1. HOME
  2. コラム
  3. 本屋は生きている
  4. 平山書房(韓国) 文在寅・前大統領が開いた店。農村地帯から広がる「本を読む文化」

平山書房(韓国) 文在寅・前大統領が開いた店。農村地帯から広がる「本を読む文化」

 2023年は実に、3年半ぶりに韓国に行けた年だった。友人・ヒジョンともリアルで会うのは3年半ぶりで、一緒にどこに行こうかと、会う前から大いに盛り上がった。

 空港は利用するけれど街歩きをしたことがない仁川は、ヒジョン曰く「なぜか毎回あそこでは悪いことが起きる」というので却下。文句なしに一致したのが、釜山の北、慶尚南道梁山(ヤンサン)市の平山(ピョンサン)村という農村地帯にある「平山書房」だった。

 50世帯ほどが暮らす集落にポツンと一軒できた本屋は、2022年5月に任期を満了して政界を引退した文在寅・前大統領が自費でオープンしたことで知られている。「店主に会えたらラッキー」「釜山から高速バスと地域バスに乗る」ぐらいのリサーチしかしていなかったが、釜山出身のヒジョンが、地元の友人・ウニさんに連絡したところ、車で一緒に行くことになった。

オープン直後から賑わうカフェスペース

 朝5時台にソウル駅を出発するKTX(韓国高速鉄道)に2人で乗り、終点の釜山を目指す。車窓から見える、キラッキラの朝日がまぶしい……と思いつつ寝ては起きてを繰り返すこと約3時間。私にとってはこれまた10年ぶりの釜山駅で、ウニさんが迎えてくれた。

 まずは高速道路経由で、梁山市にある韓国三大名刹寺院だという「通度寺」(トンドサ)まで向かう。多少勉強しているとはいえ、ネイティブ2人の方言交じりの韓国語は全然聞き取れない。でも時折分かる単語から推測するに、うん、多分家族の話だろうな。

 ウニさんとヒジョンの弾丸トークに耳を傾けていると、日本語堪能なヒジョンが急に「ねえ、ソトッソトッ知ってる?」と聞いてきた。なんですかそれ?

「これこれ」

一部のSAで売られていたのを、5年前に人気コメディアンがテレビで紹介してバズったソトッソトッ。隣はじゃがいもの素揚げ「アルカムジャ」。

 途中休憩のサービスエリアで2人が差し出してくれたのは、「ソ」ーセージと「トッ」ポッキが交互に並んだ串だった。だからソトッソトッなのか。しかしここではまだ、お腹を満たしてはいけないという。ウニさんがリサーチした、 通度寺近くの定食屋でモーニングすることになっていたのだ。無策の私と違い、ウニさんはずっと計画を練っていたらしい。

「一度一緒に食事をしたら友人、二度したら家族だから」と、初対面の私にもウニさんは言う。言葉はあんまりわからないけれど、温かい気持ちがじんわりと伝わってきた。

 しかしここがゴールではない。「臨時休館」とあるものの限りなく廃墟の雰囲気が濃厚なレジャーランド「通度ファンタジア」を横目に平山村へと進む。ふもとに車を停め、そこから徒歩で店に向かうと、「蔚山市からタクシーで来た」という2人組と一緒になった。

もともとあった住宅をリモデリングした平山書房の建物。写っていない左側にカフェカウンターがある。

 午前10時の開店時間直後なのに、もうお客さんがいるのね……と軽く驚いていると、店前のオープンカフェスペースには、既に3組ほどの先客がいた。文在寅氏の本屋だからなのか、それともできて日が浅いカフェ兼本屋だからかはわからないが、人気であることはわかった。

 まずはヒジョンが「個数限定なので、早めに頼まないと売り切れる」と推す「トリーラテ」を注文して、ひと息つくことに。トリーは文在寅氏のペットの犬の名で、見事なラテアートを崩すのはちょっと惜しい。と言いつつがぶ飲みして店に入ると、店内は平屋ながらも天井が高く、斜めに切り立った屋根の窓から光が差し込んでいた。

一番人気の「トリーラテ」。ダッチコーヒーにミルクと自家製生クリームでほんのり甘い。日本円で約550円。

文氏セレクト「だけじゃない」品揃え

 アポなしで訪れたものの「日本から来た」と声をかけると、事務所長のシン・フンジョンさんが話を聞かせてくれることになった。広さはカフェスペースを入れると約40平方メートルあり、うち半分ほどがブックスペースになっているそうだ。

 釜山近郊の金海市から通うフンジョンさんは、地域のミニ図書館の館長経験者ながら、ここ最近は本と関係ない仕事をしていた。しかし2023年4月のオープンに先駆け、平山書房の関係者から声をかけられたのがきっかけだった。

「将来の夢は、自分の本屋を持つこと」だと語ったシン・フンジョンさん。

「その時、ドキッとして。私は本当に本が好きだってことを思い出しました。前大統領の本屋だけど、私は政治的なことには興味がなくて。でも政治とは関係なく、本を読む文化を広めたり、本を媒介にして地域の文化や経済を活性化させたりしていくのが目的だと説明を受けて。その趣旨に賛同したので、働くことにしました」

 店は財団法人としての平山書房と、村の人たちが参加する委員会が運営しているものの、文氏が住む家から歩いてすぐの場所にある。だから彼のファンが多く訪れるのかと思っていたが、フンジョンさんによればファンかどうかはわからないが、韓国全土はもとより海外からもやってくるという。オープン時よりは落ち着いたものの、現在も平日で1日約500人、週末になると1500人ほどのお客さんが来ると教えてくれた。大盛況じゃないですか!

広い窓から平山ののどかな景色が見渡せる店内。

 引退後の文氏は政治の表舞台に立つことはなく、夫人と農作業や焼き物などをして暮らしている様子が伝えられるが、ときどきTwitter(X)で読んだ本を紹介している。これが「文在寅ピック」と呼ばれ、紹介された本が各地の書店に平積みされる「ブックインフルエンサー」でもある。

 平山書房には、その文氏がセレクトした本と、運営委員会がジャンル別に選んだ推薦本を置いているが、地域最大の本屋なので尖りすぎたセレクトではなく、売れ筋も扱うようにしている。特徴としては、絵本をちょっと多めに扱っていることだと語った。

「はじめのうちは『子どものために』という絵本の特設コーナーもありましたが、今はカナタラ(韓国語のあいうえお)順に並べています(笑)。私は地元の絵本同好会のメンバーなのですが、2週間に1回ある会議で『イラストがキレイ』とか『内容がいい』とか、皆で盛り上がった本を推薦して置いてもらうようにしています」

 現在の在庫は「だいたい1万冊」で、倉庫は別の場所にあるので、搬入はひと苦労だとフンジョンさんは笑った。

「本の力を信じている」

図書館スペースにはベンチとピアノも。なお荷物は私のものではないので動かせず。

 店の奥には買わなくても気軽に本を手に取れる、図書館スペースも併設されている。自身を「活字中毒」と評する文氏の私物が並ぶ棚をつらつら見ていると、ドラマにもなった『未生(ミセン)』の単行本が目に入った。私も大好きな作品だったので、ちょっと嬉しくなる。

 中央平台に文氏のおススメ本があるというので、ヒジョンに解説してもらうことに。中でも文氏が「ノンストップで読んだ」という、ドイツ系アメリカ人のノラ・クリュッグが、ナチスに加担した自身の家族史を描いた『私はドイツ人です』(原題『Belonging: A German Reckons with History and Home』)は売れ筋の模様。ヒジョンは買うことにしたと言っていたが、私が辞書を引きながら読むと100年ぐらいかかりそうだったので、日本での発売を待つとしよう。

文氏オススメ本にはこのポップがあるので、韓国語が読めなくてもこれを頼りにすれば大丈夫!

 その隣にあった『本を読む人 文在寅読書ノート』は、ISBNはあるものの平山書房のオリジナルアイテムで、読んだ本を記録できるようになっている。エッセイや詩もちりばめられているので、韓国語学習にも役立ちそう。日本では翻訳されていないものも多く、ほとんどが初めて目にするタイトルばかり。でも本屋の棚って、眺めてるだけでワクワクする。

 せっかくなのでいつか読破することを誓って、平台から2冊ほど選んで旅の記念に購入。会計を済ませて紙バッグに本を入れてもらうと、韓国の版画家イ・チョルス氏が「家と本のある空間」をイメージした店のロゴとともに、こう書かれていた。

「本の力を信じている。本は遅くても、世界を変えていくと信じている」

本の形をしたオブジェにも左側に店のロゴ、右側にスローガンが書かれている。

 文在寅氏の在任5年間については、南北首脳会談などの華々しい業績の半面、内政では不動産価格の高騰を招くなど毀誉褒貶ある。でも少なくとも、退任直後に文氏の家の前で拡声機を使って「文在寅を逮捕せよ!」と声を張り上げていた人たちよりも、平山書房に集まる人たちは皆幸せそうに見えた。そして何より私は、「本の力を信じている」と胸を張って言える人が好きだ。

 店主は、予定のない日は午後4時ごろに店に来ることもあると聞いたので、また旅の計画を練ることにしよう。そして直接会って声をかけられるように、もう少し真面目に韓国語の勉強をしよう。2024年の目標はとりあえずそんな感じにしておいて、自由に移動できる日々に感謝しながら、今年もあちこちの本屋を訪ねたい。

平山書房で人気の、日本でも読める3冊

●『こびとが打ち上げた小さなボール』チョ・セヒ(河出書房新社)
 韓国では1978年に刊行され、300刷を超えるほどの超ロングセラー。ソウルが急激に復興していく中で、低賃金労働者や家を奪われた者、障害者たちは徹底的に虐げられ、抑圧されていく。こびと=力なき人々の怒りと苦しみは、2024年の今読んでも深く突き刺さる。

●『運命 文在寅自伝』文在寅(岩波書店)
 平山書房の売れ筋のうちの1冊。日本では2018年に発売となったが、韓国では2012年12月の大統領選に向けて刊行された。そのため大統領になってからではなく、なる前のエピソード、とくに故・廬武鉉元大統領とのつながりについて深く知ることができる。

●『空と風と星と詩』尹東柱(岩波書店)
 日本でもファンが多い詩人の尹東柱(1917-1945)は、母国語を奪った権力や抑圧された時代に抗いながらも、美しく柔らかな言葉を綴り続けた。彼の詩が生まれた背景に何があったのか、27歳の若さでどんな亡くなり方をしたかを心に置きながら、読み進めて欲しい。

アクセス