「私は足元の大地が崩れ落ちていくような、喪失感を味わった」
2021年秋、歌舞伎俳優二代目中村吉右衛門の訃報(ふほう)に接した時の衝撃を、本書冒頭の一文が物語る。5歳から歌舞伎座に通い、60年近く筆をふるってきた評論家が思い立ったのは、この俳優の舞台を微細に記述し、そこに自分が何を発見したのか、次代に伝えることだった。
「死に巡り合い、哀惜の念を抱いた役者は他にもいっぱいいましたよ。でも、吉右衛門については今きちんと論証しないと、歌舞伎の歴史はダメになる。次の時代につながらないという気がしたものですから」
「この人は違う」と思ったのは1990年、「一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)」の舞台という。平家の全盛期、英明な本性を隠して生きる公家を演じる姿に、「太平洋戦争中、大学の憲法の講義で野球の話ばかりしていたという学者と同じだ」と感じた。この作品を見て、自分と同時代を生きた誰かを思い浮かべたのは初めてだった。
明治以降、荒唐無稽などと評されることもあった歌舞伎の物語や表現を、合理主義の支配する社会で、いかに成立させるか。近代の名優たちの苦闘を経て「吉右衛門は、どうしたら自分は芝居の中の人物を『生きる』ことができるかを追求した」。「それは、その役の『現代性』とは何かを考えることだった」
この本で言及したのは、一條大蔵卿をはじめ、「勧進帳」の弁慶や「新薄雪物語」の幸崎伊賀守など、当たり役からえりすぐった34役。中学時代からつけていた観劇ノートや劇評をたどり、書き下ろした。
舞台で俳優がどう演じたか。高精細の映像で残せる時代になった。それでも、「目には見えないものがある」と言う。演劇とは観客の心に映し出されて初めて結ばれる、はかない、しかし永遠の記憶だからだ。(文・増田愛子 写真・大野洋介)=朝日新聞2023年9月16日掲載