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「はちどり 1994年、閉ざされることのない記憶の記録」映画公開から4年、キム・ボラ監督インタビュー

映画「はちどり」から (C)EPIPHANY FILMS.

(C)EPIPHANY FILMS.

『はちどり』から、4年

――『はちどり』が韓国で公開されてから4年が経ちました。この作品は、監督ご自身、そして韓国社会にどのような影響を与えたと思いますか。

 観客が『はちどり』という作品をとても愛してくれたので、映画をつくるということについて、より深く考えるようになりました。『はちどり』は、映画業界の間で「異例の事件だった」と言われています。なぜなら、当時の韓国では、独立映画は観客が1万人入れば良いほうで、5万人を集客できれば大ヒットと言われていたんです。そんななか『はちどり』は観客動員数14万人以上を記録しました。

 また、女性たちが映画のファンダムを形成して応援してくれました。映画にファンダムが生まれるのは、珍しい現象です。『はちどり』ファンの方が10万人突破記念イベントの時には歌を準備して歌い、プラカードを掲げて応援してくれました。「映画を楽しんだ」ということで終わらせるのではなく、何度も観てくださった方がいて、SNSでは、映画を観た人たちがコミュニティーをつくってくださったりしたんです。とても不思議な気持ちでしたね。わたしもすごく背中を押された気がします。なぜなら、この映画を準備していた時は、ひとりぼっちだったのに、世に出したとたん、応援してくれる多くの人が現れたから。

(C)EPIPHANY FILMS.

――多くの観客に支えられたのですね。

 さまざまな方が映画館に足を運んでくれました。父や母と同世代の方もたくさん映画を観にいらっしゃいました。手紙をくれたのは女性が多かったのですが、映画には多くの男性の方も観にきてくれました。男性のなかには、男性らしく生きるのがつらいという人もいました。韓国社会では、「男性はこうしなければ」と強要されることが多いんです。泣くこともできず、つらい思いを抱えている、男らしさについてプレッシャーを感じている方が、映画に共感したのだと思います。手書きの手紙もたくさんいただきました。なかでも20代、30代の女性が多かったですね。そんな手紙一つひとつに、これまでの人生では考えられなかった形で、人とのつながりがもたらす愛を感じることができました。

 「愛」には、親子の愛、友だちとの愛、夫との愛、パートナーとの愛、いろいろありますが、それとは少し異なる共同体のような愛の形とも言えるかもしれません。クリエイターだからこそ得られた愛情や幸せを感じ、2作目を制作しようと決心したんです。

 実は『はちどり』をつくるのがすごく大変だったので、映画はもう終わりにしたいと思っていました。あまりにもつらかったので。健康も崩してしまったんです。でも、たくさんの観客の声に励まされ、「次もやらなきゃな」と。ようやくその時、映画は大きな力を持っているのだということに気づいたんです。

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――2022年の釜山国際映画祭で、女性映画監督たちと語り合うイベントに登壇されていましたね。『はちどり』は、個人だけでなく、韓国映画界へも影響を与えたと言われています。

 『はちどり』が公開された当時、偶然か必然か、女性監督の映画がたくさん封切られたんです。韓国映画界において珍しいことだと話題になりました。釜山国際映画祭で、初めて監督の男女比がほぼ半々になったんです。全世界的な流れの結果ではないでしょうか。

 #MeToo運動をはじめ、マイノリティーの声を聞くべきだという雰囲気もあります。女性監督が作品をつくるのはハードルが高いので、それゆえに、良い作品が生まれる傾向があります。いろいろなことが重なって、女性監督による映画が多くつくられたのだと思います。女性監督がたくさん登場したことで、映画業界に活力がみなぎり、多様性が生まれたような気がします。

――コロナ禍では、どんなことを考え、どのように過ごしていらっしゃいましたか。

 ずっと、ありとあらゆることの関係性について考えていました。人と人との関係や、SNS社会で人々が寂しい思いをしていること。本当にひとりぼっちでいることの意味や大切さなどについてです。
そうしている間に、次回作である『スペクトラム』という映画を準備して、シナリオが3稿までできたところです。2023年からいよいよ撮影に入ります。シナリオを一生懸命準備していました。いま、シナリオを何度も修正しています。満足のいくシナリオができるまで約2年もかかりました。コロナの間はひたすらシナリオと向き合っていたんです。

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――『スペクトラム』には原作小説があります。なぜこの作品を選んだのでしょう。

 おっしゃる通り、短編小説を原作としています。いろいろな不思議な縁がつながって、この作品をやることになりました。『はちどり』のあと、すごくたくさんのオファーをいただいたんです。とてもありがたかったのですが、これをやりたいというものになかなか出合えませんでした。そこで自分でファンタジーのシナリオを書き始めたのですが、あまりにもスケールが大きなものになりそうで、もう少し先の将来に手がけたほうがいいかもしれないと感じていたんです。

 当時、サンフランシスコでシナリオを書いていたのですが、そこで『はちどり』のファンの方にいただいたキム・チョヨプさんの本を読みました。週末に何気なく読んでいたのですが、そこに収められていた『スペクトラム』がすごく良かった。そうしたら、ソウルに戻った時、仕事でご一緒している会社の代表が偶然にも、『スペクトラム』が好きだと話していたんです。たくさん短編小説があるなかで、同じ作品を気に入っていたことで意気投合し、一緒に『スペクトラム』を映画化してみようという話になりました。次の日、代表が作家であるキム・チョヨプさんの関係者に連絡を取ったところ、他の作品の版権はすべて売れていたのに唯一、『スペクトラム』だけが残っているというのです。映像化が難しいので誰も手を挙げなかったと。それからは、1週間以内に話が進みました。すごく速かったですね。

――『スペクトラム』はSF作品で、『はちどり』は日常を捉えた作品です。監督が感じる共通点はどのようなものなのでしょうか。

 監督はたえず挑戦しなければならない職業だと思います。同じスタイルの作品を撮り続けることもできますが、わたしは違うタイプの作品をやってみたいと思っていました。次回作はSFやファンタジーと考えていた時に、『スペクトラム』と出合い、運命を感じたことは大きいです。それに小説がとても良かったんですね。 そこには、「ある存在に対する尊重」が描かれていました。それはジャンルを問わず、わたしがいつも関心を寄せているテーマです。わたしに合っていて、ジャンル的にもチャレンジしてみたいものだったので決めました。

(C)EPIPHANY FILMS.

『はちどり』の書籍がもたらしたもの

――今回日本でも翻訳されることになったこの書籍についてもお話を聞かせてください。映画のシナリオが本という形で出版されることは、珍しいことではないでしょうか。

 すべてのシナリオが本になるわけではありません。公開後、観客の反応が良かった作品が主に出版されるのです。でも『はちどり』に関して不思議だったのは、公開と同時に本が出版されたこと。前もって出版を準備していたんです。『はちどり』は映画祭で多くの賞を取り、韓国のニュースで話題になりました。独立映画としては異例のことで、みんなが、どんな映画なのか気になっていたのです。そのため、出版社から提案があって、公開と同時に本を出すことにしました。

 この本に掲載されているシナリオは、完成原稿です。この本に載っているシーンはすべて撮影し、そして編集でカットしたものを含みます。編集した時に上映時間の関係でたくさんのシーンをカットせざるを得ず残念だったのですが、それらの場面を本に載せることができ、うれしく思っています。シナリオにあるシーンはわたしにとってすべて大切ですし、本に収めることで命を再び吹き込まれたような、そんな感じがします。本は永遠に残るものだから。

――書籍にはシナリオだけでなく、寄稿も多く掲載されていますよね。

 大半は、わたしが提案した好きな作家さんたちですが、出版社が提案してくれた方も数名含まれています。たとえば、アリソン・ベクダルさんやチェ・ウニョンさんはわたしが好きな方だったので提案しました。チョン・ヒジンさん、キム・ウォニョンさんも、わたしが推薦させていただいて、直接メールを送りました。きっと、映画を深く理解していただけると思ったのです。

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――なかでも好きな寄稿はありますか。

 すべての寄稿が好きですが、なかでも、チェ・ウニョンさんの寄稿はとても印象的でした。彼女はわたしと年齢が近いこともあり、映画で表現した情緒を正確に理解してくれていたんです。同じような経験を共有しているし、文章も上手です。文章が上手というよりも、書かれた内容そのものに心が揺さぶられましたね。技巧に走るのではなく、心から書いているというのが伝わってきたんです。本が発売された時も、チェ・ウニョンさんの寄稿が一番話題になりました。

――本書には監督ご自身による対談もあります。

 そうなんです。一番記憶に残っているのは、まさしくアリソン・ベクダルさんとの対話ですね。なぜなら、彼女の創作者としての視点に多くのことを学んできたので、直接ご本人に会って、2日間も、互いの魂の深いところで触れ合うことができたのは、なかでも特別な経験でした。

(C)EPIPHANY FILMS.

個人から、みんなの物語へ

――多くの人を惹きつける物語はどのようにつくり上げていったのでしょうか。

 映画をつくり始めた当初から、開かれたみんなの作品にしたいと思っていました。映画祭で出会った外国の記者の方にもたくさん話を聞いてみたんです。特に覚えているのはスウェーデンの方が、過去について語ってくれたことです。その方は学生時代、いつもランチで買ってきたものを食べていることが、恥ずかしかったと。わたしにはそれが中高生が感じるような気持ちと似ていると思えました。周りの人に、からかわれることに対する恥ずかしさ。両親のケンカの話もそうですが、人々が子どもの頃に経験した話をたくさん聞いて、共通する経験を映画に盛り込もうと努力しました。

 特に女性の中高生時代においての、同性に対する憧れや恋愛感情の話をたくさん聞きました。韓国ではよくあることで、大学に入ると、何事もなかったように消えてしまうのですが。中高生の時に、恋愛感情を表現するために手紙やバラの花を渡したというエピソードなどがありますよね。こうしたものを細かく捉えようと努力しました。また、どの国の人が見ても共感できるように、外国の人にもたくさん尋ねました。その過程が良かったのだと思います。

――だから国境を越えて、さまざまな人が共感したのですね。

 そうですね。シナリオは共感できる記憶であり、そして共感できる痛みの記録でもあるのです。観た人が「自分の思春期の物語のように感じた」と言った時、わたしは監督として成功できたのだと思いました。

 シナリオを書き始めた時のわたしは、やはり自分の物語だと錯覚していたんです。実際、親が餅屋であるという設定やいくつかの出来事が個人的なエピソードであることは事実だから。しかし、書きながらこれは作家が避けるべきナルシズムだと考えるようになりました。その後、「自伝的な映画です」と語る他の監督への、「どこまでが事実ですか」という質問は無意味だと思うようになりました。

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――1994年の韓国を舞台にして、実際の事件を盛り込んだことにも意図はあったのですか。

 1994年を舞台にしたのは、わたしが幼い頃、その時代の空気を一番強烈に感じた時期だからです。聖水大橋の崩落事故は、当時は近くに住んでいたのでとにかく衝撃的でした。橋が崩落した写真や映像はすべての人々にショックを与えました。また、ウニが経験した子どもの日常は、韓国社会の崩壊と結びついていると考えたからです。

 幼い子どもが学校でソウル大を目指すように言われたり、長男は大切にされるのに自分はきちんと扱ってもらえなかったり。家庭にも独裁者がいて、民主化は実現されていないのです。食事の時間に話しているのはいつも父親で、母は仕事をしながら家事もしていて、父親は遊びに行くのに、母親は自由に出かけられない。それから、学生運動をしていたヨンジの虚しい気持ち。ウニがクラスメイトに「勉強ができないと家政婦になる」と言われたりすることなどもそうです。そういうことを言う人が実際にとても多かった。なぜなら、親が子どもにそういう話を日常的にするからです。たとえば、掃除をしている人を見て、「勉強しないと、いつかあの人みたいになる」という文化、考えられないような俗物的な文化があるんです。

 1980年代まではそんな文化はなかったのですが、資本主義によって、そういう社会になってしまいました。それをわたしは「崩壊」と呼んでいます。教育現場の崩壊、家族の崩壊、子どもたちの崩壊、価値観の崩壊、韓国社会の崩壊。「崩壊」というと巨大な歴史を想像しがちですが、もっと身近な日常に関連したものでもあるのです。#MeToo運動にしても、日常の出来事が発端ですよね。男性が日常的に女性の外見についてコメントをしていたり。そういう小さなことが積み重なって、あの事件が起きたのです。だからこそ、『はちどり』の舞台となった、1990年代も、日常と聖水大橋の事故が結びついていると考え、大きな絵を描いてみたいと思いました。

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――そして、それはいまも続いていると。

 はい。韓国ではいまも胸が締めつけられるような事件が起きています。それは日常と切り離すことができない。わたしはすべてのものには政治が影を落としていると考えています。話し方や服装、どんなカルチャーが好きなのか、本や映画、学歴なども含めてです。それらを映画の物語に散りばめたいと思いました。政治的ないろいろなものが積み重なって、ある日突然崩壊する。そしてそれらはいまでも、同じことが起こり得るのだと。

 映画を観た人のなかには、自分の国の出来事に紐づけて考えてくれる方がたくさんいました。日本では、震災に結びつけて語る人もいたし、イタリアの人は、韓国と同じように橋の崩落を経験した話をし、アメリカの人は同時多発テロについて語りました。9.11のあと、人生や人間に対する希望が消えてしまったと。こうした大きな事件と日常の関係を、わたしはこれからも探求していきたいと思います。

(C)EPIPHANY FILMS.

――映画を通して、今後も伝えていきたいことはありますか。

 わたしに限ってですが、さまざまな芸術のなかで惹かれないものは、「人生には意味がない」「人間はみんな同じだ」「実は人間はすごく弱い」と、人間の脆さや弱さだけを描く作品です。人間の悲惨な姿を描写する、「一見、優しい人も実は悪魔のようだった」というのがテーマの映画もありますよね。そうして人間の卑劣な姿を見せる。わたしはそういう作品をつくりたいとは思いません。映画監督には自分が見つめる世界を伝える役割がありますが、わたしはそんなふうには世の中を見ていないんです。

 人間にはもちろん愚かですごく弱い部分もありますが、互いに手を差し伸べ、愛を分かち合おうという気持ちが最も大きいのだと信じています。そして、わたしは世界をそんなふうに見ています。人間の卑劣な面を描く作品が間違っているということではありません。ただ、自分が見た世界を伝えるのであれば、わたしは本当に「世界は不思議で美しい」とヨンジのセリフのように思っているのです。

 美しい世の中をどのように見せるのか。『はちどり』も、美しいという人もいらっしゃいますが、きれいごとばかりではないですよね。家族の葛藤や社会の暗い面も見せながら、人間は互いを愛そうと努力している。愚かな部分もあるけれど、人間は互いに向き合い前進し、自らを追求しながら自由になるという希望を描いているんです。家族も先生もつらい思いを抱えているけれど、一方でみんなが、どんなふうにすれば互いを愛し、より良い社会をつくれるかと悩んでいる。これからも映画をつくるときは、人間には愚かな部分もあるけれど、互いを愛し、コミュニケーションを取ることが大切なのだということを伝えていきたいです。わたしはそんな思いを込めて『はちどり』をつくりました。

 *このインタビューは2022年11月6日にZOOMにて行われました。