「まだ頑張れ」と言われた気に
プルーフが増刷されたことを聞いた時、町田さんは書店員からの期待が伝わってきてうれしかったと振り返る。
「本屋大賞をいただいて、『応援しつくしたのでもう十分だろう』って思われていたらどうしようと思っていたんですけど、まだこれからも頑張れ、って言ってもらえた気がしました。毎回、新作が一番面白かったって言われたいと思っているので、本を刊行する時はものすごく緊張します。でも、その緊張も少し和らぎました」
『夜明けのはざま』の装丁は、シックな色合いのイラストが描かれており、過去作品の表紙とは一味違った雰囲気がある。
「今までかわいい系の装丁が多かったので、こういうデザインもいいなと思いました」
後悔しないよう、どう生きるか
舞台は、とある地方都市の家族葬を営む葬儀場「芥子実庵」。ここで働く佐久間真奈は、彼氏からプロポーズされたものの、「結婚するなら仕事を変えてほしい」と言われ、思い悩んでいた。そんな中、高校時代の友人の訃報が飛び込んでくる。
地方都市の葬儀場と聞いて連想するのが、町田さんの『ぎょらん』という連作短編集だ。こちらも地方の葬儀会社が舞台で、人が死ぬ瞬間に生み出され、それを噛み潰すと死者の最期の願いが見えるという「ぎょらん」という赤い珠にまつわる物語だ。同作の中には「夜明けのはて」というタイトルの短編もある。
「似ているかもしれないけど、真逆のものを書いています。『ぎょらん』は、誰かの死とどう向き合うか、どう乗り越えていくか、などと、死をテーマにしています。でも、『夜明けのはざま』は、生がテーマ。生きているとしんどいこともたくさんあり、自分の辛さやもどかしさと向き合いながら、戦いながら生きています。ただ、生きている人がどう生きるかを考える時に切り離せないのが、“死”という、“生きる”の果てにある存在。死が傍らにある時に、人が生きるということが際立つんじゃないかと思ったんです」
連作短編集である本書は、章ごとにメインとなる人物が変わる。1章は葬儀場で働く佐久間だが、離婚した元夫が男性の恋人と一緒になっていたというシングルマザー、貧しい家庭で育ち、いじめに遭っていた青年、学生時代に交際していた男性の訃報を知った主婦などが登場する。
「生きていく上での自分の痛みだけでなく、誰かの痛みや苦しみも書きたい。そうするためには、章ごとに視点を変えたほうが痛みの幅が広がるのではないかと思ったんです。女性にも男性にも、それぞれ生きづらさがあります。身近にいてもおかしくないような人が抱える痛みや苦しみを描くことで、より共感してもらいやすくなるのではないかと考えました」
どの登場人物にも共通するのは、誰かの死に直面しているということだ。自分の大切な人の場合もあるし、そうでない場合もある。いずれにせよ、そのことが、自分について考えるきっかけになっている。
ある章の登場人物のセリフに、「ぼくたちはあまりにも、明日に任せすぎている」というものがある。日々の忙しさにかまけて、「また明日」と先延ばしにしがちなのは、きっと誰にでも思い当たるだろうが、当の自分が死ねば当然明日は来ないし、誰かが死んでも、その人と話をすることは二度とできない。
「私たちには死という揺るぎない断絶があり、そこで後悔しても遅いし、誰かに謝りたくても謝ることができなくなります。私も今は死んでいないけど、あの時こうしておけばよかったという後悔や苦しみがあるんですよね。もし20代で死んでいたら、もっと後悔していたと思います。後悔しないようにどう自分らしく生きていくか、どう自分の痛みと折り合いをつけていくか。また、相手を許す、認めるといったことも同じで、やっぱり明日ではなく、今向き合って考え、戦っていかなきゃいけないのではないか、ということはずっと考えてきたことです」
「夢を蔑ろにした数年間」が書く原動力
町田さんには、明日に任せ続けて今も後悔していることがある。それは小説家になりたいと思いつつ、全く書かなかった時期のことだ。小学校高学年から中学生の時にいじめに遭っていた時、心の支えとなったのが氷室冴子さんの小説だった。影響を受けて自分も小説を書き始め、「氷室さんに会いたいから作家になる」と思っていた。やがて社会人となり、結婚して出産を経て、いつしか小説を書かなくなった。
「小説家はアスリートと違うから、いつでも書ける。子どもが成長したら、時間が取れたら、って明日に任せ続けていました。でも、28歳の時に氷室冴子さんが亡くなられて、私の夢が消えたと思いました。私は作家になることが夢ではなくて、氷室さんにお会いして、『あなたのおかげで作家になれました』って伝えるという、押し付けがましいところまでが夢だったので。タイムリミットは自分だけじゃなくて、相手にもあることに気づきました」
「今、こうして作家になれたし、氷室さんのお墓参りにも行かせていただいたけど、もっと早く頑張れば会えたかもというジレンマは消えない。『生前、氷室さんにお会いしました』『氷室さんが選考委員だった賞で作家デビューしました』って話を聞くと、正直悔しくなります。あの時の空虚感、作家に対する夢を蔑ろにし続けた数年間は本当に情けない。でもそれが、今の書く原動力にもなっているのかなと思います」
また、北九州のある土地で生まれ育った町田さんは、周囲から「女の子は結婚しないと家を出たらだめ」「都会に出たいだなんて、あなたは無理」と言われ続けてきた。
「私自身もすごく流されていた自覚があるんです。いま考えるとすごく怖いことをしていたなと。都会に行っていろんな文化に触れてみたかったけど、『あなたなんて無理』って言われたら、私はそんなことができないダメ人間なんだと思い込むようになって。でも違うなと、今だったらわかる」
「人生を狭められたと恨んだ時期もありましたが、自分自身のせいでもある。あの時、自分に疑問を感じて声をあげるべきだったのに、思いつきもしなかった。今の時代は、そういうことが言いやすい空気になっていると思うけど、まだまだ。ただし、自分の痛みを共感してもらえることも大切だけど、同じように他人の痛みも想像できるようになったほうがいいのかな、と思いますね」
自分の痛みは、誰かの痛み
本作も、誰かの死に直面してさまざまなことを考え、小さな一歩を踏み出す姿が描かれている。
「後悔しないで済むようにするには、自分がこうしたい! と思った時に行動に移せるようにすること。いきなり転職は難しくても、とりあえず転職サイトに登録してみるとか。周囲から見たらどれだけ小さなことでも、自分にとっては大きな一歩。小さいことでもとにかく動く、明日に任せていたら死というタイムリミットが訪れて、とりかえしようのない後悔や絶望がやってきますから」
町田さんは、本作で描く、誰かの痛みや葛藤が、誰かの気づきになってほしいと願っている。
「女、男であるがゆえの生きづらさ、田舎に行けば行くほど濃くなり『こうあるべき』という古い考え方に直面する人たちを物語に書くことで、『私の苦しみはこれだったんだ』『嫌だったら嫌と言ってもいいんだ』って気づいてくれるとうれしいですね。自分の痛みは、その人だけの苦しみではなく、誰かの痛みでもあるはず。他者の痛みについても考えてほしいし、他者と理解し合うのであれば、対話が必要。その対話がすごく難しいんだけど、いつタイムリミットが来るかわからないことも忘れないでいてほしいですね」