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結城真一郎さんの読んできた本たち 「バトル・ロワイアル」の背徳感に高揚した開成中時代

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「好きな作品のパロディーを書く」

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

結城:幼稚園の頃に母親に読み聞かせてもらってはいたんですが、明確には憶えていなくて。自分から主体的に本を読んだ記憶でいちばん古いのは、小学校1年か2年の頃に読んだ『ズッコケ三人組』という気がします。自分の世代では誰もが一度は通るシリーズだろうし、自分も全巻読み切った唯一のシリーズじゃないかと思います。

――それくらい夢中になったということですか。

結城:はい。学校の図書室に揃っていて、毎週毎週借りていました。特に『花のズッコケ児童会長』のオチはいまだに憶えていますね。素晴らしい落としどころだなと子供心にも感動したんです。ネタバレになるので詳しく言えないんですけれど、ハチベエが児童会長に立候補して対抗馬と最後まで争う話なんですが、誰もあまり傷つかないきれいな着地をしているんです。

――図書室でよく本を借りる子供だったのですか。

結城:そうですね。でも大の本読みという感じではなく、基本的に外を駆けずり回っていることが多い子供でした。それでも図書室から借りてきた本が家に常時何冊かあって、家に帰ってきた時や寝る前にちょろちょろ読んでいました。

――ご出身ってどちらでしたっけ。

結城:横浜市の戸塚です。近所に牧場があったり、「となりのトトロ」に出てきそうな森があったり、下水道に入れる穴みたいなものがあったりして。それこそ友達と下水道の中に入ってどこまで奥に行けるか挑戦したり、山に秘密基地を作って、ラジオを持ってきて聴いたり拾ったライターでマシュマロをあぶって食べたり、拾った雑誌を読んだりしていました。そんなことばっかりやっていたので読書漬けという感じではなかったんですが、本は身近にはありました。

――振り返ってみて、どういう子供だったと思いますか。わんぱくだったのか、それとも...。

結城:それでいうと、わんぱくないたずら小僧でしたね。下水道の探検などの他にも、学校の砂場で水出しながら砂の投げ合いっこして先生にブチ切れられるとか、校舎の裏に設置されている物置の屋根に上って飛び跳ねているのを近所の人に通報されるとか、そういうことばかりしていました。そういうレベルのわんぱく小僧でした。

――結城さんは開成中学に進学されていますよね。勝手に、小学校の頃から成績は良かったんじゃないかなと思ってしまいますが。

結城:小学校の成績はたぶん、そんなに...。悪くはなかったですけれど、そんな100点満点連発、みたいな感じでもないです。通信簿は授業態度でだいぶ減点されていますし、授業への興味、関心は低かったと思いますし。

――国語の授業は好きでしたか。

結城:正直言うと、あんまり好きじゃなくて。たとえば、段落の頭の一字下げになっているところに数字を振っていきましょうとか言われても、何の意味があるんだと思っていました。それに、教科書に載っている物語ってたいてい全文ではなく抜粋じゃないですか。だから物足りなさがありました。
 でも、たしか小2の時に、国語の教科書に宝の地図みたいなものが載っていて、自由にお話を創作しましょうという授業があったんですね。それは本当に楽しんだ記憶があります。
 それぞれ地図を見ながら物語を書いて、班の中で回し読みをして、いちばん面白いと言われた奴が班代表としてクラスの前で読み上げるんですけれど、その班代表に選ばれてみんなの前で読んだ時に、いつもは騒がしいクラスがシーンと静まり返って僕の話を聞いて、「面白い」というリアクションが返ってきて。それはいまだにいちばん楽しかった授業として憶えています。

――どんな物語を創作されたのでしょう。冒険物語だとは思いますが。

結城:本当に気の向くままに書いたんですけれど、地図に載っているいろんな要素はできる限り拾いましたし、ここでこういうピンチになって、それをどう突破するかを書いたら面白がられるかな、みたいなことは考えました。結果反応が良かったので嬉しかったんですけれど、反応がなかったとしても、そうしてお話を考えるのがめちゃめちゃ楽しいなという感覚を持った経験でした。

――その頃、将来、お話を作る人になりたいと思っていましたか。

結城:そうですね。小説家に限らず、漫画家とか、映画監督とか、なにかしらお話を作って読み手だったり観客だったりを面白がらせたいという気持ちが強かったと思います。
 それで、読んでいた本や漫画のパロディーみたいなものを、父親が仕事で使って要らなくなった書類の裏に書き散らしていました。

――どんな作品のパロディーを?

結城:挙げ始めるときりがないんですけれど、「ハリー・ポッター」シリーズを読んで、魔法学校になぞらえて剣術学校に入学した子供たちの話を書こうと試みたり、『指輪物語』のあの空気感や出てくる言葉に惹かれて、王国の地図みたいなものを書いて、この地点で旅のメンバーが分断されて、でもこの地点で合流して、みたいなことを考えたりしていました。

――ファンタジーや、壮大な話が好きだったのですか。

結城:好きでした。エミリー・ロッダの『デルトラ・クエスト』という、王国に散らばった七つの宝石を集めて巨悪を倒すという冒険もののシリーズが好きで、朝の10分読書の時に延々と読んでいましたし。当時はミステリーではなく、ファンタジー系とか、壮大な話系が好きだったんじゃないかなと思います。あとは星新一さんもよく読みました。星さんのショートショートで何が好きかと訊かれたら「午後の恐竜」一択ですね。それくらい好きです。

――漫画はどのあたりを?

結城:王道の王道で、『ONE PIECE』、『NARUTO』、『ドラゴンボール』、『ドラえもん』あたりは当時出ていた分は全巻持っていました。

――え、持っていたんですか。

結城:塾のテストが終わった後に、「今日は3冊まで」などと冊数を指定されて買ってもらえたんです。じゃあ今回は『ONE PIECE』を集めようとか、今回は『ONE PIECE』と『NARUTO』と『ドラえもん』で1冊ずつちらばせようなどと考えながらコツコツ集めていました。

――さきほど、将来について映画監督も頭にあったようですが、映画も好きだったのですか。

結城:映画というか、特撮ですね。戦隊ものとか、ウルトラマンがすごく好きだったんです。僕のその話を聞いて、一回父親が知り合いがいるということで、円谷プロダクションのウルトラマンの撮影現場に連れていってくれたんです。たかだか空から降りてきた怪獣がビルをぶっ壊すという1シーン撮るのにすごく手間をかけているのを見て、自分もこれはやりたいと思って。翌日、自分で段ボールを切ってビルを作って、当時持ってたおもちゃの怪獣を間に立たせてホームビデオで撮りました。再生してみたら、もうチープもチープで、これは駄目だと思いましたけれど(笑)。
 なんか、見たり読んだりしていいなと思ったものは自分もやってみたくなる子供だったと思いますね。『ハリー・ポッター』や『指輪物語』を読んで真似して物語を考えるのもそうですし。

――スポーツは何かやっていましたか。

結城:水泳をやっていました。当時は、水泳選手にもなりたいと思っていました。選手コースに来ないかという誘いがきたタイミングで、母親に「あなたは中学受験するからそんなことやってる場合じゃない」と言われ、塾に放り込まれました。

――水泳、優秀だったんですね。

結城:自由形で横浜市の小6のベスト8に残ったレースで、飛び込んだ瞬間にゴーグルが吹っ飛んでいつもより3秒くらい遅くなって圧倒的にビリでゴールした夏に、これはもう、水泳選手じゃなくて勉強したほうがいいんだなと自分でも思いました。

「中学時代にハマった作家」

――中学受験するとご両親が決めていたわけですね。

結城:なんとなく「受験するんだよ」と言われ続けてきて、気づいたら塾の体験授業に放り込まれ、なし崩しで受験生活が始まったんですが、そんなにネガティブだったわけではないです。地元の友達と離れちゃうのは嫌だったんですけれど、塾の授業は学校の授業より進んでいて楽しかったですし、好奇心をくすぐられましたから。

――受験する学校はどのように決めたのですか。

結城:もともと親が見繕っていたんですけれど、最終的には自分で、開成に行きたいと思いました。両親に連れられて開成の運動会を見に行ったんです。成績表でいつもすごく上位にいる学校だから、どうせ頭でっかちなガリ勉集団のもやしっ子ばかりだろうと勝手に偏見を持っていたんですけれど、その運動会がものすごい熱量で、騎馬戦や棒倒しで雄叫びあげたりしているのを見て、ここに混ざりたいなと素直に思いました。それで第一志望にしたという感じですね。

――そして狭き門を潜り抜け。風通しよさそうな学校というイメージがあります。

結城:校則とかはあってないようなもので本当に自由でしたし、教師もうるさいことを言わないですし、いい意味で、別に大したことのない奴らが多かったというか。あの、世間からすると受験モンスターの奇人変人集団に見えるかもしれませんが、確かに勉強はできたと思うんですけれど、本当にどこにでもいる中高生たちの集団だなというのは実感して、すごく楽しかったです。

――中学時代はどんな本をどのように選んで読んでいたのでしょう。

結城:書店で面白そうだなと思った本や、友達が読んで面白かったという本を読み、面白かったらその作者の他の本も読んでみるという、そういう感じでした。多かったのは、東野圭吾さん、伊坂幸太郎さん、宮部みゆきさん。東野圭吾さんはたぶん最初に読んだのが『白夜行』で、「こんな分厚いのに読めるかな」と思いながら、気づいたら読み切っていました。それと、時期が明確じゃないんですけれど、『容疑者Xの献身』は刊行された直後にハードカバーで読みました。宮部みゆきさんは最初に『レベル7』を読んで面白いなと思ってハマり、『模倣犯』なんかは授業そっちのけで読んでいました。『ソロモンの偽証』なんかもその流れで手に取りましたし。伊坂幸太郎さんはだいたい読みましたが、すごく憶えているのは『ゴールデンスランバー』を試験期間中に徹夜で読んだこと(笑)。
 他には、福井晴敏さんの『亡国のイージス』や『終戦のローレライ』なんかにも激ハマりして読んでいました。
 あとは、たぶん後でその話になるんですけれど、いちばん忘れられないのは高見広春さんの『バトル・ロワイアル』。偶然、友達の机の上に文庫になる前の、ペーパーバックみたいなあの分厚い本が置いてあって、仰々しい表紙の洋書でも読んでいるのかなと思って話しかけ、あらすじを聞いて面白そうだったんで借りたんですね。借りて手を出したら最後、もう死ぬほどのめり込んで、博物館みたいなところに見学に行く課外授業のバスの中でも読んでいましたし、館内をまわっている間も説明を聞かずに読み続けて、あの分厚さなのに2、3日で読み切ったんです。それくらいドハマりした、本当に人生を変えた1冊だなと今でも思っています。

――面白いのはもちろん分かりますが、当時、なぜそこまで引き込まれたんだと思いますか。

結城:当然面白いというのがあって、もうひとつ、やっぱりちょっと背徳感があったんですよね。中学3年生が殺し合うっていう、褒められた内容じゃないだけに、なにか変な高揚感がありました。それに、まさに僕も中学3年生だったので、彼らに共感できたかというと微妙ですけれど、同い年の連中がこういうふうに集められて闘っている設定にとてつもない衝撃を受けました。今まで読んできた、いわゆる眉をひそめられない文学とは対極に位置していて、「あ、小説ってこんなのもありなんだ」という懐の深さみたいなものを感じました。

――学校の課題図書的なものの読書体験でなにか思い出はありますか。夏目漱石とか太宰治とか...。

結城:それこそ『坊っちゃん』とか『杜子春』とか『蜘蛛の糸』といったあたりは課題図書として読みましたが、「学校の課題」という枕詞がついたとたんに、「いやそんなんで読まされても」というひねくれた自分が出てきてしまって。そのうえ感想文を書かなきゃいけなかったりすると、「なんで読まなきゃいけないんだよ」という気持ちになっていました。
 でも、実際に読み始めると面白いんですよね。だから読んでいる間はその世界に没入しているんですけれど、でも「感想書かなきゃいけないのか」というのがちらつくと「やってらんね」みたいな気持ちがよぎるという。
 なので、そういうことを抜きにして読んだ、まるで正反対の『バトル・ロワイアル』はそれだけに衝撃的だったんだと思います。

――感想文は得意でしたか。

結城:どうですかね。気持ちとしてはだいぶマイナスで、まったくやりたくなかったんですが、最終的にそれっぽいものを仕上げて提出していました。単にあらすじをまとめてどう思ったかという感想だけじゃなくて、「こういう場面でもし自分だったら」とか、「主人公が追い込まれたこの状況と似たことが自分にもあって」とか、そんな類いの話を出して自分の現実と地続きである感じを出したほうがいいんだろうな、とか考えていましたね。だから、それっぽくまとめる能力はあったのかなと思います。

――ところで、中学時代は部活はどうしていたのですか。水泳は続けなかったのですか?

結城:部活はサッカー部です。開成はプールがなくて、海に泳ぎに行くしかなくて、だったら切り替えようと思いました。

「卒業文集は長篇小説」

――お話の創作はされていませんでしたか。

結城:ほとんどしなかったんですね。友達とルーズリーフに漫画を数コマずつ描いて交換日記みたいなことはやりました。友達がいつも変な方向に話を展開させるので、僕のターンでいかに整合性を取らせるかという。そこで伏線回収的な訓練を積んだ気もします(笑)。でも、それは他の人に見せることもなかったです。読み手を意識して書いたのは、卒業文集の時でした。

――その卒業文集の話を、ぜひ詳しく(笑)。

結城:開成中学は全員そのまま高校に持ち上がりになるので、卒業文集はみんなぜんぜん気合入れて書こうとしないんですよ。なんですけれども、全員最低1枚は書くことが義務付けられているんです。サッカー部の何人かで飯を食っている時に、「卒業文集だりいよな」「やってらんねえよ」という声が多くて、純粋にその時の思いつきで、「お前たちのページ全部俺にくんない?」って話をして。つまり、サッカー部でリレー小説を書いたというテイにして、書きたくない連中の枠を全部自分がもらって小説を載せれば、自分は長く書けるし、サッカー部が一丸となって面白い企画をやっているように見えるし、書きたくない奴は書かなくてすむしで、三方よしというか。誰も損しないスキームだと思ったんです。
 その時にちょうど読んだばかりだったのが、『バトル・ロワイアル』でした。それで、中3サッカー部員の実在の同級生たちが開成高校への進学をかけて殺し合うって話にしたら受けるだろう、っていうのをその場で話したら、みんながもう「やったれ」って(笑)。
 それがきっかけだったんですが、書き始めたらもう、とんでもなくのめり込んでしまって。教室移動のない授業中はずっとルーズリーフに書いている感じで、ふたを開けてみれば1人最低1枚と言われていたのに、たぶん原稿用紙換算で5~600枚くらい書きました。それを卒業文集に載せました。

――登場人物が実際のサッカー部の仲間たちだとすると、誰をいつどう殺すか悩みそうですよね。

結城:そうですね。序盤に殺されるのがいじられキャラに集中しすぎても物語としての裏切りがないので、サッカー部の中でも主軸を張っているような奴が序盤でやられたり、意外とネタキャラだと思われている奴が最後まで残るといったことは自分なりに考えました。あと、当然、「こういう感じで殺されることにしようと思ってるけど大丈夫?」などといって、一応みんなに許諾をとりました。そうするとやっぱり何人かは「いやちょっと誰かに殺されるのは嫌だから、自分のミスとか銃が暴発して死ぬようにしてくれ」といったオーダーが出てきて、そうした各人の意見を調整しながら書きあげました。

――提出した時、教師の方々はどういう反応だったのですか。

結城:提出先は各クラスにいる文集委員だったので、直接先生には見せてないんです。ルーズリーフに書いたものをサッカー部のメンバーで手分けして打ち直してデータにしてファイルを送っただけなので、先生の間でなにか議論があったのかは知らないんですけれど、でも最終的にまったく何の修正指示も入らず、そのまま載せるという判断をしてもらえました。そこはすごく校風が表れていますよね。変に止めようとしなかった環境にいたのは、今思えばありがたかったです。

――同じ学年の方々はみんなその文集持っているんですね。

結城:世界に300部だけあります(笑)。
その時に、やっぱり書く行為がめちゃめちゃ面白いと実感しました。何より大きかったのは、同級生たちや、そこから波及して保護者からの反響が届いたことですね。自分の書いたものに対してリアクションがある、あるいは、それぞれが時間をかなり割いて自分の書いたものを読んでくれたということ自体がすごく嬉しかった。これを仕事にしたら相当楽しいだろうなと、その時に明確に思いました。

――どんな反響があったのですか。

結城:保護者からの反響がやっぱり心に残っていて、「のめりこんで読んでいたら家族の食事を作れなかった」とか「誰々君が死ぬシーンは格好よすぎてちょっと涙出そうになった」とか、「うちの子が死ぬシーンが情けなさすぎる」とか(笑)。本当に十人十色だったんですが、全員ある程度楽しんでくれたんだと実感できる熱量でしたし、やっぱり、何も知られていない馬の骨が書いたあの長さのものをみんな読み切ってくれたというのは自信になりました。将来的にこの方向で闘えるんじゃないか、みたいな自信にも繋がりました。

――どんなものを書いたのか気になりますね。でも実際のサッカー部のメンバーのキャラクターを知った上で読みたい(笑)。

結城:当時、自分もまさに同じように思っていました。僕の書いたものは、登場人物がどういうキャラかを、みんなが知っている前提で書いているじゃないですか。だからキャラの説明が一切なくても面白がらせたんですけれど、商業出版的なものを書くとなったら、各人がどういう位置付けで、この人がこういうことをしたら面白いとか、あの人がこういうことをするのは妙だ、ということも描写しなくちゃいけない。自分にはまだその力はない、もし本当にゼロイチで何かやるとしたら、こんな簡単にはいかないだろうなと書きながら思っていました。

「謳歌した高校生活」

――高校時代はどのように過ごされたのですか。

結城:こんなに創作の話を熱弁した後に言うのは恐縮なんですけれど、そこから一切離れて、完全に学校行事一色の生活をしていました。運動会、文化祭、サッカー部...。サッカー部のメンバーでバンドを組んでライブハウスや文化祭で演奏したりしていました。文化祭の中後夜祭の委員長というか、トップをやったりもしていて、開成生と来場した女子高校生のフィーリングカップルとか、今はポリコレ的にどうかと言われそうですがミスター開成といったものを企画運営していました。

――結城さん、仕切るの上手そうですね。

結城:分からないですけれど、そういうのをやりたがるタイプでした。何かを企画して誰かが面白がってくれるのを見るのがすごく楽しいというタイプで、そういうことに積極的に名乗りを上げていました。

――バンドはどのようなジャンルの音楽を?

結城:邦楽のロックですね。L'Arc-en-Cielとか、GLAYとか、X JAPANとか。最初はバンド内でも方向性が揺れて、もっとコアな洋楽で音楽性を出していきたいと言うメンバーと、僕みたいに目立ってモテたいからみんな知っている曲をやろうというメンバーで揉めて、最終的に僕が押し切りました。

――めっちゃ高音が出るボーカルがいたのですか。

結城:僕が高音が出るので、僕がボーカルでした(笑)。今はたぶん無理なんですけれど、XJAPANの「紅」も原曲キーで歌ってました。

――創作は一切していなかったということですが、読書の時間はありましたか。

結城:中学時代と比べると、明らかに少なくなったと思います。試験期間中にいろいろ読み漁る以外はあまり手を出さなくなっていました。部活や学校行事に打ち込んで、夜遅くまでファミレスでだべって、家に帰ると疲れて寝て...。たぶん、人生でいちばん、読書量が少なかった時期だと思います。

――読むとしたら東野圭吾さんたちの新刊とか。

結城:そうですね。あとは既刊でまだ手を出せていなかった過去作とか。
 あと憶えているのは、図書室で見つけた『世界不思議大全』という分厚い本ですね。オカルトとか、いわゆる未確認生物とか、都市伝説とかがまとめられていて、これにドハマりしました。結構値段も高かったんですが親に買ってもらいました。そうした不思議な世界に浸るのはやっぱり好きでしたね。なので、東野さんや伊坂さんや宮部さんを読みつつ、図書室や書店で目に留まった面白そうな本は読んでいました。
 漫画は引き続きめちゃくちゃ読んでいました。高校時代は小説よりも漫画のほうが多かったですね。『SLAM DUNK』とか『20世紀少年』とか『MONSTER』とか。『DEATH NOTE』もすごく好きでしたし、女子高校生が読んでいるというので『NANA―ナナ―』を読んだりもしました。

――人気作をしっかり押さえている印象ですね。

結城:そうですね。自分の場合、昔から一貫して、たとえば1人のコアな海外作家さんを全部読み通すようなタイプではなく、その時々に話題になって多くの人が面白いと言っているものを欠かさず読む、という読書傾向だったと思います。

――その頃はもう小説家になろうとは思っていなかったのでしょうか、それとも後々なろうと思っていたのか...。

結城:それでいうと後者ですね。高校時代にデビューしようとはまったく思わず、いつかなりたいし、なれるんじゃないかと胸の奥底でくすぶらせているタイプでした。
 やっぱり中学生3年生の時の卒業文集の経験が大きかったんです。ものすごく狭いコミュニティとはいえ、ただの中学3年生が書いたものがあれだけいろんな人を面白がらせたんだから、歳を重ねれば小説家になれるだろうと根拠なく思っていました。

「意識的にミステリーを読む」

――高校卒業後は東京大学の法学部に進学されていますが、ではその進学先はどのように選んだのですか。

結城:これ、各所で訊かれて、いつも良い回答に聞こえない気がしてならないんですけれど...。周りに流されるようにして、というのが大きいですね。どうしても東大志望という同級生が半分近くですし、そのなかで自分があえてそこから外れるだけの確たる信念があったわけでもないので、もうそこに乗っかるしかないというのが、いちばんの志望動機でした。
 あとちょっと思っていたのは、先々小説家として世に出ることを考えて、面白そうなところに行っておこう、というか。横の繫がりや先輩との繫がりがあれば、先々小説のために取材したくなった時にいい人脈も得られそうだ、という気持ちもゼロではなかったです。そういう意味でも、東大に進むことが小説家志望としてマイナスに作用する面はないなと思ったので、流れに乗ったという形です。
 文系にしたのも、そのほうがなんとなく興味が持てたというのと、小説家になるんだったら文系のほうがいいかなという、それくらいのノリでした。

――大学進学後は、どのような日々が始まったのでしょう。

結城:本当に、飲み会にアルバイトに旅行に明け暮れる、典型的な駄目大学生でした。

――アルバイトはどんなことをされたのですか。

結城:『#真相をお話しします』の第一話「惨者面談」にあるような、家庭教師斡旋の営業マンのアルバイトをしていました。

――ご自身で教えられると思うんですが、斡旋する側だったんですね。

結城:「惨者面談」の主人公と経緯もほぼ同じで、最初は家庭教師として登録していたんですけれど、営業的なスタッフも募集していると知り、そっちが面白そうだと思い応募しました。家庭教師だと、やっぱりひとつの家庭にどっぷり浸かっちゃうんですけれど、営業マンだとそれこそ年間100件とか、いろんな暮らしぶり、いろんな事情の家庭を知ることができるので、すごく刺激になりました。そういう意味で飽きがこなかったし、給料が歩合制で、やり方次第でどこまでも伸びるところも魅力を感じました。結局それを4年やりました。

――サークルは何かされていたのですか。

結城:一応、広告研究会に籍はおいていたんですが、ほぼなにもやっていない幽霊部員でした。そこに在籍しているメンバーとは仲が良くて、男2人で九州巡りに行ったり、東北を回ったりしていました。

――読書生活はいかがでしたか。

結城:時間ができたということと、高校時代よりも将来の解像度が上がってきたというか、距離感が近くなってきたので、そろそろ小説家として世に出るために読んでおくべき古典を押さえておかないといけないと考えて読み始めました。だいぶ遅ればせですけれど。

――どのあたりをお読みになったのですか。

結城:大学1年生の時に綾辻行人さんの『十角館の殺人』を読み、当時まだミステリー的な素地がまったくなかったので、みなさんが驚かれるあの一文の意味が分からず、むしろ「あれ、これ誤植なのかな」という、人とは違う驚き方をしてしまったという...。ちょうど文庫になったタイミングだった米澤穂信さんの『インシテミル』とか、乾くるみさんの『イニシエーション・ラブ』も面白かったですね。そのあたりは学校の生協にドーンと平積みになっていました。アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』とか『アクロイド殺し』あたりも押さえておかなきゃいけないと思って読みました。

――ミステリー作家になろう、というという気持ちがもうあったわけですね。

結城:はい、ミステリーでいこうと思っていました。作家としてデビューするためには新人賞で賞を獲る人が多いので、自分もまず賞に応募しようと考えると、賞っていろんなカテゴリがあるじゃないですか。そのなかで自分がいちばん惹かれるのがミステリーでしたし、中高時代の読書遍歴を振り返ってみてもいちばんワクワクして読んだのはミステリーと呼ばれるジャンルだなと思って。それで遅ればせながら未着手のミステリーに手を伸ばし始めたんです。
 他にも、貴志祐介さんの『悪の教典』や『新世界より』、道尾秀介さんの『向日葵の咲かない夏』や『カラスの親指』、引き続き伊坂幸太郎さんのまだ読んでいなかった作品などを読んでいました。
 SFも読みました。ジェイムズ・P・ホーガンの『星を継ぐもの』や、伊藤計劃さん『虐殺器官』といったあたりもハマりましたし、フランク・シェッツィングの『深海のYrr(イール)』も当時かなりのめり込んで読みました。これらはミステリーの文脈に関係なく、面白そうだなと思って手に取った本でした。

――ミステリーの場合、自分も書こうと思いながら読むと、また違った読み方だったりするんでしょうか。

結城:あのレベルの先生たちの小説を読んでいる時はそれはあまり意識しなかったですね。ミステリーのある種の作法ってこうかなと学んだり、ここでこういうふうにミスリードしているから最後にこんなふうに驚かせるんだ、みたいな要素分解的な勉強はしましたけれど、明確に読み方が変わったかは微妙ですね。
 むしろ、新人賞でデビューした方の小説を読む時のほうが、「そうかこのレベルに達しなきゃいけないのか」という意味で、今までとは読み方が変わりました。

――ああ、ミステリーの新人賞の受賞作も読んでいたんですね。

結城:当時から狙おうと思っていたのが新潮ミステリー大賞で、第一回受賞者の彩藤アザミさんの『サナキの森』も出た直後に買って読んだのを覆えています。

――なぜ新潮ミステリー大賞を狙おうと思ったのですか。

結城:選考委員の顔ぶれですね。当時は伊坂幸太郎さん、貴志祐介さん、道尾秀介さんだったので。全員好きな作家さんだったし、その方たちに読んでいただきたいなと思って。
 でも大学生時代の前半は何も書いていなかったです。

「あの人のデビューに衝撃を受ける」

――本腰いれて書こうと思ったきっかけがあったのですか。

結城:在学中に、大学の同級生の辻堂ゆめさんが『このミステリーがすごい!』大賞の優秀賞を獲ってデビューしたっていう、もうその一撃に尽きますね。
 これまでお話した通り、自分はいずれ作家になるだろうという根拠のない自信を抱えているだけで、なにも行動に移していない、夢見がちな駄目野郎だったんです。でも同じ学部の同級生から実際に応募して賞を獲ってデビューを決めた人間が現れたというのはかなりの衝撃でした。自分と同じような発想の奴はいないだろうと思っていたのに、実際にいて、しかもそれで栄冠を勝ち取ったというのはもう悔しすぎて、そこでこれは自分も本気で目指そうと火がつきました。いわゆる"辻堂ショック"です。

――その頃はまだ辻堂さんとは面識がなかったんですか。

結城:なかったです。いや本当に、友達から聞かされた瞬間を明確に憶えています。食堂でラーメン食ってる時に、さらっと「同級生がデビューするらしい」と言われて、僕だけラーメン食べる手が止まって、すぐに言葉も返せず、ようやく出た言葉が「なんて名前でなんて賞?」って。まずそれを知らないことには始まらん、みたいな感じて、ちょっとテンパってましたね。

――受賞が発表されてから本になるまではしばらく間がありますが、辻堂さんのデビュー作『いなくなった私へ』は刊行されてすぐにお読みになったんですか。

結城:当然読みましたし、『コーイチは、高く飛んだ』などもその後追って読んでいました。でも、その前に、なにより自分が書かなきゃっていうスイッチが入って、ひたすら書いていました。そこで一気に書いて、卒業間近の頃に第2回新潮ミステリー大賞に応募しました。
 なんとなくこんな話は面白いかなと、昔から思っていた筋があったので、それをちゃんとアウトプットして応募したんです。でもそれはもう、なんの音沙汰もなく、闇に葬られましたけれど。

――その時、卒業後の人生設計はどのように考えていましたか。

結城:受賞するにせよしないにせよ、就職しようとは思っていました。小説家として一本立ちするなんて万馬券を当てるよりきついだろうと思っていたのと、やっぱり社会人という世界を経験しておくことが小説家としてデビューすることにマイナスになることは絶対にないと思っていたので。むしろ組織に身を置いて、意にそぐわない指示が飛んでくるとか、辞令が出て思ってもみない部署に行くとかいうことも、全部が小説家になった時に血となり肉となる予感があったので、就職しました。

――働きながら応募生活を続けるなら執筆時間の確保も考えなければならないですよね。どのように就職先を選んだのでしょうか。

結城:今も勤めている会社なので支障のない範囲で言うと、若いうちでもある程度裁量を持って面白いことができる会社がいいなと考えました。
 というのも、辻堂さんのデビューを目の当たりにした後に立てた目標として、20代でデビューする、というのを立てたんですね。辻堂さんに先を越されたというのが理由ですが、と同時に、自分が基本的に流されやすい、甘い人間なので、明確に期限を設けたほうがいいと思って。
 そうなるとやっぱり、若年時の間からある程度責任者の裁量を持たされて動き回る、みたいなことをしたほうが、小説の種になる確率が高くなる気がしたんです。なので、経験をたくさん与えてくれそうな会社かどうかは、重視したポイントでした。

「会社勤務しながらデビュー」

――就職して、仕事しながら小説を書き続けていったわけですか。

結城:最初の頃はもう、日々の生活をこなすのが精一杯で書けなかったです。めちゃくちゃ忙しい時期はそれどころじゃなくて、帰ったらぶっ倒れて寝るという生活をしていたので、コンスタントに書いていたわけではないです。でも時間が確保できてメンタルも落ち着いている時にコツコツとは書いていました。

――本は読めていましたか?

結城:仕事がとっちらかっている時は読めませんでしたが、そうじゃない時は、引き続き新人賞でデビューした方たちの作品や、ミステリー系と呼ばれる人たちの本は読んでいました。特定の誰かというわけではなく、書店に行って平積みになっていたら手を伸ばす、という感じでした。ほぼ国内の作家さんばっかりでした。

――そして2018年に第5回新潮ミステリー大賞を受賞したのが、『名もなき星の哀歌』ですよね。人の記憶を買ったり売ったりするアルバイトを紹介された青年たちの話という、不思議な要素のあるものでしたよね。そういう特殊な設定を考えることが多かったんでしょうか。

結城:それまでに書いた小説が卒業文集と第2回に応募したものだけなのでなんともいえませんが、小学生の頃ファンタジーを結構好んでいたり、星新一さんが好きだったり、『世界不思議大全』を読みふけったりしたように、そういう要素に惹かれる素地はありました。デビュー作はそこがにじみ出た気がしています。

――ああ、『名もなき星の哀歌』が2度目の応募だったのですね。最初の投稿から間があいていますが、かなり時間をかけて書き上げたわけですね。

結城:忙しくて書けなくて半年くらい原稿が塩漬けになっている期間も含めて2年半かけました。毎年1作書き上げてどこかの賞に応募するよりは、じっくり書いて、送り出して恥ずかしくない形になったら一球入魂で突っ込もうと思っていました。

――目標通り、20代でデビューが決まったわけですね。

結城:ここで落ちたらもうワンチャンスくらいしかないと思っていたので、デビューできて安堵しました。と同時に、毎年これだけの数の新人が出てくる世界でこの先頭一つ抜けていかなきゃいけないなんてとんでもない茨の道だなと、受賞の連絡をいただいた瞬間から思っていました。

「新人作家としての戦略」

――デビュー前は原稿がしばらく塩漬けになっていた時期があったのに、デビュー後は『プロジェクト・インソムニア』、『救国ゲーム』、そして『#真相をお話しします』と、次々と作品を発表されていますよね。

結城:それはやっぱり、危機感があるので。デビューできればOKという思いで応募してなかったですし、自分が最終的に目指したいのは東野圭吾さん、伊坂幸太郎さん、宮部みゆきさんラインだとデビュー前から思っていたので。それはもう、果てしない道のりなんですけれど、デビューしたばかりでコケてる場合じゃないな、と。その時その時の自分の最高傑作を、少なくとも年に1冊単行本として生み出せるくらいじゃないといけないと思っていました。だから本当に、睡眠時間がめちゃくちゃになって血反吐吐きながら書いていました。

――『プロジェクト・インソムニア』は実験で複数の人間が共有している夢の中で殺人事件が起きる。『救国ゲーム』は、"奇跡"の限界集落で起きた殺人の背後に、テロリストの陰謀があり、ドローンの無差別攻撃のタイムリミットが迫る、という展開です。どちらも設定からして大きいですが、以前からアイデアがあったのですか。

結城:いえ、その前の話を書き終えてから考えたものです。当時は同時並行でいくつも考えられる脳になっていなかったんです。

――仕事から帰宅後に夜書くタイプですか、早起きして仕事に朝書くタイプですか。

結城:完全に前者ですね。夜中の2時3時くらいまで書いたりします。コロナ前は、休日はカフェに10時間くらいこもっていました。たぶん、そのカフェで僕に渾名ついていると思います(笑)。
 コロナ禍になって自宅で書くように切り替わった時は、最初まったく書けなかったんです。今はだいぶチューニングが合ってきて、あまり苦労はなくなりました。ただ、仕事もリモートワークだったりして外に出なくなったので、積極的に動くようにしています。そうでないとアイデアが出ないんです。平日は夕方か夜に話を練るために散歩をして、下手したら2、3時間歩いています。休日も、日中は映画を観に行って夕方から書き始めたりしています。

――アイデアノートは作っていますか。

結城:遅ればせながら作り始めました。デビューした直後はちょっとイキってる部分があて、アイデアを思いついても記憶に定着しないものはそれまでだ、みたいな感じで書き留めなかったんです。最近は、幸いにもちょっと依頼もたくさんいただく感じになってきて、記憶に残っているものだけだと数が足りなくなり、書き留めるよう心掛けるようになりました(笑)。

――ミステリーの研究のために、ミステリーガイドとか解説書みたいなものは読みましたか。

結城:読んでいないですね。それよりも、その時々に話題になっている本、知っている人を読んでいました。なので、いわゆるミステリー畑で読み明かしてきて、どんなトリックも先例が分かって、「これはあの本のあれのオマージュだ」みたいなことに気づくタイプではまったくないので、そこは若干コンプレックスという。なんとかこれから追い上げなきゃと思いつつ、追い上げるよりも世に出てくる本のほうが多いので、ちょっと無理かなと思ったりしています。

――トリックを思いついても、先行作品で似たものが使われていないか気になりませんか。

結城:まさに3作目の長篇の『救国ゲーム』で、ミステリ評論家の千街晶之さんに、「クロフツの『樽』を現代版にした感じだ」という評をいただいたんです。『樽』の名前は知っていたんですがその時点で読んでいなかったので、急いで購入して読み、「なるほど」と納得しました。ただ、『救国ゲーム』はドローンを出したんですが、それは先例と若干似ている部分があったとしても、過去には書けなかったものだという確信があったからなんです。なので、その時に、そこは自分の活路かなと思いました。
 つまり、先例を知らずに踏み込んでも、核心の地雷を踏み抜かずに行くには、この時代ならではのもの、今の時代だからこそ書ける要素を取り込むことだと思ったんです。それがミステリー畑を読んできていない人間の突破口だと信じています。

――それが『#真相をお話しします』に繋がっていくわけですねYouTubeやマッチングアプリ、リモート飲み会など、どの短編にも現代的なツールが使われている。短篇集ということもありますが、前3作とまた違うテイストですね。

結城:デビューしてからの3作については、より多くの人に読んでもらうというよりは、ミステリーを好んで読んでいる人たちに名前を憶えてもらうということをいちばんの目的に据えました。
 やっぱり新川帆立さんの『元彼の遺言状』のように、一撃で爆発するものを生み出すのは相当きついので、自分の場合はデビューしてから3冊くらいで足場固めというか、ミステリー界隈にいる人たちから名前を憶えてもらうことに特化しようと決めていたんです。
 その3冊を出す間にたまたま短篇の「#拡散希望」で推理作家協会賞をいただいて、なおかつ『救国ゲーム』が本格ミステリ大賞にノミネートされたので、ある程度はやれたかなという手応えがありました。もともと4作目からはミステリー好き以外の人にも届くものをと考えていましたが、「#拡散希望」が推協賞を獲ったことで急ピッチで短篇集にまとめる流れになり、自分としては狙い通りでした。

――確かに、『#真相をお話しします』に出てくるツールは、古典作品には使われていないだけでなく、ミステリーに馴染みがない人にも興味を持ってもらえそうなものばかりですね。

結城:周囲にミステリー小説を書いているというと、「絶海の孤島で嵐に遭うんだね」とか「時刻表とにらめっこしてるんだろう」とか言われるんです。それ自体間違ってないし、そういう作品も僕は好きなんですけれど、そう思ってミステリーに手を伸ばさない人がいるとしたら純粋にもったいないなと思うんです。そういう人たちにとってミステリーの最初の1冊になりうる本ができたらいいなという思いがありました。

――その通り、大ヒットしてますね。

結城:今って動画を早送りで観る人がいたり、最初に観たコンテンツが面白くないとすぐ次のコンテンツに移ったりして、ひとつのものにじっくり腰を据えてどっぷり浸かることに慣れていない人も多々いる。そういう人たちを極力この本の世界に引き留め続けるためには、短篇という建付けで、キャッチ―な題材で、随所に隠しもせずあからさまな伏線を張って、とにかく何かがおかしいと常に思わせ続けるようにしました。コスパよく驚きを得られるものとして、時代にマッチしてたかなとは思います。

「最近の読書とこれから」

――ご自身でもYouTubeをご覧になったりするんですか。

結城:もう死ぬほど観てますね(笑)。観ている時間を全部執筆に回したら、あと3冊くらい出せていたんじゃないかっていうくらい。そういう意味で、本当に自分もYouTubeの面白さを骨身にしみてわかっているゆえに、観る時間を読書に振り分けてもらうのはハードルが高いと実感しています。そこにいかに風穴を開けて本というものに手を伸ばしてもらえるかは、今回の新刊で意識したポイントでした。

――どういう動画を観ているんですか。

結城:東海オンエアとか、Quizknockといったいわゆる人気YouTuber系とかも観ますし、各お笑い芸人のチャンネルでライブの映像が上がったら観ますし、スポーツのハイライトとかも。本当にどっぷり観てます。

――そういうえば、映画など、小説以外で影響を受けたと感じる作品ってありますか。

結城:映画でいうと、これはもう大好きなんですけれど、「バタフライ・エフェクト」と「スラムドッグ$ミリオネア」です。特に「バタフライ・エフェクト」は最後の落としどころとかその見せ方が好きで何度も繰り返し観て、自分もこんな話を小説で書きたいなと常々思わされてきました。
 最近でいうと「アベンジャーズ」シリーズは全作やっぱり好きですね。エンタメとして大風呂敷を広げて期待を高め切ることを成し遂げた稀有な例だと思っています。そこまでの大長篇みたいなことを小説でやれる気はしないんですけれど、でもああいうエンタメは憧れます。

――デビュー後、読書生活はどのようなものを?

結城:デビューが決まった時、僕はそんなにミステリーを読んできた人間ではないと編集者に話したら、読んでおいたほうがいいミステリーの文庫を10冊送ってきてくださったんです。そのなかで特に心に残っているのは、藤原伊織さんの『テロリストのパラソル』と、大門剛明さんの『雪冤』でした。
 今は基本的に、その年に出た新刊を追い続ける生活になっています。その年のミステリーランキングを席巻するようなものや、みんなが話題にしているものは読むようにはしています。なので古典まで手を伸ばし切れていないんですけれど。

――これは面白かった、という話題作は。

結城:僕が最も先を越されたと思ったのは、浅倉秋成さんの『六人の嘘つきな大学生』ですね。自分も就活を経験しているし、いつか就活を題材にしたものをやりたいと思っていたのに、まさにその部分を切り取られて、しかもあんなに面白い形で仕上げられて、これはもう先にやられちまったなと(笑)。そういう意味でショックを受けましたけれど、純粋に面白かったですし、結末まで何が起こるのか読めず、最後に登場人物たちのイメージが反転する仕掛けなんかもすごくよかったです。

――ちなみに辻堂さんにはもう会いましたよね。この間、新川帆立さんと3人で「僕らの時代」にも出演されていましたし。同時期に東大法学部にいたなかから3人も、しかも3人ともミステリー作家としてデビューしたって、すごいなと思って。

結城:辻堂さんは何回か飲みに行ったりして、新川さんもあの収録の時にお会いしたのは2度目でした。その時に新川さんも、辻堂さんがデビューしたから火がついたと話していました。新川さんも僕も、そうでなくても作家は目指していたと思いますが、辻堂ショックがあって本気になって奮起したって意味では、辻堂さんの同級生が後から続いてデビューしたのは当然の帰結かもしれません。

――今後、どういうミステリーを書いていこうと考えていますか。

結城:今回の『#真相をお話しします』を踏まえて、ここからはミステリー好き以外の人、あるいは普段本を読まない人たちにも訴求する話を主軸に据えたいとは思っていますが、ただ一方で、やっぱりゴリゴリのミステリーにも挑戦したい気持ちがあります。
 今回のようなきわめて現代を切り取るみたいなものも乱発しすぎると陳腐化するので。あまり決めずに、あえてばらけさせて攻めていこうかなと策略を練っています。

――たしかにあまりに現代的なツールを使うと、5年後とかにはもう古くなってる可能性があったりしますしね...。

結城:おっしゃる通りで、そういう意味でいうと、今回の『#真相をお話しします』は5年後10年後読んだ時にどう見えるかはまったく想像つかないというか、下手したらその頃にはだいぶ古びたものになる可能性はあるなと思っていました。でも今回は、普遍的に面白いものではなくて、同じ時代を生きる人たちを今この瞬間に最大限楽しませる方向に舵を振り切ろうと割り切って書きました。でもそれをこの先全部の作品でやるのはしんどいので、ここから先は、折に触れてそういうこともしつつ、手を変え品を変え、挑んでいきたいですね。

――ミステリー以外のエンタメを書く可能性もありそうな気が。

結城:ミステリーだけに特化していくつもりはなくて、他のエンタメの依頼をいただければ、それはそれでやりたいです。でもたぶん、どんなものにせよ、結果的にミステリー的な要素は絶対に入っちゃうと思うんですよね。いわゆる本格みたいに、頭から手がかりを拾っていけば排他的にひとつの解が導き出せるようなミステリーではなくて、後から振り返ってみればここも伏線だったんだと納得いくような、いわゆる広義のミステリーになるかもしれないんですけれど。

――今後の刊行予定などを教えてください。

結城:今は書き下ろしの長篇を書いていて、来年夏くらいまでに出せたらいいなと思っています。他に、「小説すばる」で2、3か月おきに短篇を連載しています。それと、小学館の「SOTRY BOX」の11月号から不定期で新シリーズの連作短編を始めます。「小説新潮」でも来年何か新しいものを、と話しているところです。