1. HOME
  2. ニュース
  3. 「私が見た庵主さま 瀬戸内寂聴見聞録」 被災地での言葉と涙「岩手の秘書」がつづる

「私が見た庵主さま 瀬戸内寂聴見聞録」 被災地での言葉と涙「岩手の秘書」がつづる

瀬戸内寂聴さんとの思い出を語る佐々木勝宏さん=盛岡市

 3年前に亡くなった瀬戸内寂聴さんの「岩手の秘書」と呼ばれた、岩手県立博物館元学芸員、佐々木勝宏さん(62)が思い出をつづった「私が見た庵主(あんじゅ)さま 瀬戸内寂聴見聞録」(山口北州印刷)を出版した。

 佐々木さんは2008年に同館で開催した瀬戸内寂聴展を担当した。仏教や「源氏物語」に学識が深い佐々木さんを瀬戸内さんは気に入り、以来、瀬戸内さんが住職を務めていた岩手県二戸市の天台寺で青空説法をする時など、岩手で案内役をして、足腰が弱った後は手を引いた。

 佐々木さんは東日本大震災で両親を亡くした。「被災者を慰めてほしい」と電話や手紙で頼むと、瀬戸内さんは何度も被災地を訪れてくれた。当時は、長く秘書をしていた長尾玲子さんが辞め、瀬尾まなほさんが働き始める前。佐々木さんが秘書の役割を担い、密着して過ごす時間が多くなった。本作にはそんな佐々木さんしか知らない瀬戸内さんの言葉や行動が記されている。

 陸前高田市の慰問では、10人の被災者に15分ずつ話を聞いた。伴侶を亡くした人には「年をとったって、恋をしたっていいじゃない。生きているんだもの」。仮設住宅を訪問すると「ここじゃセックスもできないわよね」と気さくに話しかけた。

 津波でぐしゃぐしゃになった建物の前に咲くコスモスを見て、「こんな荒れ果て、空襲の後よりひどい状況でも花は咲くのね。供養を続けて生き抜けば花も咲くのよね」と語り、佐々木さんに「信じて頑張りましょ」と声をかけ、励ました。

 京都の五山送り火で、津波になぎ倒された高田松原の松を薪(まき)として燃やす計画が放射性物質の不安から取りやめになったことがあった。「同じ日本人なのに、私は普段京都に住んでいるのに申し訳ない」と涙を流して謝っていた。

 瀬戸内さんと交流があった作家らとのエピソードも数多く記されている。ノーベル文学賞を受賞した川端康成のお祝いに駆け付けると、三島由紀夫が先に鎌倉の川端邸へ来ていた。ワインを渡して門を出た三島が全身で悔しさを表すのを目の当たりにしたという。

 瀬戸内さんは「生きてる間だけよ。死んでしまっては読んでもらえなくなって、忘れられてしまう」とよく話していた。元秘書の長尾さんからも勧められ、「みなさんの知らない寂聴さんを書くことで、作品に興味を持ってもらう糸口になれば」と執筆を思い立った。

 校正作業を終えた後、瀬戸内さんから届いた手紙が自宅で見つかった。震災直後に受け取ったが、書斎の奥深くにしまい込んでいた。佐々木さんを気遣う言葉が原稿用紙3枚につづられている。増刷すれば、写真入りで載せることも検討している。(東野真和)=朝日新聞2024年7月3日掲載