本作を読むまで、胚(はい)培養士という職種の存在すら知らなかった。不妊治療の舞台裏で、卵子や精子を適切に管理し受精させる。ある意味、最も重要な部分を担う専門職だ。そこにスポットを当てたことにまず感嘆する。
主人公は、とあるクリニックに勤める胚培養士・水沢歩(あゆむ)。卓越した技術と天性のセンスを備えた彼女の仕事ぶりには同僚や上司も一目置く。顕微鏡で受精卵を見て「ああ…綺麗(きれい)な子だ…君は大丈夫だね」などとつぶやくのも、研ぎ澄まされた感覚ならではだろう。担当患者に妊娠判定が出て、みんなで小さくガッツポーズするシーンには思わず拍手。
しかし、本当の主役は、治療を受ける側の人々だ。目的は同じでも、それぞれに抱える事情は違う。非協力的な夫がようやく検査を受けてくれたはいいが、「精子が見つかりませんでした」と告げられ逆ギレするのは、いかにもありそうな光景。仕事と治療の狭間(はざま)で揺れ動く女優のエピソードも胸を打つ。
約2割の夫婦が経験ありという切実でデリケートな題材を、大胆かつ誠実に描く。取材や構成には相当な時間をかけたに違いない。随所に挿入される桃の実の図案は生命力の象徴。それは希望であり祈りでもある。=朝日新聞2023年2月18日掲載