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万城目学「八月の御所グラウンド」は、見えないものを見せ、大切なものを再認識させる 書評家・杉江松恋「日出る処のニューヒット」(第5回)

©GettyImages

駅伝・青春小説だけではなく

 万城目学、原点である京都に凱旋す。
 ゆえに新刊『八月の御所グラウンド』(文藝春秋)で第170回直木賞の候補となり、さらには受賞することを強く望むものである。
 本書は2篇を収めた中篇集だ。巻頭の「十二月の都大路上下ル」と表題作は共に『オール讀物』に発表された。一口で言うなら、京都スポーツ小説で青春小説だ。もう一つ、隠し味があるのだが、あとで触れる。

「十二月の都大路上下ル」は駅伝小説だ。私は知らなかったのだが、全国高等学校駅伝競走大会は毎年12月に京都市で開催されるのだそうである。〈私〉こと坂東、通称サカトゥーの学校は27年ぶりに都大路を走る切符、すなわち女子全国大会のエントリー権を手に入れた。全校生徒を集めての壮行会まで催してもらい晴れの舞台にやってきたわけだが、サカトゥーはそれほど緊張していない。なぜならば1年生で補欠だから。レギュラーメンバーは3年生と2年生で結成されている。もちろん真剣に応援はするつもりだが、気楽な立場である。
 であった、はずなのだが。
 大会前日、陸上部の顧問である「鉄のヒシコ」こと菱夕子先生から彼女は「坂東、アンタに決まったから」と告げられる。レギュラーメンバーの一人が体調不良で走れなくなったのだ。サカトゥーは顔面蒼白になる。無理、絶対無理。なぜかといえば超絶方向音痴だからである。どんな道でも間違える自信があるのに、まして京都の街路なんてありえない。上ルとか下ルとかなんとか小路とかアネサンロッカクタコニシキとか。だがヒシコの決定は絶対なのであった。
 そして本番。あろうことかタスキリレーのアンカーを任されてしまったサカトゥーは、ガチガチに緊張しながら走り始める。案の定、頭の中の地図は白紙に戻った。どっちに曲がるんだっけ、と考えながらやってきた交差点で、サカトゥーの脳内には「左だ」という確固とした答えが浮かぶ。まさにその動きを取りかけたとき、「右だよ、右!」という頬を叩くかのように鋭い声が響くのであった。

 競争の結果については、読んでのお楽しみということで。絶望的な方向音痴であるサカトゥーは不安に塗れた主人公である。正直道どころか周りが何も見えていない。同じ1年生部員の咲桜莉(さおり)が彼女を気遣ってくれた行為の温かさにも気づいていない。同学年から自分ではなくサカトゥーが選ばれたのが残念ではないはずはないのだ。そうした「見えなくなっていたこと」が見えだしたサカトゥーは、「見えるはずのないもの」まで見ていたことに気づくのである。
 え、見えるはずのないもの、って。疑問符が浮かんだ方も多いと思うが、先に進む。

癖のあるキャラクターを巧みに

 表題作は野球小説である。京都で大学生活を送っている〈俺〉こと朽木は、突如彼女にフラれた。「あなたには、火がないから」という理由である。
「燃えて灰になったものもない。最初から、ただの真っ暗。いや、真っ暗という色すらないかも」
 というわけで朽木は8月の敗者となった。彼女の実家がある高知県に遊びに行き、四万十の清流に浮かぶこともできなくなった。8月の京都は、地獄の釜同然である。大地は茹であがり、すべての前向きな意思や意欲は溶け出して蒸発していく。猛暑に喘ぎながら8月を過ごすしかなくなった朽木は、同じ年の多聞から焼き肉を奢られ、さらに3万円の借金のカタにあることを要求されてしまう。早朝野球大会への出場だ。多聞もまた研究室の三福教授から難題をつきつけられていた。学業をおろそかにして水商売のバイトばかりやってきた多聞は教授から嫌われている。このままでは卒業は絶望的だが、道がただ1つ残されていたのである。それが、たまひで杯での優勝であった。
 たまひで杯が何かは詳しく説明しないことにする。つまりは草野球大会なのだが、三福教授は、その優勝に異常なほど執着しているのだ。参加しているのは全6チーム、総当たりだから5戦し、いちばん成績のいいチームが優勝となる。

 朽木が1日おきの早朝野球に臨む、というのが物語の流れである。といっても草だから、プロや高校野球では起きないような問題が発生する。9人揃わないのである。初日は幸運にも5回コールド勝ちを収めた三福チームだったが、第2戦にして選手が2人来られなくなるという危機に見舞われる。ルールにより9人が1人でも欠けると不戦敗なのだ。朽木と同じゼミに属している大学院の留学生、シャオさんがたまたま試合を観戦に来ていたので、無理を言って彼女にも参加してもらう。さらにシャオさんが見物に来ていた男性を誘ってくれて、なんとか試合は成立した。毎日はこんな調子で綱渡りだ。

 癖のあるキャラクターは万城目最大の武器である。超絶方向音痴のサカトゥーを視点人物に配することで「十二月の都大路上下ル」は読者に見える世界のありようを操作した。「八月の御所グラウンド」では、シャオさんがキーパーソンである。実はシャオさん、日本のプロスポーツ史について研究していて、野球に強い興味を持っていたのだ。野球とはシャオさんにとって異文化そのもので、彼女の目から見た試合や、自分がその中に混じって行われるグラウンド内の事どもは驚きの連続である。彼女が「アイヤー」と感じ入るさまを示して読者を楽しませている間に、万城目は次の仕掛けに移る。あるものを朽木に見せるのである。

16年ぶりに原点・京都に回帰

『八月の御所グラウンド』収録の2篇は、見えないものが見える小説という共通点がある。そこにいるのに見えないもの、と言い換えたほうがいいか。1200年以上の歴史がある京都には長い時間の蓄積がある。街路は古の都人が往来していた頃から変わらずそこにある。さまざまな事件の痕跡や、著名人の面影が残る町なのである。それは、見えるものには見えるが、見ようとしないものには見えない。現在は瞬間だけで成り立っているのではない。連綿と続く時間の流れがまずあり、その結果として現在があるのだ。そのことを意識させる仕掛けが物語には施されている。歴史小説、とはちょっと違う。歴史の存在を意識させる小説だ。
「八月の御所グラウンド」は、この世界にいるのは自分たちだけではない、ということをしみじみと感じさせてくれる小説だ。ネタばらしになってしまうのでどういうものかは書かないが、小説の仕掛けが次第に明らかになってくるにつれて、読者の心中にはある感情が湧き起こってくるはずだ。そこにあなたがいてくれて、よかった。そうした感謝と思慕である。

 ご存じのとおり万城目学は『鴨川ホルモー』でデビューを果たした。そこに始まる近畿地方青春小説とでも言うべき作品群で人気を博したが、しばらく京都からは足が遠のいていた。ホルモーシリーズからだから、なんと16年ぶりに原点回帰をしたのは、見えないものが見える町に呼ばれたのかもしれない。万城目の小説を読むといつも、何か大事なことを忘れていた、という気持ちにさせられる。大別すれば幻想作家に含まれると思うのだが、万城目の作り出す虚構世界は、読者の記憶装置を操作し、根幹にある大事なものを再認識させてくれるのである。『八月の御所グラウンド』が8月の物語であることにも意味がある。これを忘れてなぜ平気でいられたんだろう、と読みながら呟いた。