってもそれは星の数ほども制作されているし、統一性もなくだらだらと好きなゲームの話をするのもいかがなものか。
悩んだ挙句、「サウンドノベル」という1ジャンルに絞ることにする。
「サウンドノベル」とは、一言でいうなら1枚絵のグラフィックに文字を表示しただけの簡素な画面と音楽を楽しむゲームである。
スーパーファミコンで発売された『弟切草』というソフトがこのジャンルの第1号で、その後、発売元のチュンソフト(現・スパイク・チュンソフト)は『かまいたちの夜』『街』と続くサウンドノベルシリーズを展開。『かまいたちの夜』は大人気作となり、続編やリメイク作品まで制作された。
僕はこの『かまいたちの夜』がきっかけでサウンドノベルなるジャンルを知り、その魅力に取り憑かれてしまった。登場人物になりきって謎の殺人事件に恐怖し、臨場感のある音楽に震え上がっては、プレイするたびに枝分かれするシナリオに一喜一憂したものである。
それまで有名どころのアクションゲームやRPGしかプレイしたことがなかった僕は、すっかりサウンドノベルの魔手にからめとられてしまい、次々と怪しげなソフトに手を出すことになる。一例を出すと、『魔女たちの眠り』『学校であった怖い話』『月面のアヌビス』『ざくろの味』『夜光虫』といったラインナップだ。
この中で最恐を上げるとしたら断然『ざくろの味』で、少しネタバレになるが、「ゾ」のつく怪物が好きな人なら手を叩いて大喜びするようなストーリーである。また、『魔女たちの眠り』は赤川次郎原作の小説『魔女たちのたそがれ』と『魔女たちの長い眠り』がベースになっており、僕が初めて購入した小説でもある。スティーブン・キングの『呪われた町』を彷彿とさせる恐ろしい山間部の村を舞台にした物語は雰囲気たっぷりなので、ゲームと合わせて是非おすすめしたい。
映像と音楽に彩られた物語にすっかり魅了された僕は、中学生、そして高校生になっても折に触れてサウンドノベルの世界に埋没していった。なかでも特筆すべきは『流行り神 警視庁怪異事件ファイル』だろう。この『流行り神』は、当時一世を風靡した「都市伝説」を題材にしたもので、物語の進め方によって科学的ルートと心霊ルートに結末が二分する。一つの物語に二つの結末。それが複数収録されたオムニバス形式の作品群で、現在第6作までシリーズが製作されている大人気作品である。
「友達の友達から聞いた話ですが……」で始まるフレーズは、ホラーファンのみならず夢中になった方も多いのではないだろうか。
数あるゲームジャンルの中でも、僕がこの「サウンドノベル」を長く愛し続けている理由としては、やはり何と言っても「ホラーが多い」という点だ。これまでに僕が挙げたゲームソフトはすべてホラー要素が含まれており、その魅力に惹かれ、大いに夢中になった。それは誰かに強要されたわけではなく、自らの意思で「怖いものが読みたい」という欲求に従った結果でもあった。「怖い」という感覚だけを頼りに、僕が本や物語と繋がっていられたのもきっと、この「サウンドノベル」の活躍によるところが大きい。とりわけ、『魔女たちの眠り』の原作者である赤川次郎先生や、『かまいたちの夜』のシナリオを担当した我孫子武丸先生に対するリスペクトは群を抜いている。これらの作品に巡り合えていなければ、僕は恐怖が生み出す物語の魅力に気づくことが出来なかったのかもしれないのだから。
同じ「文字を読む」という行為ではあるものの、本を読むこととゲームをすることとは大きな違いがある。読書嫌いな少年だった僕にとって「サウンドノベル」は物語というより、それを追体験するゲームでしかなかった。けれど文字を読み進めて物語を理解するという点では同じだし、読むたびに枝分かれしていくシナリオを追っていく行為はそっくりそのまま、未熟な想像力を養うことにもつながった。そういう意味で、「サウンドノベル」は僕にとって本を読む行為への橋渡しをしてくれたのだ。不穏なグラフィックで想像力を補い、音楽で臨場感を高めてくれたからこそ、一見すると文字を読むだけの退屈な行為が楽しい体験になった。そして、その経験があったからこそ、もっと別の、見たこともないような物語に触れたいと思うようにもなった。そういう意味で、僕は「サウンドノベル」に対し、返しきれないほどの大きな恩を感じずにはいられないのだった。
これまでに挙げた大好きだったものも含め、あらためて振り返ってみて感じるのは、昔大好きだったものは今も変わらず大好きだということだった。飽き性で優柔不断な僕だけれど、一度好きになったものに関してはそう簡単に飽きがこない。一時、離れることはあっても、何かのタイミングで戻ってきてしまう。そういう性分なのだ。それは少なからず、今の創作に大きな影響を与えてくれている。小説を書く時、僕は自分の作品の中にそれらの片鱗を見つける瞬間がとても楽しい。
そんな風に、いつか自分の作品が、誰かの「大好きだった」になってほしいものである。