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「綿の帝国」 欧米による暴力と収奪の歴史 朝日新聞書評から

評者: 藤原辰史 / 朝⽇新聞掲載:2023年03月11日
綿の帝国 グローバル資本主義はいかに生まれたか 著者:スヴェン・ベッカート 出版社:紀伊國屋書店 ジャンル:経済

ISBN: 9784314011952
発売⽇: 2022/12/20
サイズ: 20cm/848p

「綿の帝国」 [著]スヴェン・ベッカート

 シャツにジーンズに下着にタオルにシーツ。綿の織物は羊毛の織物と違って染めやすく、洗濯にも強い。綿がなければ、私たちのくらしはまったく違ったものになっていただろう。
 綿の原料はワタという亜熱帯植物である。腰の高さほどの木が花を咲かせ結んだ実のまわりに白いフワフワの繊維が付く。腰を屈(かが)めてこれを摘み取って種を取り除き、叩(たた)いて梳(す)いて撚(よ)って糸にし、それを織って布にする。完成まで膨大な時間と労力がかかる。
 本書は「白い黄金」とも呼ばれた綿の世界史である。ここでは欧米諸国の産業革命による綿業発展史というよりも、欧米による綿花栽培地域と綿織物産地、そして労働者に対する暴力と収奪の歴史に重きが置かれている。本書を読めば、なぜ一八世紀後半まで綿織物の技術力でイギリスを上回っていたインドが逆にイギリス産綿織物の市場にされたかも理解できる。
 もともとヨーロッパ人はほとんど綿を知らなかった。綿とは異世界の植物で「ヒツジのなる木」として想像すらされていた。高品質なインド産綿織物は西洋の人々の垂涎(すいぜん)の商品であった。世界各地で綿花も綿織物も小さな規模で作られていた。
 ところが、一七世紀から一八世紀にかけて西洋の商人が綿布の貿易に割り込んでくる。西洋列強は南北アメリカ大陸で砂糖や米などのプランテーションを形成し、そのために必要な奴隷をアフリカでインド産綿布と交換する。もともとインドで作られていた綿花を次第に植民地の奴隷に作らせていく。その過程で西洋諸国が行った先住民の虐殺や奴隷狩りを支えた軍事力こそが、綿の帝国の中心であると著者は述べ、このようなあり方を商人資本主義ではなく、戦争資本主義とあえて呼ぶ。
 さらに一九世紀になるとインドの技術を盗み、周辺地域から安価な綿花を輸入し、蒸気機関を用いた機械で大量に綿布を生産して、インドや他地域の伝統的綿織物産地を破壊していく。信用制度や投機の拡大との関係も興味深い。見通しよい問題設定と、心が躍るような文章が読者の集中力を最後まで途切れさせない。
 ただ、エピローグで、著者は生産性の上昇を果たす人間の能力があれば公正な経済を作ることもできるはずという見通しを語るが、疑問が残る。新疆ウイグル自治区の強制労働で生産された綿花を、日本の企業を含む世界のアパレル業界が使用していたという事件を思い起こせば、「綿の帝国」の本質はそう簡単に崩れないように思えてならない。
    ◇
Sven Beckert 米ハーバード大歴史学部教授(米国史)。資本主義の歴史に詳しい。本書でバンクロフト賞など多数の学術賞を受賞。2015年のピュリツァー賞最終候補作にも選ばれた。