二〇二二年の状況は、やはり新型コロナウイルスの影響抜きには語れない。そのために進んだ社会の分断、深刻化した不況が人々の心には影を落としたままだ。時代をいかに切り取るかという姿勢がミステリーというジャンルでも問われている。
有栖川有栖『捜査線上の夕映え』は、犯罪社会学者・火村英生を探偵役とし、作者と同姓同名の作家、アリスこと有栖川有栖が語り手を務めるシリーズの最新長篇(へん)だ。冒頭、マスク姿のアリスが小旅行を試みる。作中でもやはり新型コロナウイルスが猛威を振るっているのだ。
扱われるのは、あるマンション内の撲殺事件である。監視カメラを調べても不審人物が出入りした形跡がなく捜査は暗礁に乗り上げかける。この警察の捜査会議もやはり密集を避けた形で行われるのである。同時代が描かれているということを絶えず意識させられる小説だ。
閉塞(へいそく)的な空気の中で物語は進んでいくが、突如心を解放してくれるような情景が描かれる。そこから事件は解決に向けて突き進んでいくのだ。この演出が何を意図しているか、あえて説明する必要はないだろう。
カルトを舞台に
現在流行しているミステリーのジャンルに特殊設定ものがある。舞台設定の中に現実とは異なる要素を紛れ込ませる。それによって論理の幅を広げ、探偵に魅力的な推理を行わせるのが狙いだ。白井智之はその特殊設定ものの名手だが、新作『名探偵のいけにえ』は加工のない現実を舞台に用いた。しかし、世界を切り取るやり方に趣向がある。視線の偏光化とでも言いたくなるこの工夫によって、物語は魅力的なものになった。
主人公である私立探偵の大塒宗(おおとやたかし)には、有森りり子という助手がいる。母親の信仰のため家庭が崩壊した彼女はカルト宗教を深く憎んでおり、ガイアナで活動する怪しげな団体を調べるため旅立ってしまう。有森と彼女を追って現地入りした大塒の二人は、そのカルト団体内で起きる連続殺人事件に巻き込まれるのである。終盤では百ページ以上にわたって探偵による推理が展開される。凄(すさ)まじい熱力の籠(こも)った意欲作だ。
世界を変える力
翻訳作品ではクリス・ウィタカー『われら闇より天を見る』を第一に推したい。女性の立場から社会の歪(ゆが)んだ部分を指摘する作品がここ数年読者の支持を集めている。本作もそうした要素のある作品で、酒と薬物におぼれる母親を、それでも深く愛する十三歳の少女ダッチェスが重要な視点人物になる。
ある事件が起きてダッチェスの孤独は深まるが、自分を追い詰める社会に対し彼女は怒りを燃やし続けようとするのである。三十年の時を間に挟んで起きた二つの変死事件にまつわる忌まわしい因果を断ち切ることが主軸となる作品であり、小さな共同体内の閉鎖的な人間関係が丹念に描かれる。どこにも行くことのできないという諦念(ていねん)に取りつかれた人々の話でもあるのだ。自分には世界を変える力はないと感じている人にぜひお薦めしたい小説で、結末には曙光(しょこう)を見るような思いがした。
尊厳失わぬため
優れた作品が多数書かれたことで北欧ミステリーは世界から注目されるようになった。スウェーデン作家ニクラス・ナット・オ・ダーグの『1795』は、『1793』から続く十八世紀末を舞台とした三部作の完結篇である。この時代、フランス革命が勃発した影響もあってスウェーデンの政治情勢は混迷を深めており、そのために市民は苦しい暮らしを強いられていたのである。
本作において強い印象を残すのは苛酷な運命に翻弄されるヒロイン、アンナ・スティーナだ。社会の分断が物語の根底にある。強者は他者を食い物にしようとする。しかしそれに負けず、打ちのめされてなお、人を愛することを止(や)めないアンナのような、尊厳を失わずに済む生き方を模索しようとする者が現れる。両者の闘争を通じ、社会が犯罪を生み出すというのはどういうことかが描かれるのだ。
過去の物語ながら、現在の自分を重ねて読みたくなる。戦争など痛ましいことが進行中の現在だからこそ手に取りたい、心に必要な芯を与えてくれる作品である。=朝日新聞2022年12月10日掲載