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蟹ブックス(東京) カリスマ書店員が高円寺で再出発。背負わず、垢抜けず、地道に本と生きていく

 担当編集・Yが戻ってきた。

 海外の研究所に期間限定で移籍していたが、帰国して再び担当になった。進捗報告も兼ねたお久しぶり会をしていた時に、SAKANA BOOKS に取材に行ったと話した。

 「イカブックスとかタコブックスとかもあるのかな」

 おそらく勢いで聞いてきたのだろう。しかし私は知っていた。店舗を持たない書店の「いか文庫」と、タコが名産の兵庫県明石市の図書館で繰り広げられている、本を介して市民が自分自身を紹介する「たこ文庫」があることを。そして高円寺には、蟹ブックスがあることも。

2階いちばん奥の窓に小さく「本」とあるのがお分かりいただけるだろうか。

クラファンが目標額の5倍に

 蟹ブックスはクラウドファンディングに目標金額の約5倍が集まるなど、オープン前から何かと話題になっていた。その理由は、花田菜々子さんがオーナーだからだ。

 花田さんといえば、ヴィレッジヴァンガードと二子玉川蔦屋家電、パン屋の本屋 を経て、HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE の店長として知られていた。実体験をもとにした『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』(河出書房新社)はドラマ化もされたので、「聞いたことがある」という人も多いかもしれない。蟹ブックスは9月1日にオープンしたと聞いていたので、そろそろ落ち着いてきたタイミングではないかと思い、高円寺に向かった。

店長の花田菜々子さん。
 

 10代の頃、私の住みたい街ナンバーワンといえば高円寺だった。当時はバンドブームで、ロッカーの聖地といえば高円寺だった。彼ら彼女らに憧れる身としても、それは同じだった。しかし結局、高円寺に住むことはなく、訪ねるのは久々だった。

 商店街の一角にあるタトゥーショップを過ぎた小道に向かうと、ビルの前に「蟹ブックス 2階」と書かれた木製看板があった。窓を見上げると、〇の中に赤字で「本」と書かれた、白い看板もある。なんかサイズが小さいような……。

 2階にあがると淡い緑を基調にした店内で、花田菜々子さんが迎えてくれた。今回が初対面だったので挨拶をして、レジカウンターの中に座らせていただく。それぞれ形の違う椅子が、3つ並んでいた。

デザインも素材も違う椅子が、3つカウンターに並んでいる。

自分の店という終着点は、まだ早いと思っていた

 きっかけは、2018年3月にオープンしたHMV&BOOKS HIBIYA COTTAGEが、2022年2月に閉店したこと。花田さんの意思とは、無関係の決定だった。

 「ヴィレッジヴァンガードには10年、蔦屋とパン屋の本屋には立ち上げも含めて1年ずつ関わり、書店立ち上げには慣れていましたが、それでも日比谷コテージの立ち上げはかなり苦労しました。開店時の店に点数をつけるとしたら100点中6点くらいです(笑)。 最初は会社と衝突することも多かったのですが、お互いを尊重し合えるようになっていい関係を築き、現場のスタッフとも力を合わせて作り上げた店でした

 このあたりの奮闘については『シングルファーザーの年下彼氏の子ども2人と格闘しまくって考えた「家族とは何なのか問題」のこと』(河出書房新社) に詳しいが、店長として采配をふるっていた花田さんは、大きなショックを受けた。

 独立して本屋を作ろうか。これまで複数の店で働いてきた経験から、他の書店への転職や、執筆業だけでやっていくという選択肢もあった。それに店を持つのは終着点にたどり着くようで、43歳の自分にはまだ早すぎる気がする。でも60歳ぐらいになったら、気力も体力もなくなっているのではないか。花田さんは以前SNSで、友人のひるねこBOOKS 店主・小張隆さんが「自分は3年やってみて考えようと思った」と書いていたこと、3年後に続けると決断していたことを思い出した。

 「この店を長く続けていくかは、今はわからない。でもそんな気持ちで、まずは始めてもいいかなと思ったんです」

店名のロゴとイラストは、『ベルリンうわの空』(イースト・プレス)の香山哲さんによるもの。


 パン屋の本屋時代、訪れた人たちから「この近辺には本屋がなかったので嬉しい」と言われることが度々あった。だから本屋が少ない地域に行こうと、最初は東京の東部地域で物件を探していた。しかし、条件にかなう場所に巡り合えなかった。

 「私以外にHMVの仲間だった、2人のスタッフと店をやろうと決めていました。やるならひとりより他に仲間がいたほうが心強いし、合理的だという判断です。だから3人で『原宿がいい』『巣鴨はどうか』とかいろいろ話しあったのですが、どうせなら行くのが楽しみな街に作りたいよねと。ワクワクしそうな街をテーマにエリアを広げて探したら、高円寺にいい場所が見つかったんです」

 最初から狙っていたわけではないと語ったが、確かに高円寺は私が10代の頃よりは落ち着いたものの、今も変わらずキッチュな街だ。建物の大きさからすると小さすぎる看板も、どこか高円寺っぽい香りがする。

 「……あれを発注した時は忙しすぎて、デザインは見ていたのですが、大きさまでは確認していなくて。小さなサイズのピザみたいな箱が届いて『これは絶対におかしい』と思ったのですが、取付工事の日程も決まっていて作り直せなかったんです。大家さんにも『小さいねえ』って言われましたが、まあ、読めるからいいかと(笑)」

柔らかなグリーンの店内は、本9:雑貨1の割合に。

重い意味を背負わない、だから「蟹」

 独自のゆるいスタンスは、店名にも表れている。難解ではなく、どこかちょっとダサさがある。イメージが良い生き物で、他の店とかぶらない。そんな名前を探していたら、蟹に行き着いたと教えてくれた。

 「重い意味を背負っていない、そんな名前がよかったんです。蟹ってビジュアルがかわいいけれど攻撃的な面もあるし、前に進むのではなく横に進むというところが、ピースフルな感じがしていいなと。最初は3人で1つの店を運営していくから、0.33ブックスはどうかと思ったのですが、スマートすぎてしっくりこなくて」

 「……それだとなんか、コンドームみたいじゃないですか」

 思わず口にしてしまったが、花田さんはウケていた。一緒に働く柏崎沙織さんはグラフィックデザイナーで「いか文庫」メンバーでもあり、當山明日彩さんは服のリメイクやリフォームをおこなう「お直し再生屋 A面」を、店内で運営している。蟹ブックスは3人が0.33ずつ関わる、シェアオフィスとしても機能しているのだ。

 「本屋を続けていくのはどういう手段があるのか、それを考えた上でシェアオフィスにして2人から家賃をいただくことにしました。……ビビりな性格なので、いろいろな保険を用意しておかないと、チャレンジできなかったんですよね」

 

當山明日彩さんがお直し&リメイクに使用するミシンも店内に。

仕入れはトーハンからも

 12坪の店内に並ぶ在庫は約3000冊で、本は直取引などもあるが、おもにトーハンから仕入れている。これまで訪れた個人書店でトーハンと取引しているところは初めてだったが、花田さんも特段付き合いがあったわけではなく、正面から依頼したらOKが出たと語った。

 「取次経由のメリットは、返品が可能なことです。たとえば『モモ』や夏目漱石の『こころ』のような、いつ読んでも価値がある名作がありますよね。一方で『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)のような、『こんな時代だからこそ、今読まねば』という本もありますよね。最近は本当に毎日いい本が出版されているし、性格的に飽きっぽいところもあるので、棚に自由度があったほうがいいなと思っているんです。あとは『この本は街の雰囲気に合わないな』と思ったら、すぐに棚から引けますし」

 確かにずっと読み継がれている本もあれば、今まさに読みたい本もある。どっちに価値があるわけではなく、そのどちらも尊い。

 ざっと棚を見渡してみるとなんとなくオールジャンルのようで、でもこだわって選んでいることが伝わってくる。内容を巡りSNSでさまざまな声があがった『トランスジェンダー問題』(明石書店)は私が訪ねた前日、たまたま2冊売れた一方で、「置かない」と決めているヘイト本の類は当然ない。

 そんな蟹ブックスでオープン以来売れた本といえば、藤岡拓太郎さんの作品だという。1ページマンガ集の『藤岡拓太郎作品集 夏がとまらない』(ナナロク社)や 絵本の『たぷの里』(同)など、原画展を開催した際によく売れたそうだ。

大人が読んでも「ささる」児童書や絵本も抜かりない。

本のお薦め、現在も絶賛進行中

 ところでお店にやってくる人の中には、花田さんに本を薦めてもらいたいという人もいるのでは?

 「ふらっと立ち寄ってくださる方もいるけれど、『本を選んで欲しくて来ました』という方もいて、普段から時々お薦めを聞かれると、お答えしています。ある時、3人くらいのお客様がいて、一人の方が私の本を読んでいて『この場で本を薦めてもらえるんですか?』と聞かれたので、お薦めしていました。すると別のお客様たちが、『私もお薦めを聞きたい』と話しかけてくださり、いろいろ話したあと、お客様もご自身のお薦めの本の話をしてくださり、『大お薦め大会』になって楽しかったこともありました」

 これまでも店を任されてはきたが、自分の手ですべてを作るのは花田さんにとっても、初めての経験。だから戸惑うこともあるけれど、好きにやっていると笑った。

 「でもやっぱり、ずっと続けることにはこだわっていません。この先どうなるかは、私にもわからなくて」

すべての本読みのために、できる限り間口を広げている。

 蟹は一生のうちに何回も脱皮することを、以前食べ物雑誌を作っていた時に知った。今までの殻などなかったかの如く、華麗に脱皮する蟹なのだから、蟹ブックスだって突然違う姿になるかもしれない。でも花田さんは高円寺から離れたとしても、この先もずっと本と向き合っていくだろうし、本をおすすめしてくれるだろう。

 そして蟹は脱皮を繰り返すことで、どんどんおいしくなっていく。「なんで蟹なの?」という疑問は、帰る頃には「だから蟹なのか!」に変わっていた。

(文・写真:朴順梨)

花田さんが選ぶ、今この瞬間おすすめしたい3冊

●『凛として灯る』荒井裕樹(現代書館)
約50年前、日本の美術館でモナ・リザにスプレーをかける抗議行動をした米津知子というひとりの障害者の人生を辿る本。「でも犯罪はダメだよね」「人に迷惑をかけるのはダメだよね」から一歩進んで、差別問題についてさらに考えを深めたい人に。

●『香山哲のプロジェクト発酵記』香山哲(イースト・プレス)
蟹ブックスのロゴをお願いした香山さんによる、自分らしくあるための思考法をテーマにした、異常に文字数の多いコミック。ロジカルでありながら効率や生産性を求めるのではなく、内面の幸せに重きを置いていて心に響く。

●『ふたりたち』南阿沙美(左右社)
蟹ブックスで年内まで写真展を開催している本。親子、友人、人と犬……など、写真家である著者がうらやましいと思うさまざまな「ふたり」の写真を収録し、そのふたりたちの素敵さをエッセイで綴る。

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