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「エドワード・サイード」書評 絶望的な状況に言葉で抵抗する

評者: 三牧聖子 / 朝⽇新聞掲載:2024年03月23日
エドワード・サイードある批評家の残響 著者:中井 亜佐子 出版社:書肆侃侃房 ジャンル:伝記

ISBN: 9784863856127
発売⽇: 2024/01/29
サイズ: 19cm/205p

「エドワード・サイード」 [著]中井亜佐子

 パレスチナに生まれアメリカに亡命し、『オリエンタリズム』やパレスチナ関連の著作を残したサイード。批評家であることに拘(こだわ)った。本書はサイードがなぜ批評を重視したのかを掘り下げていく。
 批評なき学問は形骸化する。サイードは論稿「旅する理論」で、哲学者ルカーチの革命思想が欧米で学知に取り込まれる過程で脱政治化され、現実への批判意識を失っていく過程を分析した。サイードが見るところ、アメリカで批評理論は同様の状態にあった。1980年代、レーガン政権のアメリカでは、軍拡や新自由主義経済が進められ、市民を翻弄(ほんろう)したが、学界は難解な専門用語を駆使し、仲間内で独創性を競い合うばかりで、市民の日常との接点を失った。こうした学問の内向き傾向は、国家権力が望むところでもあった。
 最晩年のサイードは「文献学への回帰」や「言葉への愛」を唱えた。テクストの精読より、それを取り巻く権力構造の批判を重視する風潮への抗(あらが)いだった。もっとも、サイードは言葉への拘りを通じ、権力や戦争への抵抗を続けた。2001年、イスラム組織アルカイダに襲われたアメリカは対テロ戦争を開始。国内にイスラム憎悪が吹き荒れ、イスラムにまつわる言葉の意味は歪(ゆが)められた。最たる例が「ジハード」だ。サイードは、テロリズムとほぼ同義とされたこの言葉が、真実を求める精神的な努力を意味する「イジュティハード」と同じ語源を持つことに注意を促す。著者はここに、「言葉への愛」による抵抗の最善の実践例を見いだす。
 ガザでイスラエルが軍事行動を展開する中、政治家や寄付者の圧力で、アメリカの大学ではパレスチナ問題を率直に語ることも困難になっている。サイードが長年教鞭(きょうべん)をとったコロンビア大学も例外でない。絶望的とも思える状況にどう言葉で抗するか。サイードのテクストと粘り強く向き合う本書に、言葉による抵抗の一つの実践を見る。
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なかい・あさこ 1966年生まれ。一橋大教授(英文学)。著書に『日常の読書学』『〈わたしたち〉の到来』など。