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冬に読みたくなる本 感性引き締まり、思考深まる 新実徳英

羽を広げて舞うタンチョウ=23年2月、北海道鶴居村

 冷たいからっ風に吹きさらされるのは勘弁願いたいが、良く晴れた日の朝、キリッと冷えた空気の中に身を置くと、感性が引き締まり思考が深まる本が読みたくなる。おすすめしたい本は数々あるが、私の中で余韻が響き続ける三点を選んでみた。

 詩は直観で受けとめるもの、と思っているが、ひとたび「なぜ」という疑問が湧いた時、それを説明するのが難しい。謎が生まれる。佐々木幹郎『中原中也 沈黙の音楽』はそれを鮮明にかつ深々と解いてくれる。

 故郷の滝のぼりの記憶から生まれたとされる「悲しき朝」を例に引いてみる。

 「河瀬の音が山に来る、」ではじまる四行の第一連。一行アキで「雲母の口して歌つたよ、」から四行の第二連。

 第三~第六連は一行ずつで、間に一行アキを作って独立させている。なぜか。「この一行アキのなかに、滝の水音の落ちる音を響かせたかった」――なるほど。しかも第五連は点線のみ。なぜか。「無音(沈黙)となるまでの、『歌』の究極をここに込めたかったのだ」――そうか!

 謎解きのおかげで中也の心に一歩踏み込めたように思われてくる。ちなみに中也自身が出版に際して点線の点の数まで指示しているとのこと。当然のようだが、やはり驚く。中也の交遊も丹念に書かれていて、この本は半ば伝記でもあり、中也ファンには嬉(うれ)しい一冊だ。

数の謎と神秘

 数はどうか。いっそう謎めいて、神秘ですらある。マーカス・デュ・ソートイ『素数の音楽』は素数に取りつかれた数学者たちの「物語」を興味深く紹介してくれる。

 美しい叙述に随所で出会う。「数学者が何百年にもわたって探ってきた数の宇宙、無限に広がるその宇宙のあちこちにちりばめられた宝石が、素数なのだ(中略)自然から数学者への贈り物なのだ」

 錚々(そうそう)たる数学者たちの名前が次々に登場する。ゲーデル、ポアンカレ、ガウス、オイラー……、天才中の天才たち。だが彼らをもってしても素数の秩序が発見できない。が、もし2・3・5・7……素数のパルスがエイリアンから送られてきたとしたら、人類はその「音楽」の意味するところを理解し、受けとめることができるのだ。

人間の動力学

 さて、最も分かりにくい謎が人間という生きものではないか。複雑極まりない人間関係の動力学が緻密(ちみつ)に描かれるドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』(全5巻)。フョードル親父(おやじ)、ドミートリー、イワン、アレクセイの三兄弟……。「癖」の強い登場人物たちが、一筋縄ではないドラマを繰り広げる。人間模様の網目が更に絡まっていく。「魂の行方」、そのことを思い続ける。父親殺しは誰か、という推理小説めいた趣向も構成の奥行きを作っていて面白い。これは主題が十もある大交響曲を見事に五楽章にまとめた、そんな本である。

 ありがたいことに各巻の巻末に訳者の亀山郁夫による懇切な「読書ガイド」が記されている。読者は各巻ごとにそれを頼りに頭を整理できるのである。第5巻の短いエピローグのあとには「ドストエフスキーの生涯」「年譜」「解題」などが記され、それらを読みながら全編を読み終えた「達成感」をしみじみと味わうことができる。

 私が読後に思いを馳(は)せたのはロシアという大地の重さやそこに潜む「狂気」だ。それはプロコフィエフやショスタコーヴィチの音楽のそれと確かに根っこがつながっていると感じられるのだった。=朝日新聞2024年2月17日掲載