作詞家・森浩美さんの数ある曲の中で、私はブラックビスケッツの「タイミング」が好きである。間が悪くたっていい、それもあなたの“タイミング”なんだよといわれると、どうしても人と同じようにうまくできない自分の気持ちがフワッと軽くなるのだ。
若者の恋愛を作詞する印象がある森さんの小説は、主に完璧ではない、どこかに言い訳を抱える家族がテーマの短編集だ。中でも児童虐待防止の活動をしている私に響いたのは「ホタルの熱」だ。夫が失踪し、お金もなく、追い詰められた母と息子が出てくる。息子は体が弱く、この日も旅の途中で発熱してしまった。
「ママ、ごめんね」と繰り返す息子。本来子どもは熱を出したら自由に泣いて甘えるものだし、そうあって欲しい。それなのに「ごめんね」と繰り返す理由は、自分が熱を出したせいで困る親の姿を見続けたからにほかならない。母親は「ママもごめんね」と懸命に病院を探し、看病をするが、彼女は子どもと心中するつもりで旅に出ている最中なのだ。この矛盾にリアリティーが詰まっている。
心中は子どもにとっては虐待死だ。こう言うと「冷たい」と言われる。けれども、たくさんの虐待死の裏には、子どもを愛しながらもどうにも身動きできず、社会に追い詰められた親の姿がある。施設に預ければ、生活保護を受ければと思うが、追い詰められるとそうした選択肢が見えないくらい視野が狭くなる。
そして、たどりついた民宿で、女将(おかみ)さんと出会う。追い詰められた人を責めずにおせっかいの毛布であっためてくれる、そんな女将さんだ。
この物語は決してひとごとではない。子育て中は誰もが追い詰められる瞬間がある。そんな時、この物語がきっと心をフワッと軽くしてくれるように思う。=朝日新聞2024年5月11日掲載
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双葉文庫・660円。31万9千部。06年刊の単行本、08年刊の文庫の累計。単行本は1万部だが、文庫化後、書店員の手書きポップなどで人気がでた。「著者がヒット曲を多数作詞していることにも驚きの声が聞かれる」と担当編集者。