最近のニュースは「言葉の暴力」が人命を奪ったと伝えた。30日で、英米翻訳家の柳瀬尚紀さんが亡くなってから7年になる。言葉の可能性を熟知していた彼に会いたくなった。
柳瀬尚紀『日本語ほど面白いものはない 邑智(おおち)小学校六年一組 特別授業』(新潮社・1430円)を手に取る。彼は「翻訳不可能」とされた、ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を7年半の歳月をかけて訳した。取材などに「日本語の漢字、ひらがな、カタカナそして、ルビを使えばどんな言葉も翻訳出来ます。故に日本語は天才である。天才だから訳せたのです。私のことではないですよ」などとユーモアたっぷりに語っていた。
この「言葉の先生」が島根県の山奥で学ぶ16人の前で教壇に立った。小学生に授業をするのは初めてで、少々心配だったが、安心でもあったという。なぜなら皆「日本語という世界」の住人。言葉があるおかげで他人に何かを伝え、自分にも何かが伝わる。話し相手がいなくても心の中でしゃべることができる。でも言葉のちょっとした違いは、人の気持ちを動かす。友達に悪口を言われれば心が痛み、それは暴力にもなる。言葉は、物が体にぶつかったのと同じような働きをする。言葉は生き物です――と言葉の力について話をされた。
その後も文通が続き、詳細は柳瀬尚紀『ことばと遊び、言葉を学ぶ 日本語・英語・中学校特別授業』(河出書房新社・1650円)にまとまっている。邑智中学3年生女子からの質問。《最近はすべて(うれしい時、かなしい時、)に関して「ヤバい」と言います。ヤバいの本当の意味、ヤバいの使い方はどうなんでしょうか?》。先生は、200年以上前の物語『東海道中膝栗毛』の「やばなことはたらきくさるな」を取り出し、「~くさる」は人をののしる時に使い、「やばなこと」は「御法度=法律にそむくこと」と訳したという。若者の間で「こんなうまいもの初めて食った。やばいね」といった言い方があると辞書にあり、肯定的に使う「やばい」の流行を実感したが、日本語社会ではまだ全面的な市民権を得ていないと分析した。
次は、私の心を救ってくれた翻訳本、リディア・デイヴィス『ほとんど記憶のない女』(岸本佐知子訳、白水Uブックス・1320円)。15年前に大病で入院・手術を宣告された時、ショックで頭がふわりとするなかで選んだのがこの本。タイトルが当時検査中だった自分のようで気に入った〈異形の物語〉全51編。「アメリカ小説界の静かな巨人」によるひねくれた独特のユーモア、との紹介文に興味が湧き元気が出て、闘病中の友とした。この本の構成は、箴言(しんげん)、詩、寓話(ぐうわ)的なもの、旅行記など一編の長さにバラツキがあり、体調に合わせて変化が楽しめた。併せて身につまされる内容もあり、湧き出るイメージの生々しさにつられて、ページの余白にボールペンで絵を描きだした。結局この行為が、回復の一歩となったのだ。
少し元気が出たら坂崎重盛『荷風の庭 庭の荷風』(芸術新聞社・3300円)を手に取りたくなった。坂崎さんの著書は情報が半端なくて分厚い。本の構えからは、読み飛ばすと楽しみが奪われますよという声が聞こえる。永井荷風の自画像を拝見する。俳句も入った扇面だ。フランス仕込みのスタイルにワインはキャンティ、読み物は漢詩集。絵が「荷風らしさ」を翻訳する声が聞こえる。「ナチュラリスト散人」としての荷風は、江戸末期の教養人の愛した、旧跡探訪や草花の栽培などの世界を受け継いだのでは、と想を巡らせることができる。すると、下駄(げた)を履き竹箒(たけぼうき)で庭をはく荷風がダンディな謎が解ける。=朝日新聞2023年7月22日掲載