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寺沢薫さん「卑弥呼とヤマト王権」インタビュー 「常識」への疑念をあえて

寺沢薫さん

 卑弥呼や邪馬台国は歴史ファンを妖しく魅惑する。が、扱いは悩ましい。その絶大な人気が災いしてか研究者の忌避を誘うのだ。こんなの専門家のやるテーマではない、と。

 それを、あえて書いた。奈良県桜井市、かつてヤマトと呼ばれた地の一角で、3世紀の纒向(まきむく)遺跡の正体を追ってきた考古学徒による、刺激的な「卑弥呼本」である。

 ひとことで論旨を言えば、こうだ。卑弥呼という女性はあくまで纒向遺跡を都に、有力諸勢力の「会盟」で誕生した「新生倭(わ)国」、つまり大和(ヤマト)王権の初代大王であって、決して「邪馬台国の女王」ではない。そもそも邪馬台国は奈良盆地の一地域勢力に過ぎず、弥生時代の畿内に大和王権を産み落とすだけの強大な権力などなかった――。

 纒向遺跡といえばいまや邪馬台国畿内説の象徴だし、卑弥呼が大和王権の王だなんて。畿内説と九州説の双方から集中砲火を浴びること、間違いなしである。

 それは本人も自覚しており、「私は異端だから」と言い切る。「きっと疎んじられるでしょうね。でも、考古資料が蓄積された今だからこそ声をあげ、常識とされることを検証しなくては。そんな時期に来ていると思うのです」

 邪馬台国を大和王権の前身とみなすのは近畿中心主義、畿内優越史観だ、と手厳しい。奈良県に奉職して県内遺跡の調査に従事、いま桜井市纒向学研究センターの所長を務めるだけに意外な気もするが、現地で研究を重ねてきた身だからこそ近畿の「過大評価」に疑念は募った。専門書ではなかなか吐露できなかった思いを、本書にはき出すことにした。

 百家争鳴の卑弥呼像や邪馬台国論争だけに、賛否はあろう。けれど、「批判はどんどん出てほしい」。次世代へのたたき台になれば本望だ。(文・写真 中村俊介)=朝日新聞2023年5月6日掲載