ありがたいことにこの数年、仕事で遠方に出かける折が増えた。今月は函館、夏には屋久島の取材があるが、そのたび同行予定の編集者さんに、「わたしは陸路で参ります。現地の取材場所で集合しましょう」と申し上げている。
「陸路?? 北海道ですよ?」
「京都から朝イチの新幹線に乗れば、東京乗り換えで午後一時過ぎには新函館北斗に着けます。ほら、関西から函館って、飛行機の便数少ないですから。飛行機で向かうのと、到着時間はそんなに変わりません。いやあ、行き先が函館でよかった」
ただ、屋久島行きではこうはいかない。鹿児島まで新幹線を乗り継ぎ、更に船で二時間。始発で出ても時間がかかりすぎるため、前日に鹿児島に入らないと取材予定が狂う。だが、しかたない。なにせわたしは飛行機になじめぬまま、この年まで来てしまったのだから。
飛行機そのものにはロマンを感じるし、空港に行けば空翔(か)ける翼をかっこいいと思う。ただいざ自分が乗るとなると、「あ、今回はちょっと」とつい尻込みしてしまう。
わたしの暮らす京都には空港がなく、隣の大阪まで出ないと飛行機に乗れない。代わりに電車網が便利とあって、わたしは幼少時から陸路にばかり親しんできた。初の空の旅は二十歳過ぎで、飛行機との関係は携帯電話との付き合いより日が浅い。
飛行機に乗れないわけではないので、沖縄や海外にだって出かけられる。ただもし行き先までの陸路があるなら、可能な限りそちらを選びたい。つまりわたしはあまりに電車が身になじみ過ぎているのだ。いわゆる鉄道ファンではないのだけど。
だからごくたまに飛行機を使うと、あまりにあっけない移動にぽかんとする。自分の身の丈に、速度が合っていないようにも感じる。これから少しずつ飛行機を使うことが増えれば、いずれはこの速度にも慣れるのだろうか。きっと便利な日々が待っているのだろうなあと思う半面、それはそれで少し寂しい。=朝日新聞2024年4月24日掲載