大好きだった王子動物園(神戸市)のパンダ、タンタンが3月31日に、虹の橋を渡ってしまった。
10年ほど前、出張がてら寄った王子動物園で「せっかくだし」とパンダ舎に向かったところ、その短めな手足とかわいいフォルムに魅了されてしまい、以来私のイチ推しパンダだった。担当・よっしーがかつて運営していたDANROというサイトで連載していた、「かわうそひとり旅」にも登場させてしまうほど好きだったので、悲しくてやりきれない……。
とはいえ、あくまでタンタンが好きなのであって、パンダキャラにはとくに興味はない。でも子どもの頃によく食べていた「ヤンヤンつけボー」のパンダだけは、妙に気になっていた(名前はヤンヤンではないそうだ)。
急な階段の上にある空間
何を言っているのかよくわからないかもしれないが、今私は杉並区高円寺にある本屋、ヤンヤンの入口にいるのだ。店は民家の2階にあるのだが、そこに行くには目の前の階段を昇る必要がある。この急さ加減、彦根城の天守閣以来かもしれない……。
10段ちょっとの階段を慎重に昇っていくと、外側からは想像できない広がりと書棚が、そこには存在していた。「すみません」と声をかけると、ちょうど棚で死角になっていた場所から、店主の城李門さんが顔をのぞかせてくれた。
東京都東久留米市出身の城さんは、1995年生まれの28歳。「吉祥寺のあたり」で生まれ、その後は武蔵関や東久留米など、中央線から広がるエリアで子ども時代を送った。東日本大震災が起きた2011年当時は中学3年生で、卒業式を控え教室掃除のために脚立に乗っていたときに激しい揺れが来て、あわや落ちそうだったことを今も覚えているという。クラスは決して一致団結する雰囲気ではなく、ちょっと荒れていた。学級委員をしていた城さんにとっては、自分の知らない世界で生きる人たちがいると気づかされた中学時代だったそうだ。
「でも高校に入ると一転して、先輩たちから受け継がれる伝統に皆で乗っかる空気に溢れていたんです。当然、心がついていかなくて。自分はマイノリティ側なんだということに気付いた時期でした」
大学に行けば何かが変わるかもしれないと、高校卒業後は横浜国立大学の教育人間科学部に進学した。横浜国大には学生自身が課題を設定して、作品制作やワークショップを通して学ぶ「スタジオ」と呼ばれる過程がある。城さんは、1980年代の角川映画の解説を1冊にまとめることを課題に選んだ。
「当時の角川映画は原作と映画のメディアミックスで大成功をおさめていましたよね。私はリアル世代ではありませんが、母が中森明菜など昭和アイドルが好きだったので知識はありました。ちょうど学部1年生のときに新宿のミラノ座の閉館上映で、『セーラー服と機関銃』を見て。それで角川映画についてまとめてみようと思ったんです」
どの作品をどう見せていくか、何を書くか。研究自体も楽しかったが、城さんは本を作る面白さに目覚めてしまった。ちょうどその頃、大学が教育人間科学部を教員養成課程に特化するために、名称を「教育学部」に変更することを発表した。幅広く学ぶことができたいわゆる「ゼロ免課程」(教員免許の取得を卒業要件としない教育系の学部)が、より実学にシフトしようという時代の流れに飲み込まれたのだ。
映画研究会に所属していた城さんや仲間たちは、大学のある部門が権力により強制的に潰されていくなかで、言葉を探していくという作品の制作に取り組んだ。制作に参加し、完成した映画「人間のために」は、2016年の「ぴあフィルムフェスティバル」アワードに入選している。
「別の作品の助監督をした際には、みなとみらいでデモをするシーンなどを撮影したんです。就職の役には立たなくても、それぞれの視点でそれぞれに作品を生み出したり活動したりしている仲間たちがいて、世の中の役に立たなかったとしても、彼ら彼女らの生み出した何かは、確実に誰かの心に届く。そんな試みが、なきものにされてしまうのはおかしいのではないか。いろいろと考えているうちに、ますます本を作ることに興味を持つようになりました」
見知らぬ誰かの思いや言葉を、別の誰かに
城さんは他ゼミの仲間や横のつながりを活かして、言葉について語る実験場をテーマにした「文鯨」というZINE(当時はまだ同人誌と呼ぶのが一般的だった)を作り始めた。詩人の文月悠光さんや夏葉社の島田潤一郎さんなど外部からの寄稿も募り、クラウドファンディングも目標金額に到達した。が、「文鯨」は2号でひとまずお休みとなる。
「集団で何かを作ることの難しさを、この時痛感しました。当時は大学院生だったのですが、こちらも1年で退学してしまって。学生時代からデザイン事務所でアルバイトをしていたこともあり、広告関係のデザイン事務所に就職して4年間働きました。その後、ヤンヤンを始めることにしたんです」
なぜ本屋だったのか。一橋大学の大学院に通っていた頃、地元・国立にある古い絵を扱う「コレノナ」という店に、ちょくちょく通っていた。有名な作家ではないが、明治から昭和を生きた誰かが遺した作品の数々と出会い、「そこから放たれている圧倒的なパワーに惹かれ」、板絵とスクラップブックを購入した。
「板絵は誰がどんな状況で描いたかわからないし、スクラップブックは、どこの誰かわからない人の家族写真や新聞記事が残されています。でも眺めていると、作った人自身がだんだん、見えてくるんです。誰かが遺した大切なものを、そのパワーを受け取ろうとする別の誰かにつなげていけたら。そんなことを考えるようになったんです」
城さんの祖父の城侑さんは、散文詩を得意とする詩人だった。城さんが幼い頃に亡くなったので思い出はほとんどないが、ある時祖父の書斎にあった原稿や蔵書に目を通すうちに、すべてはわからないながらも祖父がたどった道をなぞり、同じ景色を見ようとしている自分に気が付いた。
「祖父と同時代の詩人で百田宗治という人がいるのですが、百田は童謡や校歌を作ったり、子どもたちに詩を書かせたりしていました。祖父も有名詩人というわけではないので、いわばアマチュアリズムというか。そういうものに惹かれるし、紡がれた言葉を誰かが受け取って欲しい。そんな思いから、本屋をやりたいと思うようになりました。だからヤンヤンもエッセイや詩、生活にまつわる文章を品揃えの中心にしていますが、ジャンルを狭めると読む人を選ぶので、もう少し広がりを持たせています」
とはいえ、「仕事を辞めて本屋をやろう!」とずっと思っていたわけではなく、むしろ「店を持つとは思っていなかった」という。
「『文鯨』を一緒に作っていた伊藤隼平さんが、2022年6月に東中野に『なかなかの』というカフェバーを作ったのですが、その立ち上げを手伝っていました。この頃はまだデザイン事務所で働いていたのですが、横浜国大で建築を専攻していた人とたまたま知り合って。カフェの設計や運営をすることになり、その中で、せっかくだから店に本を置こうという話になりました」
「今ヤンヤンがある場所の隣に『えほんやるすばんばんするかいしゃ』という絵本専門書店があり、本の卸もやっていると聞いたんです。訪ねてみたら『隣の上が空いている』と言われて。『これは運命かもしれない』と思って、2022年の11月頃に内見して決めました」
当初は会社員を続けながら、深夜だけ店を開けることも考えた。行く末に悩む人を誰かの言葉でケアするには、その人の思いをじっくり知る必要がある。ましてや夜だからこそ、素直に話せる人もいるかもしれない。
「でもこの界隈、夜はあまり人が歩いていなくて(笑)。それに両立できるのかもわからなかったので、もう一度考えて2023年の5月に退職しました」
「なかなかの」のメンバーが内装を手掛けてくれたが、大きな壁に立ちはだかった。それはこの急かつ幅の狭い階段では、大きな資材を運べないということだった。だから現在据え付けられている棚のいくつかは窓から資材を運び入れ、中で組み立てている。
「自分でも時々、階段で滑ったりしています。荷物の配達も上まで来てくれる方、階段下に置いていく方とまちまちです」
在庫は現在、店に約800冊+別の場所にある倉庫に約500冊あり、2割程度は古本だが、新刊の品揃えが圧倒的だ。階段を昇るという一大ステップを踏む必要があるからか、お客さんを見ていると総じて滞在時間が長い。フェミニズムやエッセイ、評論が多めに置かれているので、この中から自分に響く言葉を探しているのだろうか。
「下の『えほんやるすばんばんするかいしゃ』だけでなく、歩いて1分ぐらいのところに『蟹ブックス』と、やはり近くにZINEや短歌系の品揃えが豊富な『そぞろ書房』があるので、回遊される方も多いようです。ヤンヤンでは、派手ではないから話題になりにくい、歴史に埋もれてしまうような本を通して、自分だけの思いを見つめてくれたらと思って棚を考えています」
意味がないのにたくさんの意味を持つ「ヤンヤン」
オープンして5か月経ち、本屋は本を売るだけではなく読む人とのコミュニケーションを通して、ともに成長していきたいという気持ちを持つようになった。これからは発信にも力を入れたいと、城さんは言う。
毎回のお約束のような質問だけど、ところでなぜヤンヤン?
「エドワード・ヤンの『ヤンヤン夏の思い出』って映画が好きなんです。あとは昭和の歌番組『ヤンヤン歌うスタジオ』とか『ヤンヤンつけボー』とか、言葉自体には意味がないのにいろんな意味がありますよね。最初『本屋あしあと』にしようかとも思いましたが、一見意味がわからないヤンヤンにしました」
多分「あしあと」だったらスリリングな階段を昇ってまで、中を見てみようとは思わなかったかもしれない。意味がない名前に込められたたくさんの意味と言葉を受け取って、今日のところは階段を降りることにした。コツはつかんだので、次からは本で両手がふさがっていたとしても、簡単に昇り降りできるはずだろう。そう信じたい。
城さんが選ぶ、言葉がきっと届くはずの3冊
●柴崎友香『ビリジアン』(河出文庫)
わたしの存在を語り直すこと、記憶とともに現在を生きること。10代のみずみずしい記憶の中の「わたし」を、20の短編をランダムに配置して叙述する小説です。ふとしたきっかけによってありありと蘇る過去の出来事を振り返ることや、それでも語り得ないことをどのように書くことができるのか、その可能性の広さに驚かされます。
●見汐麻衣『もう一度、猫と暮らしたい』(LemonHouse)
作者の見汐さんは、私の「音楽を聴く」体験を丸ごと塗り替えるほど、大好きな音楽家です。暮らしの中で触れる些事の中で見え隠れする、ありありとした記憶や物語。環境や時を越えて思い出される人の会話と、瞬間に訪れるなにげない場面が、まるで映画の一場面のように丁寧に語られたエッセイ集です。
●遠藤麻衣『Scraps of Defending Reanimated Marilyn』(oar press)
美術家・俳優の著者による架空の裁判プロジェクト「現代に転生したマリリンを僕は弁護りたい」(2021-2023)の記録を中心に、公立美術館やギャラリーでの裸体表現や身体表現の規制について考察するアートブックです。現実と虚構を混交しながら、ひとつの問題を多角的に捉えて作品として成立する過程には、大変学ぶところがあります。