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「文画双絶」書評 徳と愚と 併せ持つリアリスト

評者: 椹木野衣 / 朝⽇新聞掲載:2024年05月11日
文画双絶 畸人水島爾保布の生涯 著者:前田 恭二 出版社:白水社 ジャンル:ジャンル別

ISBN: 9784560093641
発売⽇: 2024/02/02
サイズ: 19.4×5.4cm/800p

「文画双絶」 [著]前田恭二

 水島爾保布は知らずとも、彼を「文画双絶」と呼んだのが内田魯庵(ろあん)なら無碍(むげ)にはできまい。実は「文」は児童文学、「画」は漫画におよび到底「二刀流」に収まらなかった。そんな人物の生涯を詳細に追えば、焦点はぼけてしまいかねない。
 そこで持ち出されるのが「愚」の一言である。単なる愚か者ではない。著者が爾保布を「愚」の構えで貫くのは谷崎潤一郎の出世作「刺青(しせい)」の書き出し――其(そ)れはまだ人々が「愚」と云(い)ふ貴い徳を持つて居て、世の中が今のやうに激しく軋(きし)み合はない時分であつた――に由来する。実際、爾保布が今日わずかに口に上るのも、本書の表紙に使われた谷崎『人魚の嘆き・魔術師』の挿画による。
 その内実は「諧謔(かいぎゃく)・反骨・郷愁」にあるが、爾保布は「市井のリアリスト」でもあったから「活動家でもないのに、生涯二度、風俗壊乱ならぬ安寧秩序紊乱(ぶんらん)で咎(とが)められ」発禁は関東大震災朝鮮人殺傷事件の関連を含め2度に及ぶ。これも「二刀双絶」と呼ぶべきか。
 だが、谷崎の言う通り、その核心には「徳」があり、この徳が四方八方に開いて時代の細部まで毛細血管のように張り巡らされたのが爾保布ならではの「愚かさ」の具現であった。この点でわたしは昭和・戦後「一代の畸人」赤瀬川原平を想起する。赤瀬川も「文画双絶」で、そのリアリズムと「愚」のゆえ「模型千円札」作品で法廷に立ち有罪判決を受けたのだった。かれらのような徳を正当に伝えることに難を感じる日本の近代、美術とはいったいなんなのか。著者が爾保布を追う根源には、そのような自問があったに違いない。
 すると、著者の筆致もいつしか「愚かさの方へ」と引き寄せられていく。本書が飛び抜けて高価で大部なのも「愚」の顕現かもしれない。愚行と言えば全25章におよぶ本書の見出しはすべて回文だ。まさかと思ったらぜひ図書館などで手にとって確かめてほしい。
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まえだ・きょうじ 1964年生まれ。読売新聞文化部長などを経て、武蔵野美術大教授。『やさしく読み解く日本絵画』など。