1. HOME
  2. コラム
  3. ブックエンド
  4. 井上ひさし「うま 馬に乗ってこの世の外へ」 魂を預けるなんてとんでもない

井上ひさし「うま 馬に乗ってこの世の外へ」 魂を預けるなんてとんでもない

 テレビの鑑定番組に持ち込まれた原稿が、作家・井上ひさし(1934~2010)の未発表戯曲とわかったのは昨年3月。それが本になったのが『うま 馬に乗ってこの世の外へ』だ。20代半ばに書かれたというが、意表を突く展開と笑い、カネや権力のある者に従わぬ姿勢など、井上作品の骨格がうかがえる。

 戦国時代、羽前の国(今の山形県)に、馬と老母を連れて、主人公の太郎がやってきた。強欲な馬地主や村人たちを相手に、口から出まかせの嘘(うそ)や機転で渡り合い、大金を巻き上げる。「悪漢」の痛快な物語だ。

 本書の解説によれば、『遠野物語』の語り手、佐々木喜善(きぜん)が収集した昔話「馬喰八十八(ばくろうやそはち)」がもとになっている。読み比べると、井上の工夫がわかる(ちなみに、「八十八」の俳号を持つ落語家・桂米朝が復活させた「算段の平兵衛」にも、悪党が躍動する似たエピソードがあった)。

 鮮烈なのは、終幕近く、太郎が追いつめられる場面だ。観音像が口を開き、たすけようと言うが、太郎は「魂を預けるなんてとんでもないはなしだ」と断る。「わたしはね、いつも自分の主人でいたいんです」

 60年以上前に書かれたこの言葉。何かに「魂を預け」、自ら「主人」であることをやめていないか。問いは今も生きている。(石田祐樹)=朝日新聞2023年1月21日掲載