江戸川乱歩『押絵(おしえ)と旅する男』(1929年/光文社文庫など)は富山湾の蜃気楼(しんきろう)から話がはじまる。魚津で蜃気楼を見た帰り、上野行きの汽車に乗った「私」は奇妙な男と出会うのだ。男が抱えた包みの中身は老人と娘を描いた押絵だった。絵を見せた後で男はいった。〈あれらは、生きて居(お)りましたろう〉
ユメともウツツともつかぬ、それ自体が蜃気楼みたいな短編である。
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蜃気楼だけではない。うしろは急峻(きゅうしゅん)な立山連峰。前は深い富山湾。海と山が近い地形は、富山県に心を奪う独特の景観をもたらした。
柏原兵三(ひょうぞう)『長い道』(1969年/中公文庫など)は、井上陽水が歌う主題歌でも知られる映画「少年時代」(1990年)の原作。これもまた一種の蜃気楼にも似た、半農半漁の海辺の村の物語である。
昭和19(1944)年9月、東京から父の故郷(モデルは現入善〈にゅうぜん〉町)に縁故疎開し、国民学校の5年男組に編入した「僕」。彼を待っていたのは村社会の縮図のようないじめと権力闘争だった。疲弊しきってすごした1年後、敗戦を迎えて村を去る日に彼ははじめて気づく。〈毎日こんなにすばらしい山々の姿を前方に望み見ながら、学校までの長い道を歩いていたとは〉。東京は一変していた。少年の心のひだを精密に描いた疎開文学の傑作である。
木崎さと子の芸術選奨新人賞受賞作『沈める寺』(1987年/新潮社)もラストで空気が一変する。
舞台は漁師の町・氷江(モデルは氷見〈ひみ〉市)。浄土真宗の古寺の跡取りなのに絵や音楽に耽溺(たんでき)している「若はん」こと晴光。事情があって母が住む東京から氷江の父のもとに戻された中学生の昭二。そして網元の娘で高校生の朱実。歴史のある町と寺を背景にした3人のほほえましい交友は、あやしげな女祈祷(きとう)師の登場で蜃気楼よろしく一瞬のうちに瓦解(がかい)する。あまりに不穏な結末に卒倒しかけるほどの衝撃作。文庫化か電子化ないし映像化を望みたい。
滑川(なめりかわ)の駅で東京の老舗自転車メーカーの社長が急死した。15年後、父の足取りを探るべく富山に向かった娘の真帆は……。宮本輝『田園発 港行き自転車』(2015年/集英社文庫)は地元紙・北日本新聞の連載から生まれた長編である。
亡き父には愛人がおり14歳になる息子までいた。剣呑(けんのん)な事態のはずなのに、どこかメルヘンなのは黒部川流域の田園風景のせい? 旧北陸街道を走る自転車のせい? 扇状地の要にかかる愛本橋(黒部市)が心をつなぐ、複数の家族の物語だ。
絲山(いとやま)秋子『まっとうな人生』(河出書房新社/2022年)も家族の物語。人気作『逃亡くそたわけ』(2005年)の続編である。
結婚して夫の実家に近い富山市に移住した主人公の花ちゃんと、高岡市の妻の実家に越したなごやん。再会した2人は家族ぐるみで交流するが、そこにコロナ禍到来。〈富山は安全〉〈立山が災害から守ってくれる〉という話は何だったのさ。富山ではよそもの(県外からの移住者)を旅の人と呼ぶ。何年たっても旅の人は旅の人。県外ナンバーを嫌う妻に消沈するなごやん。〈俺だって「たびのひと」だもの〉。にもかかわらず富山の魅力が詰まった佳編。旅の人の観察眼はヤバイのだ。
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富山県のシンボル、立山の物語も一編。立山黒部アルペンルートのハイライト・黒部ダム。1956年から7年の歳月を要した関西電力黒部川第四発電所(黒四)の建設は、延べ990万人が携わる世紀の大工事だった。木本正次『黒部の太陽』(1964年/信濃毎日新聞社)は同名の映画の原作にもなったノンフィクション小説だ。人跡未踏だった黒部の歴史から最大の難関となった関電トンネルの掘削まで、全編これ迫力満点。黒部を訪れた人、今後訪れる予定の人は必読だろう。
そして話は再び魚津。ここは米騒動発祥の地でもある。戸屋まい『大コメ騒動 ノベライズ』(小学館文庫/2020年)は同名の映画の小説版ながら、米の積み出しを拒否して歴史を動かした女性たちの姿を生き生きと描きだす。〈負けんまい〉〈やらんまいけ〉の精神に裏打ちされた働く女たち。蜃気楼じゃないほうの誇るべき富山の歴史である。=朝日新聞2024年2月3日掲載