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人とは悼むもの 死へ向かう生をさまよいながら 鴻巣友季子〈朝日新聞文芸時評23年3月〉

青木野枝 水天3

 来月、村上春樹の新作『街とその不確かな壁』が刊行予定だが、これと題名の酷似した中編「街と、その不確かな壁」(文学界1980年9月号)がデビューの翌年に発表されている。これが今見ると、当世風の“やさしいディストピア”としても読める。

 ことばが発せられた途端に死んでしまう名前のない世界に、「僕」は住んでいる。そこで愛した「君」は死んでしまうが、それは影に過ぎず、本物の「君」がいる並行世界へ「僕」は乗りこんでいく。高い壁と望楼に囲まれたその街には、美しい対称を描く川が流れ、規律正しく穏やかな生活があった。ただしそこへ入る者は自分の影を切り離される。

 壁は何も見逃さない監視者であり、影とは憎しみ、虚栄心、後悔といった負の感情のことらしい。住民のほとんどはつましい食糧支給で安穏と生活しているが、「なんでもある」という街にないものは、心、書物、本当のことば。「僕」は自分の影とともに脱出を敢行する。

 困難の中で人間らしく生きるか、人間性を失(な)くして安寧な生活をとるか。ことばが腐臭を放つ俗世へ「僕」が生還し、「君」を悼みながら悔いはないと宣言するのは、村上のその後の作品群を暗示しているだろう。

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 本作から四十数年が経った今、世界はますますディストピア化し、生の重みへの差別意識を折々に感じる。「高齢者は集団自決を」などという問題発言もあったが、そうしたなかで注目されるのが、古川真人『ギフトライフ』(新潮社)である。国民に「適性検査」が課された近未来の日本。生活の苦しい庶民はある年齢になると、家族に「ポイント」を遺(のこ)すため、安楽死、さらには医療開発のための生体贈与を選ぶ。自由はないが、隷属による安定がある。

 「ぼく」は栄えある「多子家庭」の父であり、もう一人の語り手「わたし」には、施設で寝たきりの「重度不適性者」の妹がいた。施設利用料が払えなくなり妹の生体贈与に同意したことを「わたし」は悔い、落ち葉の散り敷く森をさ迷(まよ)うことになる。そこには同様に家族を「委ねた」人びとが彷徨(ほうこう)している。

 二つのパートは動と静、リアリズム風と奇想風。プロットの主軸は前者にあり、やまゆり園の事件なども想起させるが、主題の碇繋(ていけい)は後者のパートにある。遺された家族が亡き人の俤(おもかげ)を探して森をさ迷うのは、一種の弔いなのだろう。徹底した合理社会の暗がりに残る人間の非合理な感情、それが後悔や哀悼だ。

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 合理精神と信仰と軍務の間に生きた人物を主人公にしたのが、池澤夏樹の『また会う日まで』(朝日新聞出版)である。天文学者、キリスト教徒、海軍軍人だった秋吉利雄(作者の大伯父)の一代記にして日本近代史を綴(つづ)り直す書でもあるが、この豊穣(ほうじょう)の大著においても印象に残ったのは、亡者への追悼だった。

 利雄は科学者ゆえ、神のことばを合理のものと捉え信仰を深めた。また、科学の才により海軍の水路部で業績をあげ昇進した。それらの間に矛盾はなかったが、信徒の務めと軍人のそれは一にはなり得ず、最後に「神とカイザル(帝国)の両方に仕えようとした」ことを過ちとして認める。多くの理不尽な別れを経験した利雄の命に関わることになるのは、ミッドウェー海戦での僚友の死だった。利雄の悲しみや怒りなどの感情を作者は決して露(あら)わに描かないが、彼なりのやり方で死者たちを弔っていたのだと思い至る。他者への追悼の形は一様ではない。

 美術家を語り手にした高山羽根子『パレードのシステム』(講談社)にも、亡き人への婉曲(えんきょく)な追弔が描かれている。祖父の葬式に呼ばれなかった語り手はみずから弔問に訪れる。その後、バイトの知り合いから父親の葬式に誘われると、見ず知らずの関係にも拘(かか)わらず台湾にまで赴く。この行動の影には、連鎖反応を起こす「ピタゴラ装置」を応用して自死した学友への蟠(わだかま)る思いがあった。

 日本による台湾統治と戦争の歴史にふれるなかで、顔をモチーフとする語り手の作品、祖父の遺した写真、壊れた人型ロボット、台湾の「出草」の風習と、「顔」によって物語が繋(つな)がれていく。高山にしか書けないイメージの美しい連鎖だ。

 私たちの生のパレードは死へ向かうしかない。この不可逆な行進に参加するすべての人、言動の一つ一つが、生と死を左右する装置の一部となる。そのシステムの無作為にして精緻(せいち)な暴虐さをこそ、文学は書いてきたのだ。=朝日新聞2023年3月29日掲載

◆「文芸時評」は次回から作家の古川日出男さんが担当します。