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福島編 翻弄され生き抜く女性の姿 文芸評論家・斎藤美奈子

戊辰戦争の舞台となった鶴ケ城。現在は赤瓦の名城として親しまれている=2023年、福島県会津若松市

 会津城下を舞台にした戊辰戦争から福島第一原発の事故まで、福島県は中央の政治に絶えず翻弄(ほんろう)されてきた。そんな歴史も反映してか、福島にはキレイごとを排した、ことに女性作家の傑出した作品が多い。

 まず宮本百合子である。百合子の祖父・中條(なかじょう)政恒は現在の郡山市の基礎となる安積(あさか)開拓や安積疏水(そすい)事業に尽力した人物で、東京で暮らす百合子も夏は祖母が住む旧桑野村(現郡山市)ですごした。『貧しき人々の群』(1916年/新日本出版社など)はその体験を踏まえた百合子17歳のデビュー作で、入植者の極貧の生活と彼らを前にした揺れる心を描いている。自らの虚栄心に気づいた彼女に芽生えたのは、いわば階級社会への眼差(まなざ)しである。彼女の文学の原点は福島にあったのだ。

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 さらに特筆すべきは吉野せいである。宮本百合子と同じ1899年生まれ。天才少女と騒がれた百合子と裏腹に、彼女が『洟(はな)をたらした神』(1974年/中公文庫)で世に出たのは75歳の時だった。

 小名浜(現いわき市)に生まれ、文学を志すも21歳で農民詩人の三野混沌(こんとん)(本名吉野義也)と結婚。7人の子を産み、開墾地で農婦の生活を送ってきた彼女が再び筆をとったのは半世紀後、夫の死後だった。大正末から戦中戦後の体験を綴(つづ)った清冽(せいれつ)な作品は文壇を驚嘆させたが、逆にいえば夫が死ぬまで彼女は自らの才を封印していたのである。

 旧油井村(現二本松市)の裕福な造り酒屋に生まれ、高村光太郎の妻として『智恵子抄』に名をとどめる旧姓長沼智恵子も夫の犠牲になった女性という印象が拭えない。

 津村節子智恵子飛ぶ』(1997年/講談社文庫)はそんな智恵子の生涯を万感の思いを込めて描いている。福島の女学校から日本女子大学校に進み、洋画家を目指して太平洋画会研究所の研究生となった智恵子だったが、事実婚後の生活は困窮をきわめ、父亡き後、実家は破綻(はたん)。家族のごたごたも重なって40代で心を病む。「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」と詩に書いた光太郎は妻の焦燥と失意に気づかなかった。故郷に慰めを求めた智恵子の姿は鬼気迫るものがある。

 白虎隊の悲劇や新島八重ら女性たちの気丈な戦いぶりが「美談」として語られてきた戊辰戦争も、領民にとっては迷惑のきわみだった。

 皆川博子会津恋(こ)い鷹(たか)』(1986年/講談社文庫)は農民の出の女性の目で会津戦争の暗部を描いた時代小説である。幕末、会津藩の肝煎(きもいり)(庄屋)の娘に生まれたさよは幼い頃に雛(ひな)を拾って鷹に魅了され、15歳で最下級武士である鷹匠の長江周吾に嫁いだ。だが新政府軍との戦が始まると、夫もさよの兄たちも駆り出され、長江家にも鷹を殺せとの命が下る。城の運命には殉じない、他者の命には従わないと決めたさよは考える。誰も彼もが〈あのいくさで、心のどこかがこわれたのだ〉。

 李相日監督の映画を小説化した、白石まみフラガール』(2006年/メディアファクトリー)も、背後にあるのは石炭から石油への国のエネルギー政策の転換だった。

 1965年、各地で炭鉱の閉鎖が続く中、合理化を迫られた磐城(現いわき)市の常磐炭鉱は坑内に湧く温泉の活用と余剰人員の雇用先としてハワイアンセンターを設立。友人に誘われた紀美子はダンサーに応募する。〈オレ、母ちゃんと同じ生き方、しだくねえ。これからは女も堂々と働ける時代だっぺよ〉。国と家の犠牲になった女たちの声を代弁したかのような啖呵(たんか)である。

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 そして震災と原発事故だ。3・11を題材にした小説の中でも被災者目線で描かれた廣木隆一彼女の人生は間違いじゃない』(2015年/河出文庫)は出色だった。

 震災後、県内の仮設住宅で父と暮らすみゆきは役所勤めをしながら月に4回高速バスで上京し、渋谷のデリヘルで働いている。自暴自棄ではない。これが彼女の戦い方なのだ。車窓には送電線。〈フクシマで電気を作り東京へと向かう。すべては東京中心。東京はいつだって地方の犠牲の上に成り立っている〉。それを自覚する女性たちの系譜の上にみゆきも乗っている。周縁から見える景色にこそ文学は宿るのだ。=朝日新聞2024年7月6日掲載