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高瀬隼子さんの読んできた本たち 小学生時代は「コバルト文庫」、中学では女性作家を片っ端から

「少女小説に夢中だった」

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

高瀬:小さい頃、寝る前に父母が絵本を読んでくれた記憶はうっすらあるんですけれど、あまり憶えていなくて。それよりは、自分で読めるようになってからの読書が楽しかった記憶があります。幼稚園の頃、近所のおじいさんの硬筆の教室に通い始めて、自力でひらがなが読めるようになり、本も自分で読むようになったんです。
 それで憶えているのはピノキオの絵本です。たぶんディズニーのアニメの絵の本で、すごく好きでした。ピノキオの映画も好きでした。嘘をついて鼻がのびちゃったり、おじいさんと離れてロバになったりクジラに呑み込まれたり、ハラハラドキドキした感じが好きでした。

――硬筆の教室って、ボールペン字みたいなものですか。

高瀬:そうです。おじいさんが自宅で焼き芋を焼きながら小さい子には硬筆、中高生には毛筆を教えてくれていました。私も高校生くらいまで毛筆を習っていました。

――ご出身は。どんな環境で育ったのかな、と。

高瀬:愛媛県の新居浜市の出身です。私が中学生の時に大きなイオンモールができたんですけれど、小学生の頃はなにもなくて。小さい頃から本は好きだったんですけれど、本屋さんも、今は建て直して大きくなったんですが当時は小さくて、CDと文房具と漫画と雑誌と映画化した本の棚はあるけれど、小説の単行本や文庫の棚は少ししかなかったです。そいう環境だったこともあって、川や海や山でよく遊んでいました。犬を飼っていたので、小学校から帰って犬の散歩のついで...というか、私が犬に散歩されるような形で(笑)、川に行って遊んで日が暮れたら帰って、本を読んでいた記憶があります。
 テレビはあまり見ませんでした。親に禁止されていたわけではなくて弟はよく見ていたんですが、私はあまりテレビが好きじゃなかったんです。

――小学校に入ってからは、その町の小さな本屋さんか、学校の図書室で読む本を見つけていたのでしょうか。

高瀬:学校の図書室もそこまで充実はしていませんでした。でもシャーロック・ホームズのシリーズがあったので、高学年の頃にそれを1冊ずつ読みました。絵もあまりなくて文字も小さめで格好よかったので、大人向けのシリーズだったと思います。
 近所に年上の幼馴染みの女の子がいて、その子とよく本の貸し借りをしていました。いつも、お互いに相手の本棚から勝手に本を取って帰っていました。

――本の趣味が合ったのでしょうか。

高瀬:当時は講談社のX文庫ティーンズハートと集英社のコバルト文庫をたくさん読んでいたんです。その子も少女小説が好きだったんですが、好きなジャンルはちょっと違ったので、お互いの本棚が被らないのがよかったです。
 私はファンタジーでは、魔女が出てきたり、精霊使いになったり、ドラゴンを倒す話が好きで、コバルト文庫を舐めるように読んでいました。樹川さとみさんの『楽園の魔女たち』のシリーズがすごく好きです(と、本を取り出す)。

――今日、私物の本をたくさん持ってきてくださったんですよね。ありがとうございます。それにしてもものすごく保存状態がいいですね。

高瀬:でもたいぶ紙が茶色くなっていますよね...。あまり手元に残っていないけれど、その頃はコバルト文庫とX文庫ティーンズハートだけですごい量を持っていたんです。100冊以上はあったと思います。お小遣いの範囲内で、古本屋さんなどで買っていました。コバルト文庫では他に、氷室冴子さんの『なんて素敵にジャパネスク』のシリーズや『海がきこえる』、水社明珠さんの『ヴィシュバ・ノール変異譚』のシリーズや、日向章一郎さん「星座」シリーズ、「放課後」シリーズも大好きでした。友達は金蓮花さんのファンタジーが好きだと言っていました。
 ティーンズハートは、ファンタジーというより現代日本を舞台にした小説が多くて、私は折原みとさんが大好きでした。少女漫画の恋愛より、少女小説で描かれる恋愛のほうがぐっときていました。
 そうしたなかで、ティーンズハートから出た橘ももさんの『翼をください』を読みまして...。いま、ライターもされている方なんですけれど。

――あ、漢字が違いますが、もしかしてライターの立花ももさんですか。よく作家インタビューなどのクレジットでお名前をお見かけします。

高瀬:そう、同一人物なんですよ。一度ご取材いただいたんです。お名刺をいただいても立花さんと橘さんが結びつかなくて、家に帰ってから「え、橘ももさんじゃん!」と気づいて「あああああ!」となって、本好きの幼馴染みに「橘ももに会った!」って連絡したら「マジで?」って返事がきました。
『翼をください』は、橘さんが15歳の時に書いたデビュー作なんですよ。刊行された時に私は小学生だったんですが、自分とそんなに年齢が変わらない女の子が小説家になったと知って、めちゃくちゃびっくりして「すごいすごいすごい」となって、憧れていて...。

――第7回ティーンズハート大賞の佳作に入選してデビューされたんですね。確かにすごいですね。

高瀬:しかも今、ライターをされながら小説の執筆も続けてらっしゃるんです。めちゃくちゃ活動時期長くて、それもすごく格好いいなと思っていて。そんな方と作家になって3年目で直接お会いできるなんて、なんという世界線だろう、って。

――『翼をください』を読んだ頃、高瀬さんはすでに小説家になりたいと思っていたのですか。

高瀬:小学生の頃から、ずっと物語を書く人になりたいと思っていました。その時々に読んでいるものに影響されて書きたいものも変わるので、当時は、自分はティーンズハートかコバルト文庫で小説家になるんだと夢見ていました。でも応募するためには原稿用紙300枚近く書かなくてはいけなくて、そんなには書けず、応募はできませんでした。小学生の頃は原稿用紙30枚以内の子供向けの童話コンクールに応募しては落選していました。

――物語を空想するのが好きだったのでしょうか、文章を書くのが好きだったのでしょうか。

高瀬:書くほうが好きでした。ノートとか手帳とかプリントの裏側に物語っぽい書き出しを書いたり、今こんなことが起きたらどうなるかなってことを書いたり。頭の中で組み立てるというよりも、書きながらどうしようと考えていました。テストの最中、テスト用紙の裏に、今私がこの用紙をビリビリに破いて叫んだら先生はどんな反応をするだろう、とか、いま大地震が起きたらどうしよう、とか、夏なのに雪が降ってきたらどうだろう、とか書いたりして。目に入ったもの、身近なものから想像を膨らませていました。

――学校の作文などは好きでしたか。

高瀬:自分では楽しく書いているんですが、入賞などは全然しませんでした。読書感想文のコンクールも他の子が入賞していました。水道局が主催するような、地域の水を綺麗にしましょう、みたいな物語のコンクールにも一生懸命書きましたが落選しました。
 国語の授業も大好きだったんですけれど、そんなに評価には繋がっていなかったです。算数や理科よりは国語の点は良かったんですけれど。

「好きだった絵本や漫画」

――小学校時代、他に好きだった本は。

高瀬:絵本も好きだったんです。絵本作家になりたいとも思っていたんですけれど、絵が全然描けなくて諦めました。
 この絵本が大好きでした(と、本を見せる)。立原えりかさんの『大あたり アイスクリームの国へごしょうたい』。私はご飯はそんなに好きではないんですけれど、アイスはこれのおかげで好きなんです。1日1個食べたくなります。
 男の子がアイスクリームを買って食べたら、フタの裏に「大あたり」と書いてあって。招待状がきて朝いちばんのバスに乗ると、シロクマたちが働くアイスの工場に着いて、美味しそうなアイスが出てきて、おみやげにアイスの種をもらうんです。その種をアイスの空き容器に入れておくともう1個アイスができるという。

――(本を見ながら)可愛いですね。

高瀬:これのおかげで、大人になってもアイスを食べるとフタの裏を見てしまいます。すごく好きでずっと手元に置いてあります。あ、「全国学校図書館協議会選定図書」って書いてありますね。学校で買ったのかな...。

――学校で買った、とは?

高瀬:夏休み前とかに、1枚の本のカタログみたいなものが渡されるんですが、そこに「〇年生ならこの本がおすすめ」みたいなことが書いてあるんです。親にお金をもらって申し込むと、夏休み前に学校に本が届くんですよ。堂々と本を買ってもらえるチャンスでした。
 他に、この絵本も好きでした(と、本を出す)。

――ジミー『君といたとき、いないとき』。

高瀬:台湾の絵本作家さんらしいです。当時は知らなくて、大人になってからちゃんと「ジミー」で調べて知りました。お月様が空から落ちて来て、男の子が拾っておうちに連れて帰るんです。他のみんなは空を見上げて月がなくなっちゃった、どうしようとなって、工場でいっぱい月を作る。男の子のほうは、月が元気になったら空に浮かべてあげようとしていて...という話です。ざっくり言っちゃいましたけれど。

――(めくりながら)めちゃくちゃ絵がきれいだし、隅々まで丁寧に眺めたくなりますね。

高瀬:そうなんです。私も家でずっと眺めていました。このジミーさんの絵本は何冊かあって、田舎でも売っていたんです。本屋さんの小説の棚を舐めるように見た後に店内をぐるぐる歩いていたら見つけました。奥付を見ると2001年発行なので、小6か中1だったんだと思います。ジミーさんの『君のいる場所』という絵本もすごく素敵です。

――小説以外で、漫画などは読みましたか。

高瀬:漫画は好きなんですけれど、詳しくないままここまで来てしまいました。本屋さんに行っても、小説の棚は舐めるように端から端まで見るけれど、漫画は平積みのところしか見なかったんですよね。なので、知る人ぞ知る、みたいな漫画は通らないままです。
 好きなのは、小学生の頃から読み続けている『ONE PIECE』、『名探偵コナン』、『君に届け』とか、『よつばと!』、『ちはやふる』、『暗殺教室』、『バクマン。』、『BEASTARS』......有名な作品ばかりですよね。
 私は雑誌も「花とゆめ」を買っていたんですが、弟は特に漫画雑誌は買わず、ふたりでコミックスを集めていましたが、私が大学進学で実家を出る時に、全部持ってきてしまいました。『ONE PIECE』も全部...(笑)。
 いま単行本が出ると買っている漫画は、ヤマシタトモコさんの『違国日記』と、堀尾省太さんの『ゴールデンゴールド』。『ゴールデンゴールド』はフクノカミが海に落ちていて、瀬戸内海の小さな島に住む女の子が拾ったところ、その子のおばあちゃんの民宿にいっぱい人が来るようになるんです。それがどんどんエスカレートして......という。

――小さな書店さんの棚を舐めるように見ていたのなら、本の並びまで憶えそうですね。

高瀬:めちゃくちゃ憶えています。「この本この棚に1年あるな」とか分かっていました。東京に出てきてジュンク堂さんとかに行くと、こんなところに子供の頃から通っていたらどうなっていたんだろうと思います。10歳くらいの自分がそんな大きな書店でちゃんと本が探せたか分かりませんが、でもすごくワクワクしただろうなと思います。

――今振り返ると、どんな子どもだったと思いますか。

高瀬:すっごくおとなしい子でした。本が好きで、でも休み時間には、浮かないように、女の子と一緒にトイレに行っていました。浮かないように、浮かないようにと思って過ごしていました。たぶん、小学校の同級生に憶えられていないんじゃないかな。いちばん引っ掛かりのない子だったので。先生たちも、真面目で問題を起こさなかった子って忘れると思うんです。

「現代作家の作品に出合う」

――中学生になってからは。

高瀬:真面目でおとなしいところを守り続け、学級委員もやりましたが、人気者だからというわけではなく、「あいつ真面目だからやらせておこうぜ」という感じで。学級委員じゃない時は風紀委員か美化委員という立ち位置でした。
 中学生の頃は、「ハリー・ポッター」のシリーズを読んでいました。見た目も分厚くて大きくて格好よかったので、こんな素敵な本を私は読んでいる、みたいな感覚でした。誰しもそうだと思うんですが、私も魔法学校からお迎えが来るって思っていました。
『はてしない物語』も同じように、格好いいという理由で手に取りました。大きくて赤くて格好よくて、こんな本を読んでいる私は格好いい、って。もちろん内容も面白かったです。単行本を手放してしまったので、最近文庫で再読したんですが、やはりめちゃくちゃ面白くて。一週間くらいかけて読んだのですが、その間、仕事が嫌でも私は家に帰ったらこんなに冒険ができるんだ、という気持ちでいました。
 それと、だんだん現代作家を読むようになりました。小学校高学年くらいから読んでいたとは思うんですけれど、ちゃんと記憶しているのは中学生になってからで、島本理生さん、綿矢りささん、金原ひとみさん、角田光代さん、吉本ばななさん、桐野夏生さん、森博嗣さんが大好きでした。
 今挙げていて気付いたのですが、現代女性作家は本屋さんで見て「これが読みたい」と思ったら買っていましたが、森博嗣さんは「森博嗣の新刊が出た、買う!」という買い方をしていました。『すべてがFになる』から始まって、もう、『有限と微小のパン』なんて、そんな格好いいタイトルつけられたら買いますよね。森博嗣さんは刊行ペースがはやいのでお小遣いが足りなくて、ノベルスでは買えずに文庫になってから買っていました。自分の本棚があのグレーっぽい背表紙で染まっていました。

――いま挙げられた女性作家さんたちの本は、嗅覚で見つけたわけですね。

高瀬:いい嗅覚をしていました(笑)。角田光代さんや吉本ばななさんは中学生の頃に読みはじめて、角田さんの『だれかのいとしいひと』は何回も繰り返して読みました。他にも『幸福な遊戯』、『ピンク・バス』、『みどりの月』、『キッドナップ・ツアー』、『空中庭園』、『愛がなんだ』、『太陽と毒ぐも』とか...。吉本ばななさんは『キッチン』と『TUGUMI』とか。
 角田さんは今も大好きで、私がすばる文学賞でデビューした時の選考委員だったので、授賞式の日に「会える会える」と思っていたのに緊張しすぎて自分からお声がけできなくてたくさんはお話できず、散会した後に悔しくなりました。もともと好きだけど感想を言うのは下手だという自覚があるので、ご挨拶しても何を言えばいいのか分からなかったんです。でも、このあいだの芥川賞の贈呈式の時に、角田さんのほうから「よかったね」と声をかけてくださって。「好き...!」って思いました。

――島本さんは他のインタビューでも、『ナラタージュ』が大好きだとおっしゃっていましたね。

高瀬:島本さんは好きすぎてどうしようってくらい好きです。(『ナラタージュ』の本を手にしながら)これはもう、自分にとって何冊目かの『ナラタージュ』です。好きすぎて人に薦めて貸しては返ってこなくてまた買っていたんです。最初は高校2年生の時に読みました。表紙が素敵だったので表紙買いをして、読んだらもう「大好き大好き」となって、そこから島本さん作品を追いかけるようになりました。

――どうしてそこまで好きになったのでしょう。

高瀬:私もずっと、なんでこんなに好きなのか考えているんですけれども...。私、国語の時間に音読で当てられるのがめちゃくちゃ嫌いだったんです。今でも、朗読というか、自分の声で物語を読み上げるのが嫌いで。でも、島本さんの小説は、自分で読んでいる時の音みたいなものが、すごく気持ちいいんです。それが何なのか分からなくて。

――黙読している時に、頭の中で文章が音声で読み上げられているのですか。

高瀬:いえ、声は聞こえないんですけれど、何か、ちっちゃい音がする気がします。説明するのが難しいですね。
 金原ひとみさんと綿矢りささんは、私が高校1年生、16歳の時に芥川賞を受賞されて、それで作品を読んで、「やべ...」みたいな(笑)。金原さんの『蛇にピアス』にドハマりして、大学生になってから金原さんのあの赤い背表紙の文庫本を買って読んでいると、体調が悪くなるほど影響を受けてしまうというか。一人暮らしを始めたばかりの頃に『アッシュベイビー』を読んで動けなくなって、一人で鬱々としている時には読まない方がいいのかなと思いながら、それでも読まずにはいられませんでした。
 金原さんにはすごく影響を受けたと思います。その時に書いていた自分の小説は、完全に金原さんの文章を真似していました。内容は全然違うのに、文体だけ真似してしまう時期がありました。
 その後も、『マザーズ』を読んだ時も、このあいだ柴田錬三郎賞を受賞した『ミーツ・ザ・ワールド』を読んだ時も、動けなくなりました。ただ、私は金原さんの小説を読んで人と共有したい気持ちにはならないんです。金原さんの小説は、読んだら自分一人だけで考えていたい気がして。本好きの友達に「これは読んだほうがいいよ」「感想を聞かせて」とは言わないですね。読んでおのおので感じていればいいよね、という気持ちです。私が金原さんが好きであることは文芸サークルの友達や本好きの友達には言っているんですけれど、なにが好きかはあまり話していないですね。

――綿矢りささんはどのあたりを。

高瀬:まず、『蹴りたい背中』ですよね。のちのち『憤死』がすごく好きになりました。「憤死」ってすごくいい言葉だなと思っていました。
 ああ、言い忘れていましたが安部公房もだいたい全部好きです。高校の教科書に短篇の「赤い繭」が載っていて、「なにこれ面白い」と思ったら地元の書店にもちゃんと新潮文庫で著作があって。『箱男』と『砂の女』から買いはじめて、そのまま大学生になっても好きでした。

――桐野夏生さんのお名前も挙がってましたね。

高瀬:高校のクラスで『リアルワールド』が流行したんです。誰かが「『リアルワールド』は全員読んだほうがいいよ」と言い出して、みんな読み始めたんです。ミミズという高校生の少年が母親を殺して逃げて、4人の女子高校生が手助けをするというか。読んだ時に自分も高校生で、喋り口調や感覚がすごく自分たちに似ていて、すごく分かるんですけれども、でもなにか、大切なことを教えてもらっている感じがしました。
 最初、図書館で借りたんですけれど、ヘンリー・ダーガーの絵が使われた単行本の表紙が格好よすぎて買いました。この本ではじめてヘンリー・ダーガーさんを知ったんですけれど。
 桐野さんの作品は大好きです。先生、という感じがします。出される本出される本全部、世界に目を光らせていらっしゃるというか。ずっといろんな方向にアンテナを伸ばし続けていらっしゃっていて、こんなふうに世界全部に興味を持って見ていない自分を反省してしまいます。
 ほかには、加藤千恵さんの『ハッピー・アイスクリーム』。文庫も出ていますが、私が持っている単行本は2001年の本なので、読んだのは中学生の時かもしれません。これは何回も何回も読みました。

――刊行されてすぐに読まれたんですね。高校生の頃から歌人として注目された加藤さんの第一歌集。

高瀬:当時、短歌は読んだことがなかったけれど、これは字が大きいから読めるなと思って読んでみたら、ストレートに自分の気持ちが書かれていて、短歌ってこんなに分かるものなのか、と思いました。「自転車をこぐスピードで少しずつ孤独に向かうあたしの心」とか。「そんなわけないけどあたし自分だけはずっと16だと思ってた」って、本当に私も、自分だけはずっと16歳だと思っていたんです。

「高校・大学時代の読書」

――その後の創作活動はいかがでしたか。

高瀬:書いてはいました。最初のうちは手書きでしたが、家に家族共有のパソコンが置かれるようになって、子ども向けのブログを作れるサービスサーバがあったので、中学生の頃からそこに小さなお話を載せたりしていました。

――中高生時代って、部活で文芸部みたいなものはなかったのですか。

高瀬:中学校は文芸部がなくて、本の話は先ほどもお話した近所の本好きの友達や、同じ学年の本好きの子と話す程度でした。小説は一人でこそこそ書いていました。
 高校では文芸部があったので、運動部にも入りつつ、文芸部に入っていたんですけれど、ほとんど活動がなかったんです。書きたい人が家で書いて、年に1回文化祭の時にそれを集めて部誌を作るので、年に1週間くらいしか活動期間がありませんでした。もう部員も憶えていないですし、向こうも憶えていないと思います。何人いたのかももう記憶が曖昧です。でも、その部誌は絶対に人に見られたくないです。見られるのが本当に怖いです。

――運動部にも入っていたのですか。

高瀬:はじめは文芸部だけに入っていたんですが、活動がなかったので違う部活にも入ろうと思い、競技登山部に入りました。

――山に登るだけでなく、競技をするということですか。

高瀬:大会があって、4人1チームで、15キロの荷物を背負って1泊2日か2泊3日で競技をするんです。特区という区間では4人で合計50キロ以上の荷物を背負って時間を競ってわーっと走って登ったり、頂上では4分以内でテントを立てて、ペグがちゃんと打ち込まれていないと減点で、カレーを作る際には1泊2日歩くのに足りるカロリーがちゃんとあるかを考えないといけないとか、天気図をちゃんと書けるかどうかとか...。その経験を活かして後に登山競技の話を書いて坊っちゃん文学賞に出しましたが落選しました。

――普段から山に登っていたんですか。

高瀬:四国は山がいっぱいあるので困りませんでした。練習の時も、自転車でぴゅーっと近所の山に行って登っていました。田舎ならではですよね。

――楽しそう。特区だけは辛そうですが(笑)。

高瀬:楽しかったです。私は速く走るとか、ボールのパスとかは苦手なんですけれど、山は頑張れば登れるので。運動は球技などよりも、マラソンとか登山のほうが好きでした。

――高校卒業後は、どのように進路を決めたのですか。

高瀬:進路はあまり考えていなくて、本が好きだから文学部でしょう、と先生に言われて文学部に行きました。ちゃんと調べればよかったんですけれど、ちゃんと調べても文学部を選んだ気がします。

――そこで一人暮らしが始まったわけですね。

高瀬:はい。愛媛から京都の立命館大学に進学して、半年くらいは友達0人で、夜は一人で本を読んでいました。そうすると、実家で家族がいるところで読む本と、大声を出しても一人の部屋で読む本では、なにか違う感じがしました。だから金原ひとみさんの本を読んで体調が悪くなったのかもしれません...。でも、大学の図書館はやっぱり充実していたので、お金もなかったのでいっぱい借りて読めたのはよかったです。そのうちに友達ができて、お互いの部屋に泊まりにいったり鍋をしたり、わいわい騒げるようなったんですけれど。

――文芸サークルにも入ったのですよね?

高瀬:はい。文芸サークルに入って、大学のコピー機を使った手作りの雑誌を作っていました。これまでも本が好きな友達はいたし、小説を書いてみたりしている子はいたんですけれど、ここではじめて本格的に小説を書いている友達ができました。
 私は大学生になってから文芸誌というものを知ったんです。田舎の本屋さんにもあったのかもしれないけれど手を伸ばせていなくて、ある日サークルの先輩が何か持っていて、「それなんですか」と訊いたら文芸誌だったんです。たぶん「新潮」でした。表紙に知っている作家さんの名前が書いてあって、雑誌だと言われてびっくりしました。よくよく教えてもらったところ、大学の生協に「新潮」や「文學界」が置いてあると知って。ただ、お金がなくて毎月は買えなかったです。好きな作家が載った時だけ買ったり、先輩に借りたり、図書館で借りて読んでいました。

――そこで純文学の新人賞なども知ったわけですか。

高瀬:そうなんです。小説家になるための新人賞ってこういう雑誌が募集しているのかと知りました。子どもの頃から小説家になりなかったのに、その知識を得たのが大学生になってからだったんです。小中高の頃は「公募ガイド」を買って、「小学生応募可」の規定枚数30枚くらいの賞を探したり、ティーンズハートの文庫の巻末に載っている募集要項を見て、こういうのがあるんだと思っていた程度だったので、純文学の作家になる方法はそこではじめて知りました。それで大学2年生の時にはじめて応募しました。その時はなんとなく、純文学が書きたくて、応募先は締切と枚数で決めただけでした。たぶん新潮新人賞だったと思います。それは記念受験みたいなものでした。

――その頃は、どのような作品を読んでいたのですか。

高瀬:サークルの人や文学部の本が好きな人の影響で、小川洋子さんとか平野啓一郎さんを読みました。
 小川さんは、最初に『ミーナの行進』を読んだんです。あれは兵庫県の芦屋が舞台ですよね。大学が京都だったので、兵庫に芦屋があるらしいと知り、よく分からないまま兵庫に行って、三宮で降りて芦屋はどこだろうと思って帰ってきました。ちょっと違う聖地巡礼者でした(笑)。小川さんの作品は他にもたくさん読みました。『完璧な病室』も好きだし『妊娠カレンダー』もよかったし、『シュガータイム』、『密やかな結晶』、『薬指の標本』、『ホテル・アイリス』......。『まぶた』も大好きです。あ、『ブラフマンの埋葬』も大好きですし、『最果てアーケード』も...。すみません、挙げたらきりがないですね。思い入れがあるのはやはり最初に読んだ『ミーナの行進』ですが、『まぶた』も本当に好きですね。いえ、全部好きかも。
 小川さんの作品は、金原さんの作品を読んだ時のように立てなくなるようなことはないんですが、でもなにかをずっと、こうして両手に持っているような気持ちになります(と、両掌で器のような形をつくる)。
 平野啓一郎さんは『ドーン』が好きです。サークルの先輩から、平野さんが大学の何かの授業にゲストティーチャーとしていらっしゃるという情報を得て、みんなでこっそりその授業に入って聞きました。プロの作家さんを見るのはそれがはじめてで、「わ、喋っている」と思い(笑)、それで『ドーン』を買って読んだらめっちゃ面白くて、それで好きになりました。その時に、作家っているんだ、って思いました。その後、三浦しをんさんが大学の学祭かなにかの講演会でいらして、「三浦しをんさんって実在するんだ」と思って。森見登美彦さんも、サークルの人が誘ってくれて、大阪であったトークイベントに行って、「実在するんだ」と思いました。

――サークルの人といろいろ情報交換できるのがいいですね。

高瀬:そうですね。私は海外文学を読まないままきていて、カズオ・イシグロさんも名前だけ知っていたんですが、サークルの人に「絶対に読んだほうがいい」と言われて『日の名残り』から入って全部読みました。有名作家も知らなくて、アゴタ・クリストフの『悪童日記』も学科の中で大流行りしていたので私も読みました。『カラマーゾフの兄弟』は二十歳の誕生日にまでに読むという目標を立てて、一生懸命新潮文庫の上中下巻を読みました。上巻が苦しく、中巻はそれがマヒして、下巻は入り込んで3日くらいで読みました。なぜかこの時、『百年の孤独』も買ったんですよね。装丁も綺麗だし、格好いいし、バイト代も入ったから、と思って買ったんですが、ちょっとだけ読んで難しいなと感じて、そこから10年読まなかったんですよ。今思うとそんなに難しい文章じゃないんですけれど、登場人物が分からなくなったんですよね。

――一族の話で、同じ名前の人物がたくさん出てきますものね。

高瀬:それで諦めてしまったんです。でも格好いい本なので引っ越すたびに連れていって、去年読み終えました。めちゃくちゃ面白かったです。なぜもっと早く読まなかったんだ、と思いました。

――大学の専攻は、創作と繋がるようなものを選んでいたのですか?

高瀬:いえ、哲学専攻でした。私、小説は大好きなんですけれど、当時は、作家に関する情報は本の奥付に書いてある数行で充分だと思っていたんです。日本文学専攻になると作家研究をすると聞いて、それは困るなと思って行かなかったんですね。英語が苦手だから英米文学でもないし、どうしよう、あ、哲学にしよう、と...。
 大学は本当に楽しかったんです。大学から徒歩すぐの学生アパートに住んでいたので、授業のない日も大学に行って学食でご飯を食べて、哲学科の共同研究室でだらだらと本を読んで、ノートパソコンで小説や卒論を書いて、図書館に行って。そうした毎日がとても楽しかったのですが、残念ながら真面目な学生ではなかったです...。

「社会人になってからの執筆と読書」

――卒業後は、就職しつつ小説の応募を続けていったわけですか。

高瀬:はい。就職して、そのタイミングで東京に来ました。投稿は年1回頑張ろうと決めて、3月締切の新人賞に応募していました。それなら働きながらも出すことができました。
 私はデビューが31歳の時だったんですけれど、20代後半くらいまでは傾向と対策を考えずに、1年かけて書いて、3月までに出来上がったら「すばる」とか「新潮」とか「文藝」とかの新人賞に送る、という感じでした。「文學界」も何回か出したかな。「群像」の新人賞は秋が締切なので出さなかったんです。島本理生さんの出身の賞で、ずっと心にはあったのに。
 それ以外に、短篇の賞に出したこともあります。林芙美子文学賞とか。地元である愛媛の坊っちゃん文学賞も今はショートショートの賞ですが、昔は中長篇を募集していたので、先ほど言いましたように登山の話を書いて出したりしていました。太宰治賞も原稿用紙50枚から応募できたので出したことがありました。全部落ちていましたが。
 登山の話は青春小説ですが、他は純文学と思われるものを書いていました。ただ、賞に応募するつもりもなく、書きたくて書いて同人誌に載せたものには、SFっぽいものもありました。二日酔いになるほどお酒を飲んだらタイムリープできるという話で、タイトルは「しらふではいられない」っていう(笑)。そうしたエンタメっぽいものは、書いたら気がすむというか。今でもずっと書きたくなるのはたぶん純文学です。「たぶん」とつけてしまうのは、純文学とは何なのかよく分かっていないからですけれど。

――社会人になってからの読書生活は、新人賞を意識しての読書でしたか、それとも趣味の読書でしたか。

高瀬:ずっとずっと趣味の読書です。新人賞の受賞作も読みましたが、それも勉強するぞ、というよりは、「さあ今年も出ました新人賞」みたいなお祭り気分で、本当にただの読者として楽しみに読んでいました。
 私はすばる文学賞を第43回の時に受賞したんですが、4回前の第39回の受賞作が黒名ひろみさんの『温泉妖精』で、これも出た時にお祭り気分で読んで「めっちゃ面白い、めっちゃ面白い!」となって、それがきっかけですばる文学賞に応募することが多くなったんです。

――『温泉妖精』の本もお持ちくださったんですね。帯の惹句が「美容整形を繰り返す27歳の女。無職クレーマーの中年男。温泉宿で出会ったふたりを待つ、驚きの入浴体験!」......って、なんだろう面白そう。

高瀬:美容整形でアメリカ人っぽい顔にしてカラーコンタクトを入れて、外国人のふりをして温泉宿に泊まるのが趣味の女性がいるんです。彼女は温泉マイスターのゲルググのファンで、ゲルググがブログで紹介している宿に行ったら......という話です。すごく面白いんです。でも2作目を出されてなくて、この作品だけなんです。

――他に、好きだった作家や作品は。

高瀬:村田沙耶香さんは、『地球星人』も『生命式』も好きだし、こないだ『信仰』を読んで「めちゃくちゃ面白い!」となりました。本谷有希子さんは、社会人になった頃に『ぬるい毒』を読んで「やばい」と思い、『静かに、ねぇ、静かに』も大好きで。今村夏子さんはデビュー作の『こちらあみ子』の頃から大好きです。今年出た『とんこつQ&A』も最高でした。それと、大好きなのが宇佐見りんさん。宇佐見さんと遠野遥さんと私は同じ時期にデビューして、おふたりともあっという間に遠いところに行ってしまって、私はただのファンとして好きです。『推し、燃ゆ』も好きですし、『くるまの娘』は本当にもう最高です。エンタメだと、澤村伊智さんのホラー小説が好きです。

――澤村伊智さんといいますと、『ぼぎわんが、来る』から始まる比嘉姉妹シリーズとか?

高瀬:そうですそうです! 今度新刊が出ますよね?

――出ますよね! 比嘉姉妹シリーズの長篇『ばくうどの悪夢』。このインタビュー記事がアップされる時にはもう刊行されてます。

高瀬:シリーズ全部、大好きです。ノンシリーズの短篇集も好きで、『ひとんち』とか『ファミリーランド』とかめちゃくちゃ面白くて。澤村さんは、森博嗣作品にハマっていた時と同じ感じです。新刊情報が出たらスクリーンショットを撮って、発売日に書店に行って買っています。
 それと、小川哲さんの『ゲームの王国』が大好きで。フィクションだけれどもノンフィクションみたいで、"ノンフィクションフィクション"のような気持ち。上下巻ですけれど、自分で4セットくらい買って人にあげていました。いま『地図と拳』を読んでいます。
 それと、古谷田奈月さんも大好きです。『神前酔狂宴』と、「無限の玄」が好きです。「無限の玄」は、お父さんの玄さんが死んでも死んでも戻ってくるんですよね。暗いし怖いし、なのに明るくて。自分の嫌な気持ちが刺激されるんでけれど、「嫌でしょう~~?」ではなくて、「ヤでしょ?」「ヤでしょ?」って、軽いジャブでやられている気持ちになります。めちゃくちゃ好きです。
 それと、2021年、コロナ禍で小野不由美さんの『十二国記』シリーズをはじめて読みました。今まで読んでいないなんてそんな馬鹿な、という感じですよね? まわりがみんな読んでいたのに、なぜか私は読んでこなくて、でもいつ本屋さんに行ってもあるじゃないですか。読まなきゃいけない時がきたと思って、とりあえず3冊くらい買って読んだら、もう、なんで私は中高生の時にこれを読んでいなかったんだろうと後悔しながら、でもその頃に読まなかったから今こうしてはじめて読めて幸せだと思いながら、結局一気に読みました。最高でした。やはり量があるので、読んでいる間自分の小説は全然書けなかったんですけれど、でもどうしても読みたくて、書かずに読んでいました。

――海外小説とか、ノンフィクションはいかがですか。

高瀬:韓国文学の翻訳が増えてありがたい、という気持ちです。ハン・ガンさんの『菜食主義者』とか、キム・グミさんの『あまりにも真昼の恋愛』とか。最初図書館で借りたんですけれども、面白過ぎると思って買いに行きました。
 小説以外では、社会人になってほんのり読み始めたのが武田砂鉄さん。『マチズモを削り取れ』は毎回、編集者のKさんが武田さんに今この社会にあるマチズモに関する檄文を送って、そこから武田さんが考察を重ねていく。Kさんは私の最初の担当者だったので、本屋さんで見つけた時に「あ、Kさんが言ってたやつだ」と思って買ったら、1行ごとに唸りをあげたくなる気持ちになり、一気に読み終えました。いろんな人に読んだほうがいいよと言いたくなって、今、家に2冊あります。

――気に入った本は人に配るという習慣なんですね。

高瀬:はい。それと、上野千鶴子さんと鈴木涼美さんの『往復書簡 限界から始まる』。櫻木みわさんに薦めていただいて、往復書簡のリズムにあわせて読んでみることにして半年くらいかけてゆっくりゆっくり、3、4ページずつ読んでいたんですが、最後のほうになるとやはり一気に読んでしまいました。ゆっくり読んだせいか、勝手に上野さんと鈴木さんと知っている気になりました(笑)。
 ノンフィクションは他に、『ハイパーハードボイルドグルメリポート』とか、担当者さんに薦められた『中動態の世界』とか。なぜか打ち合わせの時に薦められたんです。

「現在の日常、自作について」

――今も、会社勤めされているんですよね。2019年に『犬のかたちをしているもの』でデビューした頃は社内の人は知らなかったとか。

高瀬:そうなんです。デビューして2年半くらいは隠していました。でも『水たまりで息をする』が芥川賞候補になった頃に少しばれ、今年芥川賞を受賞したことで、全部ばれました。

――そして3作目の『おいしいごはんが食べられますように』で芥川賞を受賞されて。

高瀬:会社で「おめでとう」と言われると「迷惑かけないように頑張ります」と言っているんですが、本当に、すごくそう思っています。

――今、平日はどのように過ごされているのですか。

高瀬:朝はギリギリまで寝て、でも遅刻はせず2分前とか滑り込みセーフで出勤して、今の時期は7、8時くらいまでに退勤しまして、そこから図書館に行くかカフェに行くことが多いです。行く前に廊下でおにぎりかパンを食べてお茶をがっと飲んで、お腹が鳴らないようにして。そこで9時半か10時前くらいまで書いて、帰宅してYouTubeを見て、編集者の方とかへのメールの返信をして、もうちょっと書こうとして2、3行書いて、いやもうやめようと思ってパソコンを閉じて寝ます。

――どんなYouTubeを見るんですか。

高瀬:カプリティオチャンネル。クイズ王の古川洋平さんがクイズをしている番組です。私は全然解けないし、最初から解く気はなくて、人が解いているのを見るのが好きなんです。すごく心安らぎます。問題文がまだ5文字くらいしか読まれていないのにパンと押して回答するのを見て「へええ」と思ったりして。あとは犬動画をよく観ます。

――以前、サークルの人に「男性主人公が下手だね」と言われたから女性主人公を書くようになったとおっしゃっていましたが、『おいしいごはんが食べられますように』の主人公の一人は男性の二谷ですね。

高瀬:そうなんです。デビュー前から書いたものをサークルの人たちに読んでもらっていたんですが、総じて男性主人公が下手である、と言われていました。それで、男性主人公が書けるようになりたいなというスタートで、二谷が誕生しました。物語の前に、二谷さんがいたんです。

――仕事はできないけれどみんなから配慮されている芦川さんや、その様子に釈然としない頑張り屋の押尾さんという女性たちは後から出てきたんですね。

高瀬:二谷がつきあうならこういう感じだろうと考えていきました。二谷は絶対に対等な女性ではなく、下に見ることができる女性を選ぶだろうな、とか。女の人側も、対等に話しましょうというタイプでない人だろう、というところで芦川さんを考えました。下に見られるとブチ切れそうな押尾さんは最後に生まれました。

――作中、芦川さんの視点がないところが絶妙だなと思って。何をどこまで考えているのか、あるいは考えていないのかが掴みづらい感じがすごく出ていますよね。じゃあ、男性主人公ということが先にあって、職場小説というのは後から出てきたんですね。

高瀬:そうですね、とりあえず二谷を動かそうと思ったんです。家にいる時間をたくさん書くようりも職場のほうが書きやすかったので会社に行ってもらいました。職場の描写のほうが性別があまり関係ないというか、隣でデータ処理しているのが男性でも女性でもいいので、会社のシーンは書きやすかったんです。それで、あ、この人職場恋愛しそう、と思って。二谷は恋人を作っても職場の人には黙っているだろうけれど、でもバレてるでしょう、などと作者の立場からツッコミを入れたりして。なにかの要素を差し入れると二谷がうまく乗っかって動いてくれる感じでした。

――事前にプロットを作るというよりも、書きながら一行先を考えていく感じですか。

高瀬:書きながら考えます。なので、最初のほうに書いたものはだいだい使えないんです。『おいしいごはんが食べられますように』の時も、最初は二谷のキャラクターも定まっていないし、職場の部屋の配置もぐちゃぐちゃだし、何の職場かも定まってない状態でした。だんだん二谷が何者か分かってきて、次に芦川さんが何者かが分かってきて、ようやく人物として動き出したところから使えるものを切り取っていきます。

――デビュー作の『犬のかたちをしているもの』は、セックスレスだった恋人が他で関係を持った女性が妊娠し、その女性に「子どもをもらってほしい」と言われ、さあどうなる、という話ですよね。あの作品も、どうなるか分からないまま書き進めたわけですか。

高瀬:そうですね。恋人が浮気して、子どもができて、もらってくれ、までは決まっていて、あとは本当に、主人公の薫はどうするんだろうとか、恋人の郁也は頼りないなとか、考えながら書いていました。

――途中、薫さんは、昔飼っていた犬に対する無条件の愛情と、他人に対する愛情は何が違うのか考えますね。高瀬さんもさきほど、犬を散歩させた話をされていたなと思って。

高瀬:あの部分は、自分が小さい頃犬を飼っていた気持ちをそのまま書きました。私が大学卒業する頃くらいまで、15歳くらいまで生きてくれた、その子のことをそのまま書きました。

――『水たまりで息をする』の、突然夫がお風呂に入らなくなった、というのはどういう発想だったのですか。

高瀬:あれはたまたま、その時期に好きだなと思って読んでいた何冊かの小説が、いってみればお風呂に入らない側の人の話だったんです。自分自身がうまく現代社会に適合できなくて困っている側の話で、連続で読んだせいか、「でも私は毎日朝起きて遅刻せずに会社に行って残業もしてわりと真面目にやって適合しちゃってるな」って思ったんですよね。内面でいろいろ考えてはいるけれど、外から見た時、私はすごく適合している。そういう人間を書こうというのが先にあって、それが妻になりました。「この人が主人公だとどうしたらいいか分からない」「じゃあ相手役として社会からポンとずれた人を書こう」「夫にしよう」「ずれるって何かな」「お風呂に入らない、かな」という発想の流れでした。夫が、これまでのように会社に行くし、言動も変わらない、でもお風呂にだけ入らないとなったらどうなるかなと思って書きました。

――じゃあ、あのラストはまったくイメージしてなかったんですか。

高瀬:ぜんぜん。

――へええ。どの作品もちゃんと着地していて、すごいなと思いました今。

高瀬:着地しなかったものはセルフボツなので(笑)。

――これまでの3作品を読むと、今の時代の社会や人間関係の何かざらつく感じ掬い取る作家というイメージも強いかと思います。ご自身では、どんなものを書いていきたいとか、どういう思いでしょうか。

高瀬:このテーマを書きたいというものは明確にはなくて。ただ、日々家から一歩出ただけでイライラするしむかついてしまうんですが、なんでイライラするんだろうとか、なんでこれが嫌なんだろうとか考えるのが好きなんですね。なにか、そういうイライラを逃さないぞ、それを書くぞ、っていう気持ちがあるので、今後もしばらくは現代人の話を書くのかなと思っています。
 ただ、ファンタジーへの憧れはあるんです。それと、怖い話。お化けが好きなので、お化けの話をいつか死ぬまでに書きたいです。

――『ぼぎわんが、来る』みたいな?

高瀬:あんな素晴らしい作品が先にあるのかと思うと、自分が書かなくてもいいかなと思うんですけれど。

――今後の作品発表予定は。

高瀬:「群像」12月号に短篇が載っています。恋愛特集なので、たまにはハートフルな話をと思って.........すみません、ハートフルは嘘です(笑)。