山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
――夏目漱石『草枕』(岩波文庫版)
『草枕』の冒頭文は名文として有名だが、心つかまれたのは、この後に続く文。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。
本は読んだ時にわからなくても、あとになって突然「わかる」瞬間がある。
「わかる」とは、鍵穴に鍵を入れてカチャリと音を立てて解錠されるような瞬間だ。合わない鍵では、どうしたって扉は開かない。
幼いころから文字が好きだった。
薬の説明書でも、街中に貼られた選挙ポスターでも文字があれば読まずにいられない、そんな子供だった。
小学生になると本を手に取るようになり、休み時間は読書して過ごした。友達と遊ばない子は周囲から「暗い」と言われたが、あまり気にしていなかった。
両親が共働きの鍵っ子で、小学校から帰ると時代劇の再放送を見たり、本を読んだりして母の帰りを待った。学校にも家にも嫌なことや不満はいくつもあったけど、本の中に逃げ込めば、大抵のことはやり過ごせた。
第2次ベビーブームの中でも最も人口の多い1973年にわたしは生まれた。人が多いと自然と競争は激しくなる。周りではいじめもあった。目立つことをするといじめのターゲットになりかねない。なるべく大人しく過ごしていた。
地元の小学校を卒業し、多くの同級生と一緒に中学校へ進学した。少し大きめの制服に身を包んで出席した入学の式典のあと、クラス割が発表になる。
掲示板に張り出した紙面にはクラスごとの生徒の名前が記されている。はやる心を抑えて自分の名前を探した。
――ない。
隅から隅まで何度も確認したけど、自分の名前だけが見当たらない。
周囲の子は誰と同じクラスになったかで一喜一憂している。呆然としているこっちのことは目に入らない。 ふっと、自分が透明になった気がした。
掲示板前を後にして職員室を訪ねた。タバコの匂いがする白髪の男性教師にクラス割に名前がない、と伝えた。調べてもらったら、我が家が中学入学直前に引っ越しをした(旧居の目の前のマンションへ)ことから、校区外に転出したと勘違いされたらしい。
「仕方がないから、一組に入って」
なぜか苦笑いの教師に言われた通り、生徒が集まりはじめた一組の教室にそっと入り、すぐそばの空席にすばやく座った。目立たないように始業のチャイムを待つ。そのうち生徒のひとりが「席がない」と騒ぎ出した。
机と椅子が一組足りない――担任から手渡される教科書や手引きなどすべて一つずつ足りない。
学校側のミスだけど、なんとも居心地が悪かった。
クラス割で人生は変わる。大げさでなくそう思う。「このクラスで余計だ」そう思った居心地の悪さは忘れられない。
仕事もクラス割と同じで、割り振られたチームや集団で業務を行う。人数の制限はなくとも、そこで役割を果たせないと居心地は悪いままだ。野球で一軍のスターティングメンバーになっても、三振や守備でエラーばかりじゃ立場がないし、ファンの声も気になるだろう。
住みにくい世で生きていくために、人が詩や画を生み出すのだとすれば、まだない何か、つまり結果となるものを作り出すことが、自分の居場所になっていくということだ。
いつからか日記だったり、雑記のような短文だったり、誰にも頼まれず、誰も読まない文章を書いてきたが、『草枕』の冒頭文に出合って、自分が書く理由はこれなんじゃないか、と気づいた時、頭の中が瞬間沸騰した。
そしてこの世にまだない何か――芸術やスポーツやあらゆる愉しみ――があるのは、みんな自分の居場所を求めているから。
だれもみんな同じなのだ。
◇
読書にまつわるエッセイの第1回。本の紹介というより、作品の入り口を探るエッセイです。時々野球の話も挟んでいきます。
本を読みたくなった、と思ってもらえたら成功です。実際に読んでもらえたら最高です。
実を言えば、わたし自身これまで、手ごわそうな本を開いて「わからない」と何度も挫折してきました。
でもたったひとつでも「わかる」鍵があれば、きっと扉は開く。
その先へ行くかは読み手次第。
一緒に扉を開けてみませんか?