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愛をもって差異を受け入れる 森あおい

イラスト・ゆりゆ

 数年前に「実家じまい」を敢行した際に困ったのは、本棚から溢(あふ)れ、あちこちで「積んどく」状態にあった本の扱いである。いざ本を手にすると、様々な思いが去来したり、タイトルに魅せられて頁(ページ)をめくったりして、遅々として片付けは捗(はかど)らない。意を決して古本屋に殆(ほとん)どの本を引き取ってもらった。

 だが時折、手放した本の記憶が甦(よみがえ)ってくることがある。幼少期の愛読書、ヒュー・ロフティングの「ドリトル先生」シリーズもそうだ。亡き父は、ときどき本屋に私を連れて行くと、好きに本を選ばせてくれた。中でもお気に入りがこの物語だった。動物の言葉を話せるお医者さんが、アフリカはもとより月まで出かけてしまうという冒険談に心を躍らせた。長じて、「ドリトル先生」は“Dr. Do Little”の訳で、殆ど働かないお医者さんだと知り、子ども心にもその生き方に共感したのだと納得した。

 最近、「ドリトル先生」シリーズの新訳が大人の読者を想定して出版されたと知り、早速、第一作『ドリトル先生アフリカへ行く』(河合祥一郎訳、角川文庫・484円)を入手した。訳者と編集部のあとがきには、同シリーズが出版された第1次世界大戦後の歴史的背景が述べられている。欧米の帝国主義と白人至上主義が広まる中で、ドリトル先生もその影響を受け後に批判の対象になったことを認めたうえで、「人も動物も区別なく、みんななかよしでいるのが一番」という同書のメッセージが示されている。

 人種差別的な描写として批判されるのが、アフリカの「黒い王子」バンポの物語である。王子はおとぎ話の「眠り姫」に恋をして、世界中を旅して姫を見つけ出し口づけするが、目覚めた姫は王子の肌の色に驚き逃げ出してしまう。王子を拒絶した眠り姫は、場所を変えて自らまた眠りにつくという自己決定権を行使する女性で、当時欧米で盛んになった女性権利拡張運動の影響が垣間見える一方で、人種主義を露(あら)わにしている。さらにその姫との結婚を夢見て白人変身願望を持つバンポの願いをドリトル先生が薬で叶(かな)える部分が、60年代に入ると公民権運動等の高まりとともに、白人至上主義の表れだとして批判された。アメリカの学校や公立図書館では同シリーズの購入が禁止され、70年代には絶版となり、人種差別的な表現を見直した改変版が刊行されるのは88年のことだったそうだ。

 ドリトル先生シリーズの続編という設定の福岡伸一ドリトル先生ガラパゴスを救う』(朝日新聞出版・1650円)が、近年刊行された。ドリトル先生のファンとしては、「積んどく」状態にしておけない。同書は、物語の背後にあるイギリス近代化の歴史を辿(たど)り、ドリトル先生と『種の起源』の著者ダーウィンの出会いを挿入し、歴史や自然科学、文化に想像力が融合された新たな物語を紡ぎ出す。ドリトル先生がイギリスの帝国主義からガラパゴスの動物たちや自然を守る奇策が綴(つづ)られ、すべての生き物が共存する「オール・ライブズ・マター」の精神が読み取れる。

 しかし、今日、世界の至る所で諍(いさか)いが起きて尊い命が奪われており、「オール・ライブズ・マター」実現の困難さを感じる。そのような状況を彷彿(ほうふつ)させる、時として流血を伴う厳しい動物の世界が描かれるのがドリアン助川動物哲学物語 確かなリスの不確かさ』(集英社インターナショナル・2千円)である。「イグアナ会議」では、ガラパゴスに生息するリクイグアナとウミイグアナの若者が敵対する中、イグアナがガラパゴスに辿り着いた歴史を知るウミイグアナの長老は、先祖が奇跡的に助かった理由は「無敵」、つまり「敵がいない、争わない、憎しみを生み出さない」からだと説く。物語の最後でリクイグアナのマドンナの恋人として紹介される両イグアナのハイブリッド「ダーリン」の存在は、愛をもって差異を受け入れることが平和への道であることを教えてくれる。殺戮(さつりく)が繰り返される世界で一縷(いちる)の希望の光を見出(みいだ)すことができる結末である。=朝日新聞2024年3月23日掲載