タイやラオスの山岳地帯の森で暮らす人口500人前後の少数民族ムラブリを紹介した『ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと』が話題になった言語学者の伊藤雄馬氏。ボルネオ島の森で、やはり狩猟採集を中心として暮らす人々プナンを描いた『一億年の森の思考法 人類学を真剣に受け取る』で高名な、人類学者の奥野克巳氏。この2人が満を持して対談する。
想像されがちな、プリミティブな生活を紹介して、現代日本に忘れられているのはこれだ、という内容のものではない。この2人は実際に森に入り、フィールドワークを通して現地の人々の思考や言動の意味をトレースしてきた。本書が、学者による未知の世界の冒険の書ではないのは、森の生活を一度体験した者が、現代日本に帰ってきたときになにができるかに重点を置いている点だ。むしろ帰ってきてからの話だ。しかも、頑(かたく)なに森の生活らしくふるまったり文明社会に抗(あらが)ったりするのではなく、日本でも、常にムラブリ的、プナン的に、柔軟に自然体で過ごすことができるのか、という試みと思索なのである。そしてこの視点が、いまこの日本でこの本を読む意味に繋(つな)がっている。
むろん、ムラブリとプナンを同一に語ることはできない。それぞれの違いを対話で明確にしたうえで、しかし共通点があることもわかっていく。
「ムラブリには専門家がいないんです。スペシャリストを目指さず、誰でもジェネラリストになっていく」(伊藤)
「誰がやるべきとか、誰がやれば早く済むというふうには、プナンは考えません」(奥野)
貸し借りなく、だれにも依存しない社会で、なるべく自分の力で生きていく。そしてそこでは男女の仕事の差も大きくない。分業化が進んだ現代において、「まずぼくが自活できるようにやってみる。下手でもいいんです。そこを目指す。すり鉢(※評者注・現代社会の構造のこと)の外で一人で生きる、そのチャレンジを見てもらうこと」と伊藤氏の発言は力強い。
また、「他人のカネで生きていく」をモットーに、出会ったさまざまな人たちに奢(おご)ってもらい生活をしている「プロ奢ラレヤー」氏の存在に話が接続される点が、考察対象が縦横無尽で興味深い。やりたいことがなく、働きたいという欲もなく、それでも自分でなんとかして生活が成り立っている現代を象徴した存在として彼を紹介したうえで、同様の生き方を森で実践してきたムラブリたちとリンクさせ、現代社会の構造にまで話題が発展する。
こんなにドキドキさせてくれる実践者が出てきたことにこれからも目が離せない。=朝日新聞2023年9月16日掲載
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教育評論社・1980円。奥野氏は62年生まれ。立教大教授。著書に『人類学者K』など。伊藤氏は86年生まれ。横浜市立大客員研究員。富山国際大講師などを経て独立研究に。