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「失敗のクィアアート」書評 現代社会の生産性神話にノーを

評者: 小澤英実 / 朝⽇新聞掲載:2024年06月08日
失敗のクィアアート 反乱するアニメーション 著者:ジャック・ハルバースタム 出版社:岩波書店 ジャンル:哲学・思想

ISBN: 9784000616317
発売⽇: 2024/02/29
サイズ: 2.5×18.8cm/304p

「失敗のクィアアート」 [著]ジャック・ハルバースタム

 成功が富に結びつき、富が力に結びつく資本主義社会では、失敗とは負け、連敗は命の危機すら招く。だが、人間の価値を「生産性」で見積もるような土俵の上で、再生産に携わらない人々はどう戦い、生き延びることができるのか。著者はクィアな人々の持ち技である「失敗」を生存戦略に据える。それは、新自由主義の競争に、能力主義に、異性愛規範と家父長制の呪縛に行き詰まる誰もに活路となる技だ。
 ここでいう失敗は「成功の母」とは違う。ベケットの「またやれ。また失敗しろ。前よりうまく失敗しろ」という箴言(しんげん)も、「そうすればいつか成功する」という意味ではなく、失敗を研ぎ澄ますことで顕然するものに賭けろということではないか。進歩や上昇、成長やポジティブ思考、規律や勝利の神話にノーを言う。受動的、反目的論的、非道徳的に、何者にもならないでいる。例えば人が「女になる」と、その途端システムに絡め取られてしまうからだ。
 アクロバティックで危険な賭けだ。勝者がより勝ちやすい世界になるだけでは? だが子どものころから私たちは、ダークヒーローや道化や敗者、ダメ人間たちがみせる自由で開放的な姿に魅せられてきたはずだ。
 本書は失敗の潜勢力を、オノ・ヨーコのパフォーマンスなどの現代芸術や、『ファインディング・ニモ』などピクサーアニメ映画のような「低俗な」文化を事例に例証する。一方、ナチスによる同性愛迫害の歴史に比して隠されがちな、同性愛とファシズムの結びつきという当事者にとっての「不都合な真実」にも切り込んでいく。
 クィア理論を牽引(けんいん)してきた第一人者の著作の初邦訳。ラジカルでアナーキー、反人間主義ですらあるが、近年問われる「脱成長」の実践の書にも読める。本書の事例から、夢想せずにはいられない。オリンピックが勝者ではなく4位を競う大会だったら、世界は今とどう違っていただろう。
    ◇
Jack Halberstam 1961年生まれ。米コロンビア大教授(クィア哲学、トランス理論)。