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「ネアンデルタール」 もっとも根源的な「文明批評」 朝日新聞書評から

評者: 椹木野衣 / 朝⽇新聞掲載:2022年11月26日
ネアンデルタール 著者:野中 香方子 出版社:筑摩書房 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784480860941
発売⽇: 2022/10/11
サイズ: 20cm/604,9p

「ネアンデルタール」 [著]レベッカ・ウラッグ・サイクス

 訳者あとがきにあるとおり、本書の原題は「親戚:ネアンデルタールの生活、愛、死、そして芸術」である。はるか昔に絶滅した旧人類よりも卓越していると思い込みがちなわたしたち「ホモ・サピエンス」にとって、ネアンデルタール人に「生活」や「愛」、「死」、ましてや「芸術」への想(おも)いがあったという事実はかんたんには受け入れられないかもしれない。だが、最先端の化学分析が可能となり、21世紀の「ルネッサンス」を迎えたネアンデルタール人研究にとって、かれらはもはや「旧人」ではない。だから原題も「親戚 KINDRED」なのだ。ネアンデルタールとホモ・サピエンスとのあいだに「異種間の恋愛」があったことはすでに判明しているし、とりわけ美術批評を手掛ける私にとって、ネアンデルタール人の「芸術」をどう評価するか(できるか)は大きな興味を引く。それこそ「芸術人類学」のような新しい研究の地平が必要とされるかもしれない。
 だが、本書の本当の魅力は、そうした学術研究の成果に傾きがちな最新の知見や仮説を、万人に開かれたネアンデルタール人の「物語」として示したところにある。むろん、フィクションというのとは違う。ネアンデルタール人を時の隔たりを越え、文字どおりの親戚として身近に感じ取るためには、そのような語り口が必要であった。著者の希望で随所に盛り込まれた画家アリソン・アトキンの挿図もこのうえなく大胆だが興味をそそる。その甲斐(かい)あって、本書を読んでいると、ネアンデルタール人をめぐるこれまでの「野蛮人」像が氷解し、ついには隣人のように思い浮かべられるようになる。飢餓どころか高カロリーの病気に悩まされ、虫歯が痛んでは治療を施したというネアンデルタール人像は、微笑(ほほえ)ましくさえある。
 他方、2020年にコロナ・パンデミックの影響下で都市がロック・ダウンするさなかで脱稿した本書のエピローグは、いささか辛辣(しんらつ)だ。著者はそこで「ホモ・サピエンス」が到達した文明の最終局面を「生産と消費という腫瘍(しゅよう)」と呼び、気候変動の危機やふたたび生じるであろうパンデミックへと警鐘を鳴らしている。「すべてを考え合わせると、わたしたちのほうがより暴力的だと言えるかもしれない」とも書いている。ネアンデルタール人が生きた数十万年間、殺戮(さつりく)に繫(つな)がるような対立があった痕跡は見つかっていない。その意味で本書をもっとも根源的な「ホモ・サピエンス文明批判」として読むことも可能だ。
    ◇
Rebecca Wragg Sykes 英国の考古学者。中期旧石器時代のなかでもネアンデルタール人が専門。英リバプール大および仏ボルドー大名誉フェロー。サイエンスコミュニケーターとしても活動している。