書かれるべきことが書かれている
――今回の対談は、新さんの『何食わぬきみたちへ』を読んだ尾崎さんが「この人に会ってみたい」と編集者に話したことから実現しました。尾崎さんは本作の帯に「噓を暴く以前に、嘘という概念すらなく、ただ真っすぐ本当に向かって書いてる」とコメントも寄せています。お二人は今日が初対面だそうですね。
新胡桃さん(以下、新):はい、クリープハイプは高校生の時からずっと聴いていて、去年、個人的にライブへ行ったこともありました。まさか自分の書いた小説にコメントを頂いたうえに、こうしてお会いできるとは……。
尾崎世界観さん(以下、尾崎):書かれるべきことが書かれている小説で、すごくいいなと思ったんです。この作品は障害者に対する周囲の人々の立ち位置を軸にしながら、家族やクラスメイト、自分では選んでいない、あらかじめ決められたつながりに対する感情を書いていると思ったんです。
新:敏感に感じ取っていただいてめちゃめちゃ光栄です。そうですね。中高時代、家族やクラスの友人と関わる中で、違和感にぶつかることはよくありました。でも分かり合えなさは、一面的に私が「悲しい、つらい」っていう話では全然なかったです。複雑なその感触を逆に利用したり、バネにしたり、何故か温められたり……。葛藤しながら感じたことを込めました。
――相模原の障害者殺傷事件が物語のカギとなって登場します。あの事件についてお二人はどのように受け止めていましたか。
新:事件があった時、私は中1だったんですけど、めっちゃ辛かったです。私自身、姉に重度の知的障害と自閉症があって、とても他人事ではなかったです。ネットに溢れるヘイトはもちろん、「犯人はこういう家だったらしいよ」とか「知らんけど気持ちわかるかも」みたいに一つの理由で片付けてさっと流す皆の態度が受け入れられなかった。でもそんな簡単な問題じゃなくない? 社会のほうに問題がいっぱいあるんじゃない? って、私はすごく怒ってたんですけど、周りのみんなは、これはこうだよね、あれはああだよねって簡単に理解した気になって片づけちゃう。その態度がすごく冷たく感じました。
尾崎:たしかに中1だったらそういう反応になってしまうかもしれませんね。
新:相模原の事件に限らず、誰かの苦しみや屈辱を笑って流すことや、「どうでもいい」に変換することへの強い抵抗はずっとあって。でもこの事件を小説に用いようとは、最初は考えてませんでしたね。冒頭のシーンを書いてからはじめて、ああこれはつながるな、絶対入れよう、向き合おうと思いました。
尾崎:新さんの感じたことって、小説でしか伝えられないんですよね。わざわざ本を開いて読もうという人は、もう今の時代、珍しいと思うんですけど、そのくらいの人でないとわかってくれない。自分ではどれくらい書けたと思いますか。
新:まだ物足りないです。もっとできたなと思います。
唐突な「好きだ。」にやられた
尾崎:終盤あたりに、敦子がパニックになって腕に噛みついてきた障害のある兄に対して「あーくそ、好きだ。」というシーンがありますよね。あれ、すごくいいなと思ったんです。「今うちさ、痛いんだよね? 辛いのはほんとだよね? それに暴力は、家族でもなんでも、許されないよね?」「そんな単純じゃない。確かに辛いけどさ、本当の部分は、根っこは幸せなんだよ。」「なら堂々とすれば?」って脳内めちゃくちゃな状態で、唐突に出てくる「好きだ」。その「好きだ」っていう言葉も、わかりやすい「好きだ」ではなくて、そういうことにつながり、縛られている自分の感覚も含めて、でもこの言葉しか今は、仮だとしてもこれしかないっていう、「くそー」みたいな気持ちと一緒に出てくる言葉。ああいう感覚を書ける人はあまりいないと思う。
新:ありがたいです。
尾崎:筋肉の反応みたいな、新さんのお姉さんとの生活もあったうえで、見たり感じたりしないと出てこない感覚だと思うんです。自分が音楽で表現している時の感じに近い。歌にのせられる情報量ってすごく少ないので。もっと言いたいこともあるし、言えることもあるんだけど、とりあえずこういう言葉をあてておこうという。ただ、音楽だとメロディー、音、声の感じでなんとなく伝わってしまう。それもある種の暴力だなって思っていて。だから小説を書いてるのかもしれません。
新:でも、歌の余白ってすごくないですか。私、クリープの「アイニー」の歌詞がすごく好きで。「ねがいり」や「ニガツノナミダ」、「身も蓋もない水槽」にもよく思うんですが、意味の全部が透明に伝わってくるわけじゃない。むしろモヤがかっているようで。でもぼかされているからこそ節々がリアルに感じたりもして。歌だからこその余白に「わ、なんだこれ悔しい!」となります。
尾崎:ありがたいです。でも、それも書いてる側からしたら「ただの隙間だ」と思ってしまう。そう読み取ってもらえてラッキーなだけで、自分の手柄ではない。音楽ってすごく楽しいし、自分に合ってるんだけど、“なんとなくやれちゃってる恥ずかしさ”があるんです。
新:そうなんですね。でも、歌なら一振りで鋭く伝えられることが、小説だといろいろ書いて説得力を足さないといけないじゃないですか。それを3分で伝えられるのがうらやましいなって思っちゃいます。
尾崎:たしかにそうですね。でも、小説を何時間もかけて読んだ人にしか伝わらないものって大きいし、この小説にはそれがあると思います。これは原稿用紙何枚くらいですか?
新:150枚くらいです。
尾崎:もっとボリュームのあるものを読んだという感じがしました。
異性視点で描く理由
――本作の前半は男子大学生・伏見の視点で描かれます。新さんのデビュー作「星に帰れよ」でも半分は男子高校生の視点で描かれていますね。尾崎さんも女性目線で書かれた作品が多くありますが、お二人が異性の視点を選ぶのはなぜですか。
新:あ、それ尾崎さんに聞きたいです。とくに主人公が女性の歌詞が、なんであんな風に書けるんだろうって。
尾崎:女性目線のほうが気持ちが乗るんです。自分の感覚が一切そこに介在しない、書いたものの100%が創作になって、逆に自分の感情になると感じるんです。男性目線にすると、自分の感覚が混じり過ぎてるんじゃないかって気になって、書いたものが作品に入っていかない気がするんです。
新:ああ、わかるかもしれないです。男の子の視点で書くと、物語がちゃんとクリアに見えてくる。1作目を書いたとき、友達に「読んだよ、これ胡桃ちゃんの体験で合ってる?」って言われたのがすごく悔しくて。純然たる物語として受け取ってもらえないのかって。尾崎さんにとって言われて嫌なことってなんですか? 嫌なことがはっきりありそう。エゴサもすごいするイメージです。
尾崎:(笑)。嫌なことを自分から見つけに行ってるんです。めちゃくちゃ盛り上がったフェスでも、後からエゴサーチをすると、冷めた目で見ているような嫌な人がいて。じゃあなんで来たんだよって思う。でも、そういう人がいる方が調子がいいんです。菌がないと発酵しないように。エゴサーチは筋トレに近いですね。寝る前に「尾崎さん」で検索すると優しめのことが書いてあるから、厳し目のことが書かれてる「尾崎世界観」でもう1セットいってみるかって(笑)。新さんはするんですか。
新:めちゃめちゃします。作品名と自分の名前で。前はフォロワー数とか些末なこともすっごく気にしてて、早く誰々に追いつかなきゃ、賞を獲らなきゃとかって思ってました。
尾崎:誰に追いつきたかったんですか?
新:(小声で)宇佐見りんさんとか(笑)。
尾崎:(笑)。
新:最近やっと気づいたんですけど、私は結局、目立ちたがり屋で“気にしい”なんです。でもその二つがないと小説なんて書けない。
尾崎:そうですよ。作詞だってよくよく考えればすごく恥ずかしいことをしていると思うけど、この自意識との戦いがすごく大事なんだと思っています。
時流に合わせず自分の小説を
――この機会に新さんが尾崎さんに伝えたいことがあれば。
新:ただのファンの感想になっちゃうんですけど、尾崎さんの『母影』を読み終わったあと、音楽に酔えないなって思ったんですよ。ひとつの音楽の色にこの小説の余韻とか感じたことを絶対に染めちゃいけないなって。主人公の女の子がかわいそうっていう話では絶対になくて、ドラマ的に収まってなくて。ほんとうに敬服しています。
尾崎:昔、対バンをしたあるバンドマンに「『母影』読みました。今日のライブ楽しみにしててください」って言われて。なんだろうと思っていたら、本番で、「お母さん、どうして私を捨てたの?」みたいな曲をやっていて。その時に、この人は何を読んだんだろうと思った。自分の書いた小説を奪われた気がして、めちゃくちゃムカついたんですよ。こんな伝わり方でいいなら音楽でやるよって。だから今のような感想はすごく嬉しいです。小説では、小説でしか伝えられないことをやりたい。
――尾崎さんは新さんにどんなことを期待しますか。
尾崎:新さんの小説を書いてほしいです。期待されるテーマがあるじゃないですか。女性作家が今書くならこれ、みたいな。そういうのを気にしないでほしいと思います。小説ほど、そういう時流をくみ取るみたいなものからは遠くあるべきだと思うので。
新:ありがとうございます。今、3作目をようやく書き出したところなんです。「初恋」がテーマで、自分としては新たな試みが詰まってて。今までとは違う作家さんの影響を受けていたり。千早茜さんとか。
尾崎:初恋、いいですね。千早さんにも読んでもらいたいですね。言っておきますね。
新:ありがとうございます! 千早さんが最近出された連作短編集がすごく良くって。
尾崎:……『犬も食わない』もいいですよ(笑)。(千早さんと尾崎さんの共作)
新:ぜひ、読みます!