スマホの窓を世界と思っていいのか
――ふかわさんは十数年前にアイスランドに旅行をしたときに、ケータイが使えない状態になったご経験があるそうですね。
ケータイは持っていったんですけど、設定のミスだったのか、一切電波がつながらなかったんです。最初は誰かから連絡が来ていないかと気になって、不安でそわそわしていました。でもだんだん日が経つと、むしろ心地よくなってきて。この百何十グラムの端末が、こんなに重たいものだったんだと気づいたんです。その経験が大きな分岐点となっていたのかもしれません。今回の旅の「種」であるような、最初のきっかけだったと思います。
――今回はなぜスマホを置いて旅しようと思い立ったのでしょう?
いつの間にか、ケータイからスマホへと移行して、依存度も高くなりました。便利なのでそこまで疑問を抱かずに使っていたんですが、やはりアイスランドで味わった感覚をどこかで覚えていたのかもしれません。
電車内では皆がこのスマホの小さい窓を見ている。スマホ経由で世界をのぞいているけれど、果たしてこれを世界と思っていいのだろうかという疑問が生まれました。そうではなく、ダイレクトに世界と向き合いたいと思いました。とはいえ、仕事の兼ね合いもあってすぐには実践できなかったんですけど、昨年の9月がちょうど良いタイミングとなりました。
それはどこかへ冒険に出る気分に近かった。昔、船で海に出たときに、その向こうに何があるのかわからなかったはずです。その先にはどんな世界が待っているだろうとわくわくしていたでしょう。まさに同じような気持ちだったんですね。もちろん不安もあったんですけど。
――自由を感じられたんですね。
スマホは素晴らしいテクノロジーが詰まったものですよね。でも適切な距離感で向き合わないと、自分の心が参ってしまうと常々感じていました。何かわからないことがあったときに、検索するとすぐに答えが出てきます。その利便性は素晴らしいと思う一方で、答えにたどり着くまでに思いを巡らせたり、思案をしたりする時間にこそ、豊かさが潜んでいるような気がして。
レコードのジャケ買いのような感覚
――旅の行き先として、岐阜を選んだのはなぜでしょう?
「水琴窟」と呼ばれる、江戸時代の庭園に設置された音響装置があって、それをめぐってみたかったんです。手を洗うときに流れる水を利用して、その水滴が瓶の中を跳ねて、琴のような音を出します。流れてしまうものを利用して音を奏でる。再利用ともまた違う。その発想は本当に素敵だと思いました。「水」の「琴」というネーミングも素晴らしい。
そんな「水琴窟」は五線譜から解放されている音なんですよね。調律や音階に縛られない存在だと感じました。それがちょうど、僕がスマホ社会のアルゴリズムから解放されている状態と重なったんです。それで「水琴窟」が多くあるという岐阜を選びました。他にも、温泉に入りたいな、自然が愛でられるといいな、長良川鉄道には一度乗ってみたいなといった思いもあった。長良川鉄道は1両編成で、ノスタルジーや旅情を誘う路線なんです。のんびりとスマホを持たない旅と親和性が高いなと思いました。
――実際、スマホを持たずに岐阜を旅してみて、いかがでしたか?
この場所を選んでよかったなと思いました。プランはある程度イメージをしていたんですが、美濃和紙との出合いは想定外の出来事でした。宿泊先のチェックインで名前を書こうとしたときに、和紙にインクが染み込む様子に惹かれたんです。何気なく書いただけで、吸い込まれるような感覚でした。スマホで文字を打つのとは対照的だった。実際に手間隙をかけただけの風合いがあるんです。見ているだけで気持ちが和むんですよね。眺めて、酒の肴にできるほどでした。とにかくその素晴らしさに魅了されてしまいました。
――他にもスマホがない中での様々な人やものとの出合いが描かれていました。
例えば、飲食店に入るときにスマホがあったら、グルメサイトを見てレビューや点数を見てから決めたりしますよね。でもそういうことができないから、自分で暖簾の揺らぎなどから判断するんです。それはかつてのレコードのジャケット買いのような感覚でした。
店に入ると、隣に居合わせた地元の人との話が盛り上がりました。そのノリで2軒目、3軒目まで連れて行ってもらって。あの空間は、スマホで検索してはたどり着けない場所でした。目の前にいる人との関わりから導かれるもの、それはすごく心地のいいものでした。
他にもバスを待っているときに、青い木の実がなっていて、「何かな」と近くまで見に行ったんです。すると枝葉の間から建物が見えて、「あれは何だろう」と行ってみると、小さなカフェがあって。スマホで検索して見つけた店で飲むコーヒーと、自分で歩いて見つけた店で飲むそれと。科学的には味は同じなのかもしれないけれど、感じ方は全然違う気がするんですよね。僕はそういうものを大事にしたいと思います。
世界を自分の感覚で実感し、愛する
――スマホがあるとつい検索してしまいますよね...。
スマホでは目的地に一番早くたどり着く方法がわかります。でもアクセスは効率的になった一方で、人生で迷子になってしまう気がするんですよね。うまく使えば大丈夫なんでしょうけど、僕の場合はそうなってしまう気がしたので。
今回の旅では、寄り道や道草をたくさんしようと思いました。あとは、ぼーっとする時間に大事にすること。スマホによって埋められてしまった隙間から、何が見えるかを体験したかったんです。
もちろんスマホによって出会えるものはたくさんあるでしょう。でも今回の旅では、その便利さとは違った、果実のようなものに触れられた気がします。人が生きる上で享受できるもの。それは便利さや利便性だけであるわけがないので、それ以外のいろんな素敵なものに触れられる豊かさがあったと思います。
――スマホがなかったことで、お土産話が増えたと書かれていて印象深かったです。
昨今のSNSは「今」を共有しています。特にみんな眩しくてキラキラした瞬間を切り取って、発信しています。しかしそれを見ている人は知らぬ間に疲れてしまう。世の中ってそんな笑顔の瞬間だけじゃない。もっと仏頂面の時間もたくさんありますよね。どこかで自分は今、幸せなのだろうかと、不安な人が多いんじゃないかなと思います。生きている実感が欠落していると、おのずとそうなってしまうのではないでしょうか。
――スマホのない旅を終えて、本を刊行された今の思いを教えてください。
今回の旅では懐かしさやノスタルジーを感じた側面はありました。でも、僕はむしろ、未来を見据えて旅をしました。単に懐かしさに浸るためじゃなくて、ちょっと大げさですけど、これからの人間の豊かさを感じられるんじゃないかなと。
かつては物質主義の時代で、ものを持っていることが豊かさの象徴だった。それがだんだん物質から体験へと価値が変化していきました。そして、これから先。我々が今後求めていく豊かさのヒントが旅の中にあったと思います。世界を自分の感覚で実感する。世界の感触を、ずっと味わっていたいです。