かつて住んでいたというアパートの間取り図を、友人がチラシの裏にパパッと書いてくれたことがある。入居時で築八十五年というから相当な古さだが、それよりも、増改築を繰り返した4畳半のワンルームには不釣り合いな、奥行きのある収納スペースが三つもあることが気になった。これほど古くて狭い、共同玄関アパートの住人が、何をそんなに蒐集(しゅうしゅう)して仕舞(しま)い込むというのか。スペースを作ることで、ただでさえ狭い居住スペースがだいぶ圧迫されているが、過去に入居していた誰かにとっては必要だったのだろう。
あの、窓がない子供部屋や、どこからも入れないスペースにも、なんらかの理由があるのだ。『変な家』に登場する三戸の一軒家は、すでに存在しない、売り出し中、記憶のなかの物件で、間取り図だけが手元にある。それらをオカルト専門のフリーライターと建築事務所に勤める設計士が、冗談のような妄想を膨らませ、やがてそれは真実味を帯びていく。その様は名探偵や敏腕刑事が事件の真相を明らかにする過程に似て、それに伴う快感やカタルシスを遥(はる)かに上回る不気味さがまとわりつくのだ。無機質なのに、見れば見るほどそこに人の気配が立ち上る、間取り図というアイテムのせいだろうか。
自分の家を建てるということは、気軽なことではない。人生を賭けるようなことだ。夥(おびただ)しい数の家々には、自分自身や家族を守ろうとする強い思いが、それぞれに宿っている。そこに焦点が合うと、家々のあかりが怖い。それは他者を牽制(けんせい)する狼煙(のろし)かもしれない。
主人公らの妄想を笑い飛ばせないのは、次々と明らかになる、信じ難い事実のせいだけではない。誰もが多かれ少なかれ、自分の家の中にだけ渦巻く空気に覚えがあるからなのかもしれない。=朝日新聞2024年4月27日掲載
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飛鳥新社 770円。56刷170万部。2021年刊の単行本、今年1月刊の文庫版の累計。「『読み出したら止まらない』という読者の声が多く、小学生から80代まで広い世代に支持されている」と担当編集者。