第2次世界大戦が終わった1945年、兵庫県の地主の家に生まれた作家・車谷長吉さん。戦後すぐの農地改革で、一家は田んぼの大部分を失ったうえ、車谷さん自身は鼻の呼吸ができない「遺伝性蓄膿症」をわずらい、絶望を抱えます。鴎外や漱石に憧れ、慶應義塾大学の文学部へ進んだのち、いちどは公募の文学賞の候補となるも、筆に詰まり、夢破れ故郷へ。旅館の下足番として働きながら、料理の専門学校に通いました。
30歳からの8年間、車谷さんは、下足番や料理人として働き、関西各地で過酷な労働環境の「タコ部屋」を転々とする日々を送りました。それでも執筆へのともしびを絶やさず、47歳の時、最後の一作という思いで書いた「鹽壺(しおつぼ)の匙(さじ)」を収録した同題の単行本で三島賞を受賞。1998年、初の長編『赤目四十八瀧心中未遂』によって直木賞作家になりました。挫折や煩悩の苦しみをテーマに私小説を書きつつ、「強迫神経症」や「脳梗塞(こうそく)」で、ふさぎ込むことも多かったといいます。2015年、「誤嚥(ごえん)性窒息」で、その波乱の生涯は唐突に閉じられました。奥さんがダイコンと一緒に煮るつもりだったイカを、喉に詰まらせてしまったのです。
この本は、そんな車谷さんが2009年4月~2012年3月の3年間にわたり、朝日新聞土曜別刷り「be」の連載「悩みのるつぼ」に寄せられた読者からの人生相談に回答した記事を再構成しています。
「運、不運で人生が決まるの?」
「人の不幸を望んでしまいます」
「『人生の目標』の立て方は?」
老若男女・あらゆる世代の相談者からの問いに対し、車谷さんは、令和の現代ではちょっと考えられないような筆致で、バサバサと斬りつけるように回答を綴ります。
たとえば「運、不運で人生が決まるの?」という、22歳の大学4年生からの相談。
金融危機で就職活動をしても内定が出ず、「生まれた時代や環境によって、同じ能力の人間でも一流企業に入れたり、もっと下の企業にも入れなかったりする運、不運には涙が出るほどです」と訴えます。
それに対し、車谷さんは、数々のご自身の不運を延々と書き連ねた上で、こう答えます。
「私も弟も、自分の不運を嘆いたことは一度もありません。嘆くというのは、虫のいい考えです。考えが甘いのです。覚悟がないのです。この世の苦しみを知ったところから真(まこと)の人生は始まるのです」
歯に衣着せない物言いに息を呑みますが、車谷さん自身が抱えてきた不運に関し、完全に割り切って認めていることが文章から伝わってきます。だからこそ、相談者の思いに、やみくもに寄り添ったり、やたら応援したりすることをせず、経験から得た理論のもと意見を提示しているのです。回答で彼はこう続けます。
「真の人生を知らずに生を終えてしまう人は、醜(みにく)い人です。己(おの)れの不運を知った人だけが、美しく生きています。/私は己れの幸運の上にふんぞり返って生きている人を、たくさん知っています。そういう人を羨(うらや)ましいと思ったことは一度もありません。己れの不運を知ることは、ありがたいことです」
相談者の真横で肩を組むわけでもない、後ろから背中を押すわけでもない。一定の距離を置きながら、正面からまっすぐ答えを投げつける。余計な感情が載っていないぶん、却ってストレートに読者の心に入ってくる気がします。
この「悩みのるつぼ」という連載はとても人気で、現在も続いています。車谷さんの回答は、近年では社会学者の上野千鶴子さんに似た印象を持ちます。相談者とは一定の距離を保ちつつ「これが私の思う考えです」と提示していく。上野さんの回答は、ご自身の専門分野であるジェンダーという部分に立脚した印象が強いいっぽう、車谷さんのそれは「人間そのもの」「人とは」「人の生き方とは」という原点から述べている気がします。
「人の不幸を望んでしまいます」という46歳・主婦の「心を入れ替えたいのですが、どういった方法があるのでしょうか」という質問に、車谷さんは開口一番、「あなたのご相談を読ませていただいて、まず思ったのは、この人は一生報われないな、ということでした」……。びっくりしますよね。衝撃的な回答の書き出しです。現在のコンプラじゃ、とても考えられない。でも、読み進めていくと、「まっとうな人生を歩むには、人生の不幸を乗り越えてこそ」「人間はみな不完全であり、この不完全であることを覚悟すること」など、車谷さんならではの人生の指針がしっかり示されていることがわかります。
「底辺」を味わった彼だからこそ書ける答え。自身のこんな赤裸々な告白が、回答の中に盛り込まれ、ビックリさせられます。
「三十代の八年間は月給二万円で、料理場の下働きをしていました」
「人の嫁はんに次々に誘われ、姦通(かんつう)事件を起こし、人生とは何か、金とは何か、ということがよくよくわかりました」
「鼻の穴から膿が流れ出て来るので、物心ついた時から、多くの人に『お前は、汚いッ』と言われ続けてきました。けれでも汚いのは事実であるので、こんな病人のところへ嫁いで来てくれた、うちの嫁はんには深く感謝しております」
他人の相談への回答に、自分の人生を盛り込んでいくスタイル。他では読んだことのない人生相談です。車谷さんは、48歳で初めて結婚をしました。お相手は、詩人・エッセイストとして活躍する高橋順子さん。1歳年上の妻との暮らしや、会話のやり取りも、明け透けに人生相談の回答の中で綴っています。
おそらく意図的なのでしょうが、本の後半に載っている相談者の年齢が10、20代ばかりになっているのも、この本の読みどころだと思います。中高年の相談者への回答と比べ、車谷さんの姿勢はどう変わっていくのか。「人生の目標」の立て方についての世代間の考えの違いとは。いろいろと考えさせられます。
僕自身、50代を迎え、「自分自身の人生」を考えます。この先、どう仕事を続けていくのか、自分はどう生き、家族に対してどう接するのか。「個」だけ考えるのはあまりにも寂しいし、「家族」のことばかり考えるのも、それはそれで自分の人生に無責任かもしれません。「仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる(人を思いやる気持ちは大切だが、度が過ぎると相手のためにならない。正しいと信じることをかたくなに守り通そうとすると、融通が効かなくなる)」という、伊達政宗の言葉を、この本を読みながら思い起こします。
車谷さんは、ご実家が没落し、自身も疾病に悩み、苦悩のなかそれを包摂する少年時代を送りました。そして上京し、名門大学を出たのに、どんどん破滅的な方向に向かってしまう半生を過ごしました。身体的にも、精神的にも、いろんな物を捨てていく。捨てて、捨てて、残ったものの答えが、この本に書かれている気がします。決して耽美的でも退廃的でもない、厭世的でもペシミストでもない。車谷さん自身が信仰しておられる仏教の、「諦念」という言葉が浮かび上がってきます。周囲との距離の取り方や、「一人の人間としてのスタンス」について悩む方、手に取ってみてはいかがでしょうか。
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車谷さんを支えた妻・高橋順子さんが、車谷さんとの日々を描いた一冊『夫・車谷長吉』(文春文庫)。抜群に面白いです。彼は結婚前、11通もの恋文の絵手紙を唐突に、見ず知らずの高橋さんに送り続けたそうです。独り言のような内容に、返事の書きようもなかったそうですが、それから4年後、ふたりは結ばれました。人生相談の回答で見せる車谷さんの「自分語りのスタンス」と、隣に寄り添ったからこそ見えた「車谷さん像」。それが絶妙にズレています。それが何とも愛らしいのです。
(構成・加賀直樹)