選考委員の小説観を持ち寄って
第6回「深大寺恋物語」審査員特別賞受賞――それが清の文章歴の中で一番輝かしい部分だ。そのとき、審査員の一人だったのが井上荒野さん。以前、『生皮』のインタビューでお目にかかったとき、「じつは私、井上さんに深大寺恋物語で小説を選んでいただきまして……」というと、すぐに「あ、あの象に似た背中を持つ男が出てくる……!」と思い出してくださり、感激した。小説を選ぶ側の本気を見たように思った。
「小説を選ぶってね、自分の小説観が露(あらわ)になるので、すごく面白いんですよ。私はこういうものをいい小説だと思っているのかって」
井上さんが初めて選考委員を務めたのが「深大寺恋物語」。2005年のことだ。400字詰原稿用紙で10枚という超短編で、深大寺周辺を舞台とし、恋愛要素を入れるという、縛りの多い文学賞だ。
「当初は、文芸の新たな才能を発掘、というよりは地域おこしの意味合いが強く、選評も甘かった。でも回を重ねるごとに応募者のレベルも上がってきて、それとともに私の選評も厳しくなっていきました」
ずばり、小説を選ぶ基準はなんですか。
「私は、作者にしか書き得なかった小説を選びたいと思っています。枚数の短い『深大寺〜』にありがちなんですが、既成の物語に則るのが正しいと思っている人が多い。今はテレビでもネットでも「物語」がいくらでも転がってるじゃないですか。裏をかいたつもりでも、裏の裏くらいまではそこらじゅうに溢れている。でも私は、そういうのは小説じゃないと思う。もちろん、ありものの物語でもキャラクターをすごく魅力的にして、たくさんの読者を得ているプロの小説家はいっぱいいる。むしろそっちのほうが売れています。でも、私はそういうのはやりたくない。選考委員をやっていると、自分の小説観をすごく意識します。角田光代さんと川上未映子さんとやっている林芙美子文学賞もそうですけど、選考委員それぞれの小説観を持ち寄って、選んでいるように思います。だから選考会って毎回すごく楽しいの」
井上さんの小説観とは――。
「『自分にしか書けないものを』というと、皆さん私小説を思い浮かべるかもしれませんが、ジャンルはSFでもミステリーでもなんでもいいんですよ。その小説に書こうとしていることと、自分の中の何かが繋がっている、という意味です。自分なりの問いがあって、書くことで、何かを見つけようとしていたり、別のところへ行こうとしているものを評価しますね」
既成の価値観を疑え
選考委員の井上さんの目に触れるのは、下読み人や編集部に選ばれた〈最終候補作〉なわけですが、最終候補作と受賞作の差はなんでしょうか。
「それはやっぱり上手いか下手かですよ」
最終候補まで来ても、上手い、下手があるんですか?
「もちろんありますね。というか、ここからはやはり、各選考委員の小説観の問題になってくるのかもしれない。下読みの方たちもそれぞれの作品のいいところを見つけて上げてくるのでしょうが、そのいいところが、自分にとってそうでもない場合があるし、ダメなところがいいところを上回っている場合もあります。最初の1枚でダメだと思うのはたいていダメですね。小説って言葉を使ってやることですから、言葉に対しての神経が雑なのはね……。まあ、これも技術の内ですから、読み進めたら中身はいいっていう例外もありますけど」
「あとは、もっと根本的な問題で、作者が既成の価値観に囚われていたり、無自覚な差別意識を持っている場合。たとえば、いい大学出て、いい会社に行って、いっぱいお金を稼ぐのが勝ち組だって、作者が信じているようなのはダメだと思う。そういう勝ち組の人がそうでない人に出会って、そうでないことの素晴らしさを見つけるという話を書いたとしても、作者の中に〈エリートが勝ち組〉という思想がある限り、やっぱりそれは出てきちゃう。そして、それはどうしたってつまんない話になるんですよね。世の中の価値観を疑ってかかることが小説家にとっては本当に大切なことだと思います」
「深大寺恋物語」では、応募要項に「執筆の前に必ず一読すること」として、井上さんの第7回、第8回の選評を載せています。その中に「もっと本を読むこと」「タイトルまで気を配ること」とありました。
「書くものがライトノベルであったとしても、ライトノベルしか読んだことがない人が書くライトノベルと、純文学や海外文学も読んでいる人が書くライトノベルとでは奥行きが違うと思うんですよ。私も最初は大江健三郎さんの本を読んでも全然わかんなかったんです。でも、わからないなりにも頑張って読んでるうちに、あるときハッと開ける感じがする。本を読まない人は、すごく狭い世界の中で、読み物や小噺を小説だと思っちゃってる。そうじゃなくて、もっとこの世界の奥行きを知ってほしい」
井上さんが小説の奥行きを知った作品はなんでしたか。
「やっぱり大江健三郎さん。あとは父(小説家・井上光晴)に勧められたサリンジャーの『ナイン・ストーリーズ』も私の原点と言える作品です」
『照子と瑠衣』で照子が家出するときに持ち出した本ですね。
「そうそう。『照子と瑠衣』の照子が好きな小説は、私が好きな小説でもあるんです。『ナイン・ストーリーズ』は短篇集で、起承転結のある話ばかり読んでいると、面食らうと思う。でも読み手として成長するにつれ、どこが面白いかわかってくるんです」
手前味噌になりますが、審査員特別賞を頂いた時、懇親会で井上さんが私の受賞作のタイトルを褒めてくださったんです。「象のささくれ」っていうんですけど、「受賞作の中であのタイトルだけちゃんと考えられてた。みんなももっと考えなさい」って。
「そうだったの? 私、選評では厳しくても会うと意外と優しいんですよ(笑)。タイトルも小説の一部。応募するんだったらそこまでしっかり考えないと。プロの作家だって時間をかけて考えています。私は、〈タイトル壺〉っていう面白そうな言葉を集めたネタ帳を作っています。たとえば、そこに〈愛の鬼〉っていう言葉があって、だけど〈愛〉っていう言葉は使いたくない。そういう時は〈鬼〉から一番遠い言葉から考える。絵画や映画のタイトルからヒントをもらうこともある。そうして生まれたのが『あちらにいる鬼』っていうタイトルです。『しかたのない水』なんかもそう」
本を読むこと、タイトルまで気を配ること、そのほかに受賞するコツはありますか。
「それはもう書くことしかないですね。応募する、しないはともかく、書き上げないとだめ。何枚でもいいけど、とにかく一作というものを書き上げること。そしてそれを続けること。小説って書くことでしか書けるようにならないから」
受賞後12年のスランプ
ご自身は28歳のときにフェミナ賞を受賞されて小説家デビューされますが、その後、数年間小説が書けなかったそうですね。受賞後、小説家であり続けることの難しさをどう感じていますか。
「これはほんとに難しい。受賞後バンバン注文が来て、その注文に応じて書ける人ってなかなかいません。そこをどう乗り切っていくか。あとは、担当編集者との相性もあります。担当が本当に〈小説を読める人〉かどうか、それはもう運。読めない人も実際いるんです。今の私だったら、この人は読めないとか、自分とは全然小説観が合わないってわかる。でも、新人だとそれは難しいですよね。向こうが正しいと思うしかないじゃないですか。対抗手段は本をたくさん読むことくらいしか、ないんじゃないかな。あとはとにかく書く」
井上さんご自身はどうやって乗り越えたんですか。
「フェミナ賞をもらって、文芸誌にちょこちょこ書くようになって、本は一冊出したけどパッとしなくて、だんだん注文も来なくなって、そのまま12年くらいグズグズしていましたね。転機は、父のことを書かないかとオファーが来たこと。『ひどい感じ 父・井上光晴』というエッセイを書いて、私にとって父ってこういう男だったんだ、ということがわかった時に、父との距離が取れ、同時に自分と小説との距離もちょっとわかったんです」
「そして、そのタイミングで初めて長編のオファーがきたんです。昔、小学館でバイトしていた時に同じ職場にいた方が恒文社21という出版社にいて、新しい文芸シリーズを立ち上げるときに私のことを思い出してくださって。もちろん私の父の七光りもあったと思うので、恵まれていたということなんですけど。これをものにしないと絶対小説家にはなれないと背水の陣で挑みました。今思うとバカみたいなんですけど、それまでは、父の担当編集がまだ現役だったので、彼らが読んだらどう思うかすごく気にして書いてたんですね。でも、そんなこと考えてたら長編なんて書けないと振り切った。そして書いたのが『もう切るわ』でした」
井上さんにとって「小説を選ぶ」とは。
「単純に面白いものを見つけること、ですね。候補作がどさっと送られてきたときに、どうか面白いものがありますように、ありますようにって思いながらページを開くんです。それを書いた人のことは一切考えず、とにかく面白い小説を選ぶってことしか考えていない。もちろん応援の気持ちはありますよ。林芙美子賞で選んだ、朝比奈秋さんや高山羽根子さんが活躍しているのを見ると嬉しい。受賞後、プロにならなかった人も書き続けてほしいと思います」
〈小説家になりたい人〉ではなく
今年、20年選考委員を続けてこられた「深大寺恋物語」が幕を閉じます。応募者へのメッセージをお願いします。
「これはねえ、本当に寂しい。選評ではしょっちゅう怒っていますが(笑)、やっぱりすごく楽しかった。最後だからサービスで応募する方にちょっとアドバイスしますね。『深大寺』は後付けでいい。自分の中から生まれてくるものをまず大事にして、そこに深大寺を当てはめてみること。あとね、いい話書いてこなくていいから。悪い恋だって立派な恋愛じゃないですか。今まで審査した中で一つだけクズ男の話があって、そういうのがもっと読みたいです。下読みを突破するかが関門ですが、次回、クズ男を書くといいとこまで行くかもしれません(笑)」
では、最後にこの連載お決まりの質問をさせてください。井上さんにとって、「小説家になる」とは。
「私は父から、『お金にならなくてもいいから、自分にはこれしかないと思うものを見つけて生きていけ』って教わりました。それが〈子どもを育てる〉ことだという人もいるだろうし、〈石を集める〉ことだという人もいるかもしれない。それが私にとっては小説を書くことだったんです。あのグズグズの12年間、自分で自分をえらいと思うのは、小説がだめだから結婚に逃げようとか全く思わなかったこと。もし、あのまま日の目を見なかったとしても、私は書くことを手放さなかったと思います。小説家になることを目指したのではなく、自分の納得のいく小説を書くことを目指し続けてきた。皆さんもそうであってほしい。〈小説家になりたい〉ではなくて、〈小説を書きたい〉であってほしい」
【次回予告】次回も特別版。「小説家になりたい人が、芥川賞作家になった人に聞いてみた。」と題して、『東京都同情塔』で第170回芥川賞を受賞した九段理江さんにお話をうかがう予定です。