「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督が、この本を映画化すると聞いて、とても驚いた。往復書簡の映画化というのは、これまであっただろうか?
しかも、ただの往復書簡ではない。重い病気になり、医師から「急に具合が悪くなるかもしれない」と言われた、哲学者の宮野真生子(まきこ)。彼女は、人類学者の磯野真穂に往復書簡を提案する。途中で本当に急に具合が悪くなるが、それでも続け、最後の原稿を書き終えた翌日、救急搬送されて入院し、42歳で夭逝(ようせい)した。そういう特別な本なのだ。宮野はなぜ往復書簡をやろうと思ったのか? なぜ相手に磯野を選んだのか?
磯野自身も疑問に思ったようだ。宮野の答えは「うーん、〈この人〉って思ったんだよ」だった。長年の知人でもなく、同病者でもない。出会ったばかりで、磯野は空手にボクシングと健康そのもののようだ。
しかし、読んでいくにつれて、なぜ往復書簡なのか、なぜ磯野なのかがわかるような気がしてくる。死んでいく人と語り合うのは難しいことだ。「早く良くなるといいね/お大事に/無理しないで休みな/大丈夫?」。こうした言葉が宮野に対しては使えないことに磯野は気づく。「どんな言葉であれば宮野さんを傷付けずにすむのか」
旅行した人に「どんなだった」と聞くことはできる。食レポなら「どんな味かちゃんと説明して」と頼むことができる。しかし、死んでいく人に、いま何をどう考えているのかを聞くことは、とてもできない。しかし、磯野はこう書く。「宮野にしか紡げない言葉を記し、それが世界にどう届いたかを見届けるまで、絶対に死ぬんじゃねーぞ」
死んでいく者と生き続ける者の人生の軌跡がからみあい、二人でなければ紡げなかった言葉が、この本の中で読み手を待っている。
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晶文社・1760円。19年9月刊、16刷2万7千部。主な読者は20~50代の女性。26年の映画化決定で話題になったが、以前から熱い感想が寄せられてきた。生きるとは何か。「豪速球のキャッチボール」が読者を揺さぶったと担当者。=朝日新聞2025年8月2日掲載