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記憶という暴君 自己とは、突きつける問い 翻訳家・文芸評論家・鴻巣友季子〈朝日新聞文芸時評22年12月〉

青木野枝 水天14

 記憶というのは、暴君だ。肝心なものは消え、余計なものが甦(よみがえ)ってきて人をいたぶる。記憶の制御不能さを、ある作家は「無慈悲な記憶に包囲されながら持ち堪(こた)えていくのが老いというものだ」と表現した。一方、記憶は個人を個人たらしめるものであり、だから記憶・記録の抹消(メモリサイド)という行為は作家の創造性を誘発する。カズオ・イシグロの、戦争後の和平下で蔓延(まんえん)する歴史健忘症を描く『忘れられた巨人』や、小川洋子の、失(な)くすべき記憶を失くせない者を「秘密警察」が取り締まる『密(ひそ)やかな結晶』……。

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 今月は、台湾、チベット、ベトナムなどアジア作家9人が「絶縁」というテーマで寄稿したアンソロジー『絶縁』(チョン・セラン他、小学館)が目を引いたが、村田沙耶香「無」は記憶と忘却、そして自己を明け渡すことを描いて精彩を放つ。
 時代と共に生き方の主流も変わる。語り手の一人白倉美代が育ったのは「リッチナチュラル」志向の時代だが、娘の世代には「無」が尊ばれている。「無街」では感情、言語、自分の名前まで忘れることを目指すものの、ここでも忘却の達成度などで優劣は生まれてしまう。
 美代は「老後のための家畜」にするため娘を産んだとさらりと言うが、自分の方が家畜のように酷使され、底知れぬ心の洞(うつお)を抱えて「無」の巫女(みこ)と化す。終盤、彼女の理想的な姿をトレースしようと人びとが群がるさまに、カルト宗教のそれを彷彿(ほうふつ)とした。資本主義メリトクラシーへの批判と、そのカウンターカルチャーへの諷刺(ふうし)、信心そのものへの疑義などを多重音声で、主旋律を交代させながら響かせるのが村田らしい。
 他にも、中国の郝景芳(ハオジンファン)「ポジティブレンガ」は、自然な喜怒哀楽を忘れさせられる超管理社会をやや戯画的に物語り、香港の韓麗珠(ホンライチュー)「秘密警察」は、「流砂」のように脆(もろ)い記憶と秘密を燃やそうとする人びとを描き、タイのウィワット・ルートウィワットウォンサー「燃える」は内戦下の「闘争の赤子」たちを複雑な投影法で見せて印象に残った。
 遺伝子操作や環境破壊などの社会問題を材にとるリチャード・パワーズの小説には、しばしば倫理と審美性との際どい対峙(たいじ)があるが、最新作『惑う星』(木原善彦訳、新潮社)も同様だ。科学とその探究が国家権力によって弱体化させられた米国。宇宙生物学者の幼い息子ロビンには発達に特性があり、実験的治療を受ける。この療法は、目標の脳活動パターンに被験者を近づけていくことで、ネガティブな記憶を遠のかせ、好ましい感情へと誘導するものらしい。ロビンは心の強い亡母の記憶をトレースし、自分をそれに似せていく。その結果、温和で才能ある環境保護運動家として著名になるが、科学探究を踏みつけにする国の介入が起き、『アルジャーノンに花束を』を彷彿とさせる事態に陥る。
 「個人とは何か?」という古典的存在論のみならず、すでに私たちが直面している生命倫理への問いを一層鋭く突きつけてくる。

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 小川哲『君のクイズ』(朝日新聞出版)は、クイズの問題文が一字も読まれないうちに正解して優勝した出場者の謎を解く異色の小説。クイズは生きている。それはクイズが記憶という生き物を土台にしているからだ。決勝戦に敗れた主人公は勝者の記憶のメカニズム、ひいてはその人は何者かという謎に分け入っていく。純粋ロジックと社会学的洞察の睨(にら)み合い。問題文の小さな助詞の「も」から正解に達するスリル。解答者と人生の交接点の数だけ正解が生まれる。「知」とはその先にある「未知」の予告に他ならない。一度揺さぶられた信念が立て直されるラストが爽快だった。
 記憶のいたずらな侵入性を書くことにかけては、小山田浩子は傑出している。「赤い猫」(新潮1月号)では、救急車で運ばれた夫の検査を待つ語り手が、気がつくと、子ども時代の回想に入りこんでいる。目にしたら死ぬという言い伝えの赤い猫。足下にまとわりつく感触が生々しい。詩人M・ムーアが言った「想像の庭に現実のヒキガエルがいる」とはこういうことだろう。
 井戸川射子『この世の喜びよ』(講談社)表題作も、モールの喪服店に勤める女性がいつも独りでいる少女とふれあうなか、自分の娘たちの年若い頃を思いだす。“包囲する記憶”の仮借なさをもっと書いてほしかったとも思うが、思い出の折よいおとないに幸福を覚える読書だった。=朝日新聞2022年12月28日掲載