1938年秋、太宰治は甲府盆地と河口湖を結ぶ旧道の御坂(みさか)峠の茶屋(富士河口湖町)に3カ月ほど逗留(とうりゅう)した。『富嶽百景』(1939年/岩波文庫など)はその日々を描いた短編で〈富士には月見草がよく似合う〉という一文で知られる。
とはいえ作品には多様な富士が描かれており、中でも出色なのは峠から見た富士を皮肉った〈まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割(かきわり)だ〉という一文だ。〈どうにも註文(ちゅうもん)どおりの景色で、私は、恥ずかしくてならなかった〉と書く太宰にはやはりひねくれ者の称号がよく似合う。
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右の例のみならず、山梨県の文学は富士山とのかかわりが深い。
太宰は御坂峠滞在中に見合いをした女性(石原美知子)と翌年結婚した。『火の山―山猿記』(1998年/講談社文庫)は2人の間に生まれた津島佑子が甲府の石原家をモデルに描いた長編小説だ。
物語の中心を占めるのは「富士山のスペシャリスト」を自任する地質学者の有森源一郎とマサ夫妻(モデルは作者の祖父母)、プラス7人(2男5女)の子どもたちである。優秀だった兄の小太郎は早世し、末弟の勇太郎は渡米。女学校教師だった三女の笛子は太宰を彷彿(ほうふつ)させる貧乏画家と結婚し、五女の桜子は出征先で音信不通になった婚約者を待ち続ける。噴火の可能性を秘めた富士山が常に身近にある一家はやがて空襲で家を失う。谷崎賞と野間文芸賞を受賞した壮大なドラマである。
富士と聞いて武田百合子『富士日記』(1977年/中公文庫)を思い出す人もいるだろう。高度成長期と重なる1964年から76年まで、著者は夫の武田泰淳や娘の花とともに東京の自宅と富士山麓(さんろく)・鳴沢村の山荘を行き来して暮らした。
その記録である本書には、富士山麓での暮らしぶりがふんだんに織り込まれている。百合子は活動的である。自らハンドルを握って東京と富士を往復し、河口湖町や富士吉田で買い出しをし、時にはスバルラインに足を延ばす。夏は娘と本栖湖や山中湖で泳ぎ、冬はチェーンを巻いて雪道を走る。夫の死後に出版されたこの本で彼女は一躍文学界の寵児(ちょうじ)となった。驚異の日記である。
さて、富士と並んで山梨県を代表する風景といったら、ゆるやかな丘陵地帯に広がる葡萄(ぶどう)畑だろう。林真理子『葡萄が目にしみる』(1984年/角川文庫)は、この風景があってこその青春小説だ。
高校生の乃里子は葡萄農家の娘である。初夏には一家で種なし葡萄をつくる作業に追われ、初秋には都会から観光客が押しよせる町。物語の大半は失恋だったり友情のこじれだったりするものの、桃畑と葡萄畑がモザイク状になった地域を自転車で走る通学シーンだけでも胸キュンで甘酸っぱさがもう全開。
時代は下って21世紀。同じ青春小説でも恋愛色ゼロ、自転車通学をもう一歩先に進めたのがトネ・コーケン『スーパーカブ』(2017年/角川スニーカー文庫)だ。
舞台は南アルプスの麓(ふもと)に位置する北杜市。両親も友達もいない小熊(こぐま)は奨学金で地味に暮らす高校生だ。彼女の人生はしかし、中古のホンダ・スーパーカブを1万円で手に入れた日から劇的に変わるのだ。原付き免許を取ってバイク通学を始め、ホンダMD90(郵政カブ)に乗る同級生の礼子と親しくなり、行動半径は県内から県外へと大きく広がる。国道137号を南下し、峠のトンネルを抜けて富士の東側を走る小熊。後にアニメ化されたのも納得できる。
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県出身の作家では、『富士日記』にもたびたび登場する深沢七郎をあげておきたい。『楢山節考』より地元色が濃いのは『笛吹川』(1958年/講談社文芸文庫)だ。
舞台は今は温泉地で知られる戦国時代の石和(いさわ)(現笛吹市)。〈笛吹橋の石和側の袂(たもと)に、ギッチョン籠と呼ばれているのが半蔵の家だった〉で始まる小説は武田家3代(信虎・信玄・勝頼)の犠牲になった農民一家6代の生死を無慈悲に描き出す。合戦のたびに「甲府のお屋形様」のもとに駆け付けていた若い衆はいくさで死んだ。主の逆鱗(げきりん)に触れれば誰もが殺された。武将中心史観を一撃する異色の反戦小説。国破れて富士あり。山梨の文学の懐の深さである。=朝日新聞2024年5月4日掲載