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矢野誠一さん「芝居のある風景」インタビュー 自在な筆から昭和が香る

矢野誠一さん

 スペイン旅行の思い出はチェーホフの「桜の園」に転じ、戯曲に出てくるアンチョビーで締める。盟友柳家小三治の訃報(ふほう)を嘆じつつ、名優北村和夫の迷言集へ。最後に挙げる舞台が何か、予想がつくだろうか。

 いささか旧聞に属するが、月面宙返りと鮮やかな着地を決めた、体操ニッポンでも見るような。

 もとより昭和の感慨と芸人や役者への共感にあふれた評論、随筆で親しまれてきた。自在な筆遣いは芸の域だが「だいたい考えてるけども、書きながら思い出すことってあるんだよね。いいサゲが見つかることもあるし」と何食わぬ顔だ。

 東京の老舗、三越劇場をはじめ観劇歴は80年余り。演劇や音楽を鑑賞する会員制の団体、都民劇場の月報に、自ら見た舞台や演芸について連載したものをまとめた。内容の解説より個人的な体験をつづるのは、「芝居の紹介記事って、実際にその芝居を見てない人が読んでるわけで、結局、こういう形になっちゃうんだよね」。確かに、観劇で覚えているのは案外、再会した知人とか舞台のトラブルだったりする。

 1967年の『落語遊歩道』から切れ目なく著作を出してきた。本書では戦前戦後の風俗に加え、統治下の京城(現ソウル)で迎えた終戦の体験など初めて明かす身の上話が多い。61年にテレビの構成台本を書いた話もその一つ。「原稿料は1桁ゼロが多い。放送作家になろうかな」とよぎった。でも「打ち合わせとかスポンサーにあいさつとか、時間を束縛される」と考え直した。

 その後も組織とは距離を置く。「若いときは『物書きより他に商売できない』ところに自分を追い込んでたような感じがするね」

 胸に去来するのは? 「書き残すみたいな意識は何もないんだよね」。風来坊の顔が、ほころんだ。(文・写真 井上秀樹)=朝日新聞2023年5月13日掲載