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「恋じゃねえから」渡辺ペコさんインタビュー 創作や恋愛は特別ではない、いびつな抑圧をひっくり返す

『恋じゃねえから』(©渡辺ペコ、講談社)

性加害の構造とシスターフッドという二つの軸

――『恋じゃねえから』を最初に読んだ時、2017年にハリウッドの大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインのセクハラに対して起きた「#MeToo運動」や、写真家の荒木経惟さんの被写体として「ミューズ」と呼ばれていた元モデルのKaoRiさんが2018年にされた告白など、いくつかの出来事が思い浮かびました。最初のアイディアはこうした現実の出来事に触発されたものだったんでしょうか。

 現実にあった事象だけがきっかけになったわけではないんですが、自分の中で少しずつ育っていたモヤモヤした気持ちがありました。もちろん#MeToo運動もですが、今挙げられたモデルさんの告白も大きかったです。私が大学生の頃、荒木さんは現代美術のスターで、尖った作品も創られるけれどそれを理解できることが大事っていう空気があったと思うんです。誰かに言われたわけじゃないけれど、緊縛された女性たちの写真を見て「えっ」とか思うのはすごく野暮で鈍いことなんだと感じていました。でも社会の価値判断が変わるとアーティストの立ち位置や作品の見え方も変わる。問題が明るみに出るとひどいなと思うけれども、その時はそういう行為がまかりとおって、ある程度周りの人も認識していたんだなと知ると、そうなのかと。

 あとは以前私自身がおもしろいと思ってコメントを寄せたセミドキュメンタリーの映画で、出演者の男性が強要の被害に遭われていたということもありました。そういう作品を自分がおもしろいと思ったのみならず、人に薦めてしまっていた。自分が未熟で、全然気づかなくて……。その後も被害者の方の言葉をちゃんと聞かずに消費者でいたと思います。その後悔もすごくありました。

 そこから暴力を暴力として認識できない空気だったり、アートだからとか才能があるからということで許容されてきたこと、狭い業界や限られた人間関係内でのヒエラルキーなどについて考えはじめました。私はアーティストではないけれども、作品を作って発表させていただく側でもあるので、そういう意味でもとても気になる問題でした。

――そうした思いがストーリーとして動き始めたのはどんなところからでしたか。

 アートとなると問題が見えにくくなって問いづらい空気がある。でもその空気は、私たちを含めた社会みんなで作ってるものだと思うんですよね。アーティストは特別だから、というエクスキューズを与えているのは自分たちでもある。その構造自体をちゃんと考えたいし、忘れたくないと思っていました。

 そうした性加害についてのモヤモヤとは別に、結婚をテーマにした前作の『1122』を描いている途中で「次は中年の女性を描きたい」という気持ちが湧いてきたんです。いわゆる「シスターフッド」、女性同士の連帯を描けるといいなあと。告発を司法で通す法廷ものとかは自分には描けないけれど、性加害の構造と女性たちの結びつきを考えた時に、この二つの軸があれば物語になるかもしれないと思ったんです。

図式的な考え方から離れたい

――中年女性を描きたいと思われたのはどうしてだったんでしょうか。

 ここ数年、女性へのエンパワメントや励ましとして「年を取ると楽になる」という言葉を見かけるようになりました。年を取るのは悪いことじゃないという感覚は実感としてもわかるし、若い人たちにそう言いたい気持ちもあるんですけれど、とはいえ本当に人によって状況は違うし、そうでもない人もいるであろうということを忘れてはいけないなと感じたんです。「年を取る=楽になる」とか「女=こうである」みたいな図式的な考え方はちょっと違うなって。

――『恋じゃねえから』第一話には、まさに「若い頃より今の自分のが好きだな」「40代って精神的に自由になるし楽しいよねー」と話す古い友人とのズレから、茜が心の奥で孤独を感じるシーンが出てきますね。

 しんどいものは別に年を取ってもしんどい。私は今45歳なんですが、この年齢になったら、結婚とか子供の有無にかかわらず、もっと大人になれるものだと思ってたんですね。でも実際に40代になってみたら、自分が想像していた中年とは違って幼稚なままでした。よく言われることではあるけれどこれはやっぱり私もちょっと描いておきたいなと。

――茜は14歳の時に紫のSOSに応えられなかったと言う後悔を抱えています。26年たって再会した時、それぞれ変わったところと変わらないところがあり、問題も抱えつつ大人として成長した部分もあって。

 時間や距離があくと人は変わる。以前と全く同じ関係性を結び直せるわけではないけれど、ちょっと成長した形で思いやりを持って接することが可能なんだなと、現実の生活の中でも時々感じてきました。茜と紫は長い間会っていなかったし、住んでいる場所も遠い。でもずっと一緒じゃないとしても、距離はあるとしても、お互いを大事に思って案じたりする関係性っていうのもありますよね。そこを描けたらいいなと思っています。

――「今度こそ逃げたくない」という茜の思いと二人の友情は物語において救いのようにも感じます。

 仲良しの同性同士の友人って、精神がすごく近しくて、色んな物事や感情を共有してオンタイムでわかりあっている姿を描かれることが多いと思うんです。私自身はそういう濃密に結びついた友人関係って、うまくできなくて。だけど恋愛に色々な形があるように、友情にも濃いものからゆるやかなものまで濃淡があってもいいのかなと。

――それぞれの家族の問題や表面化していないけれど実はうまくいっていない部分も描かれています。友達がいることで家庭とは別に、もうひとつ居場所ができる感覚ってありますね。

 生まれてきた家族と自分で作る家族はまた別だと思うのですが、私自身が理不尽なことがわりとある家庭で育ったせいか、家の中に幼稚な大人がいるのは前提だと感じていて。紫や紅子の家族にしても、変な家とかひどい家族を描いてる意識は全然なくて、私にとってはごく普通。家族ってそれぞれの役割が固定化されがちですよね。妻とか、夫とか、親とか子供とか。そのパッケージに対して私はどうしても身構えてしまうんです。「親ガチャ」と言われたりもしますが、どんな家族に生まれるかって100%運まかせ。だからあまりそこに重きを置きたくなくて。友情にも色々あると思うけれど、決まった役割がないということは大きいと思います。

マンガとルッキズム

――人を外見で評価したり差別したりする思想、「ルッキズム」。『恋じゃねえから』ではこのルッキズムもテーマのひとつになっています。

 見た目のことはよく考えるんです。歳をとってそれこそ見た目問題については楽になってきた部分が大きいんだけれども、それでも100%自分と関係ないと言えるかというと、そんなことない。

――紫はルッキズムから離れた視点を持っているキャラクターですよね。茜が「デブ」「ゴリラ」と自嘲した時には笑わずに否定するし、玄の整形にも気づかない。

 そうですね。このマンガでは、姿かたちを変える必要があった人と変わらなくてよかった人という対比があるんです。茜の場合はダイエット。彼女はちょっと太っているとか体が大きいままでいることが許されなくて、ダイエットをしたと思うんです。紫は髪を切ったり服装を変えて、今は女性的な記号を極力まとわないようにしている。玄は自分の思う良い見た目になりたいっていう人で、整形をして顔を変える。彫刻家になった今井だけがそのまま年を取って生きていけているんです。

――誰にも自分の外見を選ぶ自由があると思いつつも、いろんな意味で見た目と格闘してきた3人に比べて、今井が恵まれてきたようにも感じます。

 今井だけが「僕」のままでいるんですよね。私は整形とかも全然いいと思っていて。ただ、女性が手を加えることの方が多く取り上げられがちなので、描くなら男性だなと。そこから玄というキャラクターができました。今回はテーマにシリアスなものを含むのと、茜も紫も元気なタイプじゃなくて静かになってしまうので、キャラクターとしてあまり思い悩まず清々しい人がいるといいなって。

――確かに玄が登場するとほっとします。紫に助けの手を差し伸べるひとりですね。

 物語の中だけじゃなくて、マンガを描く時にも、見た目については色々と考えるんですよ。たとえば多くのマンガでは、女性の目は大きく、男性の目はシュッと描かれることが多く私もそうです。それってやっぱり一般的に女性はぱっちりした目がきれいだとされているからだと思うんですよ。私は本当はどちらの目も同じように描きたいんだけれど、そうすると自分の画力だと非常に読みづらくなってしまう。だから記号を踏襲しつつ、できるだけ好きな感じをめざしているんですけど、自分で描きながらもなんかこう、やっぱり女性の目を大きくするんだよな……って(笑)。記号でもあるけれど私は記号を再生産し続けているな、とも。もう化粧みたいなものなのかなあ。

――マンガはこのキャラクターはこういう人であるっていうことを記号を通して伝えなければいけないので、見た目に関する社会通念も出やすいかもしれませんね。

 記号から完全に自由になることはできないけれど、ルッキズムに納得しているわけでもない。だからこそその違和感をマンガの中にちょっと描きたくなるんでしょうね。

恋愛だからといってなんでもありにはならない

――かつての紫をモデルにした少女像を無断で発表した今井は、「ごめん」と言いながらも紫から像の展示取り下げを求められると拒絶します。一方反論は妻まかせ。どこか空虚な人物ですが、リアルさも感じます。

 アーティストとか作家って表現することが仕事で、それを生業にしてるはずなんだけれども、暴力や加害の問題が明るみに出た時に多くの人が口をつぐむことが気になっていました。いろんな事情があるんでしょうけれど、「弁護士に任せています」とか「言うことはないです」とか。あんなに作品で自分を見せていたのに、都合の悪いことが出てきた時に透明人間みたいに存在を消してしまうのはなぜだろうと。ただ、マンガの中でそれをやると本当に空虚な人物になってしまうので、いずれは今井の意思や言い分も語らせないといけないと思っているところです。

――加害側である今井を描く際に、どのようなことを心がけていらっしゃいますか。

 いかにも性加害をしそうな人とか、わかりやすい悪人にはしたくありませんでした。実際に加害者の多くがそうみたいなんですが、自分の意識の中では成立した関係っていうファンタジーを都合よく作り上げているんですよね。相手の同意があったとか、少なくとも拒否はされていなかったとかっていうことも含めて。

 今井の場合は無理やり乱暴するような加害行為がなかったからこそより悪質な部分がある。のらりくらりとどういう風にでも逃げられてしまうというか。まさに「恋をしていたので」「恋愛だったので」ってことを免罪符にされがちだなと。「あの時は好きな気持ちもあったからしょうがなかった」と言われたら、被害を受けた側からしてもすごく難しいですよね。だけど、恋とか二人の関係性の中に持ち込んだからといって何でもありにはならないと思うんです。

――『恋じゃねえから』という印象的なタイトルにはそういうメッセージが込められていたんですね。

 フィクションでは恋愛が大事なこととして描かれすぎてきたのではないかという疑問がずっとあります。恋愛はドラマティックだし、人間の感情が動く状態なので、創作する側がそこをとりあげるのはよくわかります。私も、すごくときめいて大好きだったラブストーリーのドラマとかもありますし。でもウルトラCっていうんですかね、恋愛っていうものの中に入るとなんでもありになってしまうことについては、注意が必要かなと。それこそ大人と子供の関係なのに、抗えない魅力があったとか特別な絆だということにして美しい恋愛として描かれていたりすると、前は平気で楽しんでいたとしてもだんだん受け入れられなくなってきて。作劇の手法の一つとしては理解できるけれど、恋愛以外を描いたものももっとたくさん出ていくことが大事なんじゃないかな、と。

――恋じゃない関係性もあるよ、と。

 そう、なんでもかんでも恋じゃねえからっていう(笑)。これはもう、私の声かも(笑)。物語の中で湧いてくる「恋じゃなかったかも」という側面と、なんでもかんでも恋にしないぞっていう私の考えと、このタイトルにはどっちもありますね。

社会的な抑圧をひっくり返したい

――被害を受けた側が声をあげることへの不安や恐怖もまた、大きいものだと思います。2巻には「忘れたいと終わらせたいと望んで 懇願しても叫んでもその声を 誰も聞いてくれなかったら?」という茜のモノローグがありますが、名もない自分たちの声が届かないのではないかという不安は本作でも繰り返し描かれています。

 声が届かないと感じている方とか、無視されることが何度もあってもう諦めてしまってる方はたくさんいると思うんですね。そのことを解決できるわけではないんですけど、「聞け」とか「届け」っていう思いを込めて描いているところがあります。

――セクハラ裁判のニュースについて「痛々しい」「辛いこと忘れて平和に暮らした方が楽なんやないかなって」と話した彼女に対して玄が「それは全然“平和”じゃなかろーもん」と言葉を強めるシーンは、第三者の視点としても心に残りました。

 性暴力の問題って「でも殺されたわけじゃないし」みたいな形で切り捨てられてきたことが多かったんじゃないかと思うんです。今の会話でいうと、彼女の言うことも玄の言うことも、私はどっちもありえるなって感じていて。たまたま近くに紫がいたりして話を聞いているから玄のほうは思いが及んだということなんじゃないかなと。ニュースやネットで流れる情報を見て全てを取り込んだらつらくなってしまうから、どうしても距離をとらざるをえないってことってありますよね。ただ全部を受け止められなくても、それぞれが想像したり知識を持ったりすることで、乱暴な切り捨ては避けられるのかなって。

――重いテーマが扱われていますが、心の痛む部分を含めて「そうそう」と共感するポイントや「こういうことあるなあ」と感じる問題提起がたくさんあって、読みやすさも感じます。

 ありがとうございます。読みやすさやエンタメ性については本当に難しくって……。エンタメ好きなんですけど、漫画家なのに自分がエンターテインするのが苦手なんですよね。だから担当編集者の力をお借りして、日々試行錯誤をしています。ただ、強く思っているのは、「正しいことを説く」マンガにはしたくないということ。そう思わせてしまってるかもしれないけれど、やっぱりマンガを描いて物語を見ていただきたいので、説明をあまりしてしまわないように心がけています。

――最後に今後の見どころを少しだけ教えていただけますか。

 『1122』には剣山で男性器を刺すシーンが出てきたんですが、私の中には物語での破壊衝動があるみたいなんです。無意識にではあるんですけど、抑圧的なものを壊したいという願望があるみたいで。作品の中で繰り返し、そういうことをやってきている気がするんですよね。『恋じゃねえから』でもやっぱり「ひっくり返したい」という思いがあります。物理的にも、社会的にも、どうしても女性は男性より力が弱い。物語の中でちょっとそれをひっくりかえしてみたいという欲求が自分の中にあるのを感じるので、そういうところを見ていただけるといいのかなと思います。

――読みながら自分でも考えつつ、続きを楽しみにしたいと思います。ありがとうございました。

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