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阿部暁子さんの読んできた本たち 「鎌倉書房」出版後、伝説の編集者に頼んだ「ミステリー講座」(後編)

>【前編】「阿部暁子さんの読んできた本たち 初めて本格的に書いた小説は、源頼朝と義経の短編だった」はこちら

「ミステリーが書けなくて」

――プロの小説家となって、第2章に入るわけですね(笑)。

阿部:第2章は、ロマン大賞表彰式から始まります(笑)。選考委員のおひとりがすごく推してくださったんですけれど、表彰式で「3冊出しても売れなかったら干されるよ」って言われたんです。
 それで、3冊出して売れなかったんですよ。デビュー作が『屋上ボーイズ』、2冊目が『室町少年草子 獅子と暗躍の皇子』という時代もので、3冊目が『戦国恋歌 眠れる覇王』という信長と濃姫の話で、ぜんぜん売れなくて。どうしようと思いました。
 今思うと、当然なんです。私は読者のニーズに応えられていなかったし、面白い物語を作ることもできていなかった。でも、当時はなぜ駄目なのかまったく分からなかったんです。ありがたいことに3冊目以降も執筆のお話はもらえたんですけれども、出しても売れないだろうっていうのが自分でも分かってしまっているので、なにを書いたらいいのか分からなくなってしまったんですね。
 書けば書くほど駄目になってしまって、担当さんに「申し訳ないけれど新人賞に応募してくるアマチュアの原稿みたい」って言われ、それがものすごくショックで。それで一度完全に、書けなくなりました。
 その時に、咲坂伊緒さんの漫画『ストロボ・エッジ』のノベライズの仕事をいただいたんです。ありがたいことにノベライズは原作の方にも「いい」と言っていただけたし、読んだ人にも「面白い」と言っていただけたんですけれど、自分の小説は書けないままでした。
 それで、とにかく読者のニーズに応えるものが書けるようにならなきゃと思い、苦手だった恋愛を研究しようと思ってたどり着いたのが、ハーレクイン小説と韓流ドラマでした。

――勉強になりましたか?

阿部:なりました。それまで恋愛にあまり興味がなかったんですけれど、ちゃんと素敵で面白いんだなと思って。ハーレクインは、恋に落ちる過程がすごく丁寧に書かれているのが印象的でした。ハーレクインですから男女の営みの部分もあったりするんですけれど、そういうのが読みたいと思うのは人間にとって自然なことかもしれない、と人に対して寛容になっていったかもしれません。
 なかでもリンダ・ハワードさんという作者が、男女の恋愛話だけでなく、すごく豊かなドキドキ、ハラハラ、ワクワクする話を書かれるんです。彼女の作品はいくつも読みました。
 それと、同時進行で読んでいたのが荻原規子さん。『空色勾玉』のシリーズをはじめて読んだら、これがもうすごく面白かったんですよね。そこから荻原さんの作品を読みまくりました。上橋菜穂子さん、佐藤多佳子さんとの対談集『三人寄れば、物語のことを』も面白かったです。それでエッセイを読んでいたら、ダイアナ・ウィン・ジョーンズが好きだと書かれてあったんです。ジブリ映画「ハウルの動く城」の原作者だと知って、そこからこの人の作品も読むようになり、すごく影響を受けました。

――影響というのは。

阿部:登場人物がとにかく可愛いいんです。人が魅力的ってこういうことなんだな、というのがダイアナ・ウィン・ジョーンズの物語を読んで持った感想です。ああ、私もこういう可愛い人たちの話、愛しいと思わせるものを書きたい、と、だんだん自分の話を書く気力が戻ってきました。

――気力が戻ってきてよかった!

阿部:これもまた運がよかったんですけれど、何年もノベライズしか書けていない状態が続いて、その間ずっと本を読んでいるうちに、「オレンジ文庫が創刊されるので阿部さんも何か書きませんか」と言ってもらったんです。私は安請け合いとはったりと見切り発車で出来ているので、「はい、やります」って(笑)。「いい話で、ミステリー要素のあるものを書いてください」と言われ、「やりますできますおまかせください」と引き受け、『鎌倉香房メモリーズ』というシリーズを書きはじめたんですけれど、それまで私が読んだミステリーといえば、伊坂幸太郎さんくらいで、ぜんぜんどう書いたらいいのか分かっていなかったんです。

――ではそこからミステリーの勉強をしたりとか?

阿部:編集者に勧められた『ビブリア古書堂の事件手帖』シリーズを読んで「すごく面白い!求められているのはこういうものなんだな」と思いました。それでなんとか書いていたんですけれど、いやなんかもう、圧倒的にミステリーを書くための力がないなというのを痛感していました。

――『鎌倉香房メモリーズ』は、鎌倉で祖母が営む香り専門店を手伝う高校生の香乃が主人公。彼女は人の心の動きを香りとして感じ取る能力がありますよね。彼女が店を手伝う大学生の雪弥とともに、さまざまな事件に遭遇していくシリーズですが、そもそもなぜ鎌倉で、なぜお香をモチーフとされたのですか。

阿部:お香は、嗅覚というか、五感に対しての興味があったので選びました。それでお香をテーマにするなら京都か鎌倉がいいんじゃないかと編集者さんと話し合ったんですけど、京都を舞台にすると、私は京言葉になじみがないので、登場人物たちの言葉遣いが難しいだろうと思って。それで鎌倉を舞台にしました。

――「ビブリア古書堂」シリーズ以外に、参考のために読んだミステリーは。

阿部:私、本当に要領が悪いので、ミステリーを書かなきゃと思って最初に読んだのが、シャーロック・ホームズだったんですよね...。のちに、あれは正確に言うと本格ミステリーではないと教わって、「何と?」と思うことになるんですけれど。
 どんな作品を読んだらいいか分からないまま、さまよってあれを読んだりこれを読んだりしていました。その時に、北村薫さんの『空飛ぶ馬』のシリーズに出合って、そうだ、こういうのが書きたいんだ、と感動しました。同じ頃、書店の店頭で梓崎優さんの『叫びと祈り』を見つけて読んで、それもまた、こういうのが書きたいなと思ったりしました。
「鎌倉香房」シリーズは、自分ではミステリーを書いたつもりだったんですけれど、第1巻が出た後に読者の方々の感想を見ると「ミステリーではないが面白かった」「ミステリーではないけれどよかった」って、ほとんど「ミステリーではないけれど」という言葉が並んでいたんです。
 どうすればミステリーなのか、本当に分からなかったです。自分がミステリーとして面白く読んだ小説の感想を見に行ったら「これはミステリーではない」と書かれてあったりもしましたし。

――うーん。ミステリーの定義って、人によって多少違ったりしますよね。そして、悩みながらシリーズを書き続けていたわけですね。

阿部:はい。ある時、ツイッターでK島氏という人の、「鎌倉香房シリーズなかなか面白い」みたいなツイートを見て、「いい人だ!」と思ったんです。それでK島氏のツイートを見ていたら、「個人的なミステリー講座めいたものをしてきました」ということが書かれてあったんですよ。思わず食いついて、「私も受けたいです!」ってリプライしたんです。

――K島氏とは面識はあったのですか。

阿部:ないです。私はシャイなので、もうどれだけ必死だったかということですよね。最初は本気にとられず軽くあしらわれた感があって、それでも必死でリプライやDMを送っていたら、「本気なんですか」と訊かれ「本気です!」って。DMで「ミステリーの必要十分条件とはなんでしょう」と質問をしたら、「そんなものはないです」って返事がきたりして。

――あのう、その頃、K島氏が伊坂幸太郎さんや梓崎優さんの担当編集者だということはご存知だったのですか。

阿部:ぜんぜん知らないです。ぜんぜん知らないまま、引き受けていただいて、岩手から東京に行って、レトロな喫茶店でもうお一方とともに、K島さんにミステリーのことをいろいろ教えていただいたんです。そうしたらK島氏が「これまでに僕が担当したのはシザキユウさんとか...」と言うので「梓崎優さんと同姓同名かな」と思ったんですが、「伊坂幸太郎さんとか...」と言うので、「えっ」となって。その時にいたもう一人の方の反応と受け答えを見ていても「K島さんってすごい人なんだな」と分かりました。しかも当時の私、フーダニット、ハウダニット、ホワイダニットと言われても分からずに、きょとんと「パードン?」みたいな感じで...。

――K島氏の個別講座が受けられたなんてめちゃくちゃうらやましいのですが、どういう講座だったのですか。

阿部:ミステリーの歴史をまじえながら、なぜミステリーは「この条件を満たせばミステリーです」と一概には言えないのか、といったこととか。ここに謎があって、ここでこういう展開があって、こうするとミステリーの外形ができるっていう構造を、手帳の1ページを使って書いてくれたりもしました。それは今でもとってあって、眺めながら書いています。でも教えてもらった通りには書けていないんです。やっぱりミステリーは難しい。

――でもその後無事、鎌倉香房シリーズ全5巻、好評のうちに書き上げることができましたよね。

阿部:売れなかった頃のトラウマがすごいので、重版したと言われても喜ぶ前に「私にそんなことが起こりうるのか」と怖く思っていました。それで、毎回、いつどこで打ち切りになってもいいようにと思いながら書いていました。

――全5巻と決まっていたのですか。

阿部:いえ、はじめは4巻で終わりの予定だったんです。なので4冊目を最終巻のつもりで書いて原稿を渡したら編集部の方たちが「本当に終わるんですか?」っておっしゃってくれたんですよ。それで、「書かせてもらえるならもう1冊書きたいです」と言いました。それで、5冊目は好きなように、のびのびと書くことができました。

「憧れの作家と作品」

――書きながら、他のミステリーを読んだりしました?

阿部:はい。さきほども挙げた北村薫さんの円紫さんのシリーズとか、鮎川哲也さんの『五つの時計』とか...。いろいろ一生懸命読んだんですけれど、やはり学ぼうと思って読むと息苦しくなってしまうので、そういう時にダイアナ・ウィン・ジョーンズさんを読んだりして。上橋菜穂子さんの『精霊の守り人』を読んだのも鎌倉香房シリーズで四苦八苦している時で、ものすごく感動したんですよね。まったく違う世界の話ではあるんですけれど、そこに生きているのはやっぱり"人"であるし、私達の生活とはまったく違うはずの彼らの生活が、食器の音がするぐらい鮮明に書かれていて。
 それと、なんというか、物語の作り方からにじみ出てくる上橋さんの、世界と物語に対する誠実さみたいなものをすごく感じたんです。そうか、人を感動させる物語を書くためには、自分がろくなものじゃないままでいたら駄目なんだなと思わされました。まっとうな人間にならなくちゃ、というか。たぶん私も、書いたものに自分自身がにじみ出てしまっているんだろうなと、はっと気づかされたのが上橋さんの小説でした。
 その後、森絵都さんの小説に出合ってもう大好きになって。やっぱり森絵都さんも、物語から滲みでるカラーみたいなものがあるんです。糾弾するのでなく、「いいよ」って優しくキャッチしてくれる感じがすごく好きです。そういう物語を描きつつ、ところどころに可愛くてくすっと笑っちゃうような可笑しみがあって。こういうテイストの話を書きたいな、こういう物語を死ぬまでに書きたいなと思いながら読む作家さんになりました。

――森さんだと、好きな作品はどれになりますか。

阿部:『永遠の出口』とか。『宇宙のみなしご』も好きだし、やっぱり『つきのふね』が大好きで。あと、『風に舞いあがるビニールシート』を読んだ時は、なんかもう、すごいなあ、って...。死ぬまでにこういうのが書きたいと思いました。
 私の理想の死に方は、パソコンに書きかけの小説があって、その前でこうやって(と、突っ伏す)死んでいるのを家族に発見されることなんです。すみません、なんの話だって感じですよね(笑)。で、その時、『風に舞い上がるビニールシート』並みの小説がパソコン画面にあったらいいなと思います。

――書きかけでいいんですか。書き上げたくはないのですか。

阿部:書き上げると、出版してもらいたい、あわよくば評価されたいって思うっちゃうので意味がないわけですよ。もう、不老不死になりたいくらいに思ってしまうので駄目なんです。葛飾北斎の、もっと生きられたらもっとうまくなれるのにっていう、あの気持ちがすごく分かるんです。
 それで、鎌倉香房シリーズが一段落した頃に、『新宿鮫』に出合ってしまって...。

――へええ。シリーズ第一弾ですか。

阿部:はい。新装版が書店で平積みされていたんです。手に取って読んで、はあ~なんなのこの面白さ! って。
 面白いって最強だなと思ったんですよ。こんな若輩ミジンコの私が言うのもあれですけれど。とにかくなにより面白いって最強なんだなって思いました。
 新宿署に満身創痍で来たヤクザ真壁が、「『新宿鮫』を呼んでくれ」と言うところが、すっごく好きです(笑)。

――鎌倉香房シリーズを書いている間、ほかに執筆活動はされていましたか。

阿部:鎌倉香房の第1話を書く時とほぼ同時に、コバルト文庫の2冊目として出した『室町少年草子』を読んでくださった集英社文庫の人に、「阿部さんもう1回室町を書きませんか」と誘われたんです。繊細でとても面白い方でした。それで、「書きたいです」ってお返事して、書き始めました。その頃に、さきほどもお名前を出しましたが北方謙三さんの南北朝シリーズを読み始めたら、もう、これが面白かったんです。
 萌えが詰まっているんですよね。あんなにハードボイルドでご本人もダンディーなのに、なぜこんなにキュンキュンとするのか分からないんですけれど。それで、『破軍の星』とか『道誉なり』とか、いろいろ読みました。

――北方さんの描く萌えというのは。

阿部:たとえば『破軍の星』の主人公は北畠顕家という、お父さんが南朝の傑物の名門の生まれの16歳の公家で、美少年なんです。北方先生が断言してますので間違いなく美少年です。彼は本当に秀才で、キレッキレの切れ者なんです。彼が幼い親王を戴いて奥州にまいるわけですよね。そこで細々と生きている奥州藤原氏の末裔と会うわけですよ。その末裔が、顕家の才覚を見て、心酔していくんです。そうしたすべてに萌えがあります。私の場合、人と人が出会って、関係が結ばれていくところに魅力を感じるのかもしれません。
 やがて顕家は勝てるはずもない戦に挑むんですね。夜明けにわずかな手勢だけを率いて。しかしそこに......もう、あれは悶えました。『破軍の星』は本当に好きです。
 それで、集英社文庫で『室町繚乱 義満と世阿弥と吉野の姫君』という作品が刊行されたんですが、私にもきたんですよ。帝国ホテルで開かれる集英社のパーティの招待状が。

――集英社が主催する文学賞の贈呈式でもあるパーティですよね。

阿部:それでお邪魔したら、北方謙三先生がいるんです!!! 「あれは謙三!」と、すごく遠くからガン見していました。感動しました。担当さんから、謙三先生はサイン本の作業の時も、そばにいる人達が気まずくならないように朗らかに喋りながら書いてくれるんですよって話を聞いて、「格好いい~~~」って思って。アイドルを応援するファンの人たちの気持ち、私は北方謙三さんに置き換えるとよくわかります。米澤穂信さんに対しても、同じような感じになります。

――米澤さんは、どのあたりの作品をお読みになったのですか。

阿部:ミステリーとは何なのかを知りたくてさまよっている頃に『さよなら妖精』を読んで、「こんなにも悲しいのに美しいお話があるのか」と思いながら本を閉じたら、再び『さよなら妖精』ってタイトルが目に入って、「あああ!」となりました。こんなタイトルをつけられるなんて、一体心にどんな妖精が住んでいるのかと思いますよね。そしたらまたこれがK島さんが担当した本だと知って、なんなの? って。なにも知らずにミステリー講座をお願いしたら、後だしジャンケンのように後から後からすごい事実が出てきて、なんなの? って。伊坂幸太郎さんの『アヒルと鴨のコインロッカー』も、K島さんの担当ですよね。今気づいたんですけれど、私の新刊の『金環日蝕』は、あの作品の影響がだいぶ大きいと思うんです。

――ああ、ネタバレなので具体的なことは記事には書けませんが、なるほど。でも、そういう編集者に何も知らないまま自ら声をかけたのですから、すごい嗅覚というか運命というか。

阿部:本当にそうですね。逆に、何も知らなかったから言えたんでしょうね。「私も講座を受けたいです」ってリプライは、「千と千尋の神隠し」で千尋が「(声真似で)ここで働かせてください」って言った時みたいな気持ちで書いたんです。

「オレンジ文庫、集英社文庫での執筆」

――オレンジ文庫ではその後、オリジナル長篇としては『どこよりも遠い場所にいる君へ』と『また君と出会う未来のために』を刊行されていますよね。これは鎌倉香房シリーズとはまた違って、SF要素があって。

阿部:通称「どこ君」は、なぜ書いたのかよく憶えています。ある日私の担当さんが、「阿部さん、『ねらわれた学園』みたいなジュブナイルやりませんか」と提案してくれたんです。例によって見切り発車と安請け合いで「やります」と言った後で、眉村卓さんの『ねらわれた学園』を読みました。これもすごく面白かった。『ねらわれた学園』は未来から人が来るので、あまり被っても...と思い、過去から人が来る話にしようと思ったのがきっかけでした。
 でも、安請け合いをした自分を恨みましたね。辻褄を合わせるのがものすごく大変でした。
 タイムトラベルものはほぼ読んだことがなかったので、いろんなものも読みました。海外のSF作品も読みましたし、このあいだ新装版が出た高畑京一郎さんの『タイム・リープ あしたはきのう』もその頃に読みました。すごく面白かったです。
 それで、あまり自信がなくて売れまいと思っていたんですけれど予想外に売れて続篇を書きましょうと言ってもらって、もう無理だと思ったんですけれど口が勝手に「分かりましたやりましょう」と言っていて、「また君」を書きました。高畑さんのような技量はないので、とにかく矛盾がでない程度に時間を超えさせるのに必死でした。

――ライト文芸のレーベルであるオレンジ文庫では、書けるものも相当変わりましたか。

阿部:そうですね。コバルト文庫は私がデビューした後、恋愛が絡むものが主流だったんですが、オレンジ文庫はラインナップがすごく多彩で、「攻めてるな~」と思うものもいっぱいありますよね。色んな面白いものをたくさん世に送り出そう、というところがすごく好きです。

――その後、集英社文庫からは『パラ・スター〈Side百花〉』『パラ・スター〈Side宝良〉』を出されていますよね。これは車椅子テニスの選手と、競技用車椅子を作る親友、それぞれの視点で描かれた二部作で、話題になりました。

阿部:『室町少年草子』を出した時に、「面白いですね」と声をかけてくれて一緒に『室町繚乱』を作っていた集英社文庫の編集者が、原稿完成直後に退社されてしまったんです。その後を引き継いでくれたのが元コバルト文庫の編集者さんで、『パラ・スター』はこの人と一緒に作りました。
 東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まってから、オリンピック関連の話が書けたらいいなとぼんやり考えていました。
 そんな頃に、たまたま地元のパラスポーツのイベントに参加したんですよ。そこで元パラリンピアンの方が講演をされて、車椅子の話も聞いたんです。車椅子バスケには車椅子バスケ専用の車椅子があり、車椅子テニスにはそれ専用の車椅子があり、車椅子バトミントンにも車椅子マラソンにもそれぞれ専用の車椅子が...って。恥ずかしながら、そんなに種目に合わせて車椅子の種類があるのかと驚いたし、それを作っている人たちがいるということにもすごく惹かれました。それで、集英社文庫の担当さんに「こういうものを書きたい」とメールしたら、「いいですね、取材に行きましょう!」って即行で取材を入れてくれて。東京ビッグサイトの国際福祉機器展に行って車椅子を見て、二人でめちゃくちゃ格好いいと騒いだり、車椅子メーカーさんに行って話を聞いたり、実際に車椅子体験をしたりしながら構想を練っていきました。
 また、テニスプレイヤーの視界が知りたくて、テニス教室にも通いました。ただ、いちばん嫌いな授業はなにかを訊かれたら「体育」と即答する人生を送ってきたので、運動はまったくできないんです。熱中症をおこして倒れたりしました。同時進行で、テニス漫画の『ベイビーステップ』を全巻読んだり、ラッセル・ブラッドンの『ウィンブルドン』を読んだり...あれはすごく面白かった。『ウィンブルドン』に出合っていなかったら『パラ・スター』は書けていなかったかもしれません。
 意外とテニスものの小説って少ないんだなと、この時に分かりました。当時刊行されているものはその時にほぼほぼ読んだと思います。でも題名を憶えていないものが多くてすみません。

「『金環日蝕』で書きたかったこと」

――さて、件のK島氏が阿部さんの新刊の『金環日蝕』の担当編集者なので、今ここに同席されているわけです。私はまた、鎌倉香房シリーズを読んだK島さんが阿部さんに執筆依頼をしたのかと思っていましたが、最初はK島さんが依頼された側だったんですね(笑)。

K島氏:最初に「私も講座を受けたいです」とリプライをいただいた時は冗談や軽口だと思っていたんですが、いきなり「ミステリーの必要十分条件はなにか」と質問がきたので、これは本気かなと思いまして...。

阿部:必死だったんです。

K島氏:オレンジ文庫だから軽めのミステリーを求めてらっしゃるんだろうなと思ったんですけれど、「今までどんなミステリーを読まれたんですか」と質問したら「『大誘拐』です」って。ああ、いきなり最高峰にいってしまったのか、これは確かに、分かってなさそうだな、と。

阿部:天藤真さんの『大誘拐』はK島さんがツイートされていたので、面白そうだと思って読んだのかもしれません。その時、ほかには宮部みゆきさんの『火車』なんかも挙げましたよね。そうした、自分が読んで感銘を受けたものと、自分が求められているものをどう結び付けたらいいのかまったく分からなくて、迷子になっていました。
 でも講座を受けたりして、だんだん、「これがミステリーだ」という決まり切ったものはないんだということは分かってきました。いまだに、ミステリーは私にとってミステリー(謎)です。

――その後、K島さんから小説の執筆依頼があったわけですね。

阿部:はい。確か、鎌倉香房シリーズの第4巻を書いている頃でした。でもその時はリップサービスだろうなと思って、本気にしていなかったんです。「そんなお心遣いはいいんですよ」みたいな感じで。でも、もし本当に書かせてもらえたら嬉しいなと思い、たとえK島さんの言葉がリップサービスだとしても、何か渡しておこうと思い、『金環日蝕』の原型となるプロットをお渡ししたんです。話の流れは書いてあるものの「ここでなにか事件が起きます、詳細検討中です」と書いて、事件の内容はなにも書いていないプロットでした。

――K島さんからの執筆依頼に「こういうものを書いてほしい」という要望はあったのですか。

阿部:いいえ。私はせっかくだからミステリーを書きたいと思っているのに、K島さんは「ミステリーじゃなくていいです、なんでもいいですよ」と言うんですよ。鎌倉香房の感想で「ミステリーではないけれど」って書かれまくる作家だからミステリーじゃないほうがいいだろうって思われているのかなって深読みして、いじけた時もありました。
 でもやっぱり、コバルト文庫時代の、自分のオリジナルの話はもう書けないかもしれないという気持ちが今もずっとあって、毎回、これが最後かもしれない、って思いながら書いているんですよね。だから、K島さんとお仕事をするのも最初で最後かもしれないという思いで、書きたいものを書いておこうと思って、詐欺を題材にしました。もう思い残すことはないです、はい。

――最後だなんて言わないでください。

K島氏:あの、僕は、「ミステリーを書きましょう」と言ったら、阿部さんは絶対に引き受けないと思ったんですよ。

阿部:あ、そっか! 確かに引き受けなかったと思います。「無理です」と言って終わっていたと思います。

――『金環日蝕』は北海道に暮らす大学生の春風が主人公の一人。彼女は近所の老婦人がひったくりに遭う現場を目撃、その場にいた高校生の錬とともに犯人を追いかけるけれど、あともう少しというところで取り逃がします。でも犯人が落としたストラップに見憶えがあって...。春風と錬が一緒に犯人捜しをする一方で、やむにやまれぬ事情で詐欺に協力している大学生の理緒の話も進行します。そこから思いもよらない展開で、いろんな人たちのほの暗い事情が見えてくる。

阿部:それまでの私の主な活動場所はオレンジ文庫で、それを読んでくれた方からお話をもらって集英社文庫で『パラ・スター』を書いたりして。どちらも、自分でいうのもなんですけれど、「いい話」だと思うんですよね。明るいし、あまり重くない。
 こういう言い方が正しいのか分かりませんが、自分の場合、これまで書いてきた物語は引き算で書いているところがあるというか。人間はすごくどうしようもなく残酷になる瞬間があることを、あまり深くは書かずにきたんです。それを書かないことで一番書きたいことがキラキラする部分があるし、もちろんそれを楽しんで読んでもらえたらすごく嬉しいです。
 ただ、これまで書かずにきたものが自分の中に溜まってきたというか。それで『金環日蝕』を書いた感じがします。人間は弱いし、ずるい部分も持っていることに、K島さんから「なんでもいいですよ」と言ってただけたことで、はじめて向き合って書けたかなと思います。

――後半はぐっと重く鋭いテーマを突き付けてきますね。一方で、会話がとにかく活き活きとしていますし、コミカルで可愛いキャラクターもいて愛おしいです。

阿部:やはりそれはダイアナ・ウィン・ジョーンズの影響ですね。とにかく何を喋っているのも可愛いキャラクターとか、会話のテンポのよさ、掛け合いの面白さで読ませるということはすごく学んだので。
 それと私、眼鏡をかけていて足が速くて、ちょっとひねくれた性格の少年というか青年が好きみたいです。今回の錬もそうですが、自分の作品を読み返していると、「あ、また出てる!」って思うんですよ。今月集英社文庫から出たアンソロジー『短編旅館』に「花明かりの宿」という短篇を書いたのですが、そこにも気づいたらと同じタイプの男性が出ていまして、読み返して「ああ、また出してしまった」と...。

――錬君、魅力的です。彼の双子の弟妹や、ご近所さんのシャイな正人君たちも可愛かったですね。

阿部:正人のように、「自分コミュニケーションが全然ダメなんで」という気持ちが私の中にもあるので、「正人、すごく気持ちわかるぞ」「お前好きだな」って思いながら書いています(笑)。いや、本当に人見知りなんですよ。引っ込み思案なんです。

――執筆に際して、今回は詐欺に関する本を読んだりしましたか?

阿部:ああ、ええと...、『ピアノ・ソナタ』とか『チャイナタウン』を書いた人の短編があるじゃないですか、なんでしたっけ。

K島氏:(即答)S・J・ローザンの「ペテン師ディランシー」ですね。短篇集『夜の試写会』に入ってます。

阿部:そうですそうです「ペテン師ディランシー」。こういうことがすっと出てくる生き字引のようなK島さんになまじ会ってしまったので、これがミステリーを書く人の標準なんだと思い「自分にはとても無理」と恐れ慄いたんですよ。でもだんだんK島さんが特殊だということが分かってきてほっとしています。

――『パラ・スター』の時は相当取材もされたようですが、人見知りで引っ込み思案でも、取材はためらわないほうですか。

阿部:勇気をふりしぼって聞けるだけの話を聞きます。引っ込み思案だし根暗なんですけれど、書くためなら身を投げ出せる。三谷幸喜さんの本当はシャイなんだろうに、笑いのために身を投げ出している感じが好きです。三谷さん、尊敬しています。

――前に脚本家の野木亜紀子さんがお好きだとおっしゃっていましたが、小説以外にドラマや映画などまた違う形で物語を楽しまれているのかな、と。

阿部:物語中毒みたいなところがあるので、小説以外でも漫画だったり映画だったりドラマだったりアニメだったり、毎日なにかしら見ている気がします。野木亜紀子さんの『アンナチュラル』とか『MIU404』とか、映画の『罪の声』とかを観ると、「それって違うんじゃない?」と感じる瞬間が1秒たりともないんですよね。胸を撃ち抜かれるんです。ただ、そんなにたくさんの脚本家の人をきちんと知っているわけではないです。宮藤官九郎さんは面白いなって思って見ています。

――今、1日のタイムテーブルってどんな感じですか。朝型なのか夜型なのか、とか。

阿部:朝型です。我が家は活動が始まるのが早くて、5時か5時半くらいに起きて、朝の家事だのなんだのをやって、なるべく9時くらいには書き始めます。そして夕方5時頃には終えます。
 専業になった時に、全然リズムが分からなくて書けなくなったことがあったんですね。会社に行かないっていう生活がうまく呑み込めなくて、家でこんなことしてていいのかなってドキドキしてしまって。それでなかなかリズムをつかめなかったので、もう会社勤めの時と同じような生活にしようと思い、9時5時にしました。

――参加されたアンソロジー『短編旅館』が出たばかりではありますが、今後の執筆のご予定を教えてください。

阿部:農業をテーマにした小説を書きたいと話していたんですが、コロナ禍で取材に行けなくなってストップしたままになっているんです。落ち着いたら書きたいです。
 それと、女性2人の話を書く予定です。刊行時期は未定です。

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