有能ながら窓際にいる刑事の杉下右京を演じる「相棒」は23年が経つ。「放送開始前に『この面白さならシーズン5はやれる』と言ったら、皆に『えっ』と驚かれました。始まってみると好評で『シーズン7までいけばいいね』となり、『映画版までは』となって、今はプロデューサーと『完全にやめ時を失ったね』と話しています(笑)」
渥美清が寅さんを演じ続けた26年にまもなく並ぶ。「道を歩いていても『あ、水谷豊だ』じゃなくて『あ、右京さんだ』と呼ばれます。若い頃はイメージが固まるのが嫌で、すぐに違うことをやりたがっていた。でもね、右京はなかなか飽きさせてくれない。だからこんなに長く付き合えているのでしょう」
水谷さんが若者の気分を代弁していた1970年代。ドラマには、今とは異なる独特の空気感があった。「石橋蓮司さんと一緒にインタビューを受けたことがあるんですが、その時に蓮司さんが『豊と一緒だと70年代の芝居が出来るんだよ』とおっしゃいました。それで僕もふとね、70年代の芝居って何だろうと考えたことがありました。はっきりとありますよね、70年代の空気っていうのが。何かに向かって突き進んでいくエネルギーでしょうかね」
それは「不良性感度」と呼ばれる空気感かもしれない。萩原健一との探偵コンビが人気だった「傷だらけの天使」はPTAから「子供に見せたくない」と批判された。「親が寝てから見る子供と、子供が寝てから見る親がいたそうです(笑)。批判は気にしていませんでした。当時、僕はこのドラマが終わったら、芸能界から抜けようと思っていました。だから、好かれる必要はなかったんです」
岸田森が「俳優にとって最高の褒め言葉は、地でやっているんですか、と聞かれることだ」と言ったのが心に残っているという。「なぜ岸田さんがそう言ったのか、考えるんですけど、『やってる感』を出す俳優が多いからではないかと思います。僕自身は『難しいことをやっています』という演技はしてこなかった。周囲にはこう言ってました。『だから僕は評価されないよ』と(笑)。やっぱり『やってる感』を出す俳優が演技賞をもらうんですよね」
「自伝」からは、水谷さんの演技論がいくつか見えてくる。「涙」に対する考え方もその一つだ。「熱中時代」のパート2では生徒たちとの別れのシーンで、水谷さん演じる北野広大先生は涙を見せない。また、「相棒」の右京については「どんなに辛(つら)くても泣いちゃいけない」と書いている。
「人間って、本当につらい時には涙が出ないものですよ。涙が出るのはちょっと心に余裕が戻った時。それなのに『さあ、私の涙を見て下さい』という演技があるでしょう? これでもか、と涙を流す。喜ぶ観客がいるからかもしれませんが」
17年の「TAP THE LAST SHOW」から映画監督も始めた。「轢(ひ)き逃げ 最高の最悪な日」「太陽とボレロ」と3本撮っている。いずれもオリジナルのエンターテインメント。2本は自ら脚本も書いた。
「僕にとっては『相棒』以外の世界を持てたことがとても良かった。長く『相棒』をやり続けている中で心のバランスが取れるようになりました」
これからも監督を続けていきたいという。「難しい映画も良いが、僕は、見るだけで悩みが吹き飛ぶようなエンターテインメントを目指したい。サスペンスもコメディーも大好きです。唯一の苦手なのはラブストーリー(笑)。しっとりした恋愛、というタイプじゃないんです」(編集委員・石飛徳樹)=朝日新聞2023年8月23日掲載