1992年にデビューしたロックバンド「サニーデイ・サービス」。ボーカル・ギターの曽我部恵一さんを中心として、ネオ・アコースティックな「渋谷系」の中でも懐かしい日本語ロックを彷彿とさせる都会的なサウンドで人気を博しています。ベース担当の田中貴くんとは、渋谷の洋服屋さんの紹介で友達になり、無類のラーメン好きの彼と「ラーメン仲間」として10年以上の付き合いがあるのですが、彼らの楽曲をじっくり聴くようになったのは、じつはわりと最近になってから。たまたま家で作業をしながらYouTubeを流していたとき、「家を出ることの難しさ」(2022年発表、2023年MV公開)という彼らの楽曲が流れてきて心を動かされたのです。
ライブに行ったり、過去の楽曲を聴いたりするようになって、曽我部さんの紡ぐ詩の世界観に惚れこんでいきました。同時に、昔、渋谷で遊んでいながら何となく距離を置いていた「渋谷系」の音楽に、年を重ねた今になって出合うことができ、幸せに感じています。じつはちょっと影響も受けています。というのも、曽我部さんがYouTubeの対談動画で作家・車谷長吉さんについて話しておられるのを観て興味を持ったのが、車谷さんの著書『人生の救い』を前回の「谷原書店」で紹介したきっかけでした。
曽我部さんが2023年に刊行した、このエッセイでは、長女のハルちゃん、次女・うみちゃん、長男・淳くん、柴犬コハルちゃんとの日々や、亡きお父さま、敬虔なクリスチャンのお母さま、曽我部さんが暮らす下北沢の日常、そして恋愛や失恋のことなどが綴られています。奥さまが出ていってしまった後の家族の絆を結び直すかのように、今、曽我部さんが伝えたいと思うことを隠さず、飾らず、ありのまま提示している。嘘をつかず、本音で語る。それがまっすぐ伝わってくるのです。
僕も曽我部さんと同年代で、20歳前後からずっと役者・司会者、ナレーション業という道を歩んできました。年を重ねるにつれ自分の中で意識の変化が生まれているのを感じます。だからでしょうか、迷ったり、悩んだりしながら人生そのものを書きつける曽我部さんの熱い姿勢に、強いシンパシーを感じます。
特に好きなのは、この言葉です。
ぼくには感動させる力はない。その人の中に感動する力があったのだ。その人の中に届くよう、ぼくは全力でやるしかないのだ。(本書より)
このスピリットで年間100ステージも舞台に立つ。真摯な音楽をつくる人だと思います。曽我部さん自身も書いている通り、デビュー当時の「サニーデイ」の楽曲は、ただただオシャレ。「このままだと誰にも聴かれずに終わっていく、誰かの心に届く曲を作らないと」と危惧を抱いた、と記されています。
自分自身を見つめたとき、別に洗練された人間ではなかった。曽我部さんはそう思い直し、遠藤賢司、吉田拓郎、はっぴぃえんど、高田渡といった、70年代の音楽を片っぱしから聴いたそうです。20年以上も前の音楽から「自分も素直に歌いたい」という発見を得たうえ、実家で見つけた梶井基次郎の『檸檬』を読むうち、『いつもだれかに』(1995年)の歌詞「街の角 雲間から目映い光が 照らしてるきみの微笑みよ」という言葉の束が浮かんできたそうです。やっと手ごたえを感じるフレーズが書けるようになった。僕はこれでいける、そう実感したそうです。その瞬間前後の、彼我の差。音楽性のコントラストたるや。あまりにも鮮やかです。
だから、若者よりもむしろ、大人たちの心を揺さぶるのでしょう。もがいて、間違って、迷いながら音楽をつくり出していく。「東京」(1996年)以降、聴いているだけでちゃんと絵が浮かんでくる。ストーリーが頭の中で勝手に走り出すのです。サニーデイ・サービス最新作「DOKI DOKI」(2022年)はことさら、「伝えよう」とする思いが旋律に具現化されていると思います。
エッセイで綴られる、3人の子どもとの距離感がまた絶妙です。三者三様、まったく違う。長女のハルちゃんは、大学生になったのにコロナ禍で通えずに苦しみ、それでも光射すほうへと姿勢を正し、海外留学する道を自ら探していく。すくすく、たくましく育っています。次女うみちゃんはロック好き。あんまり語りたがらない子だけれど、大好きなシンガーソングライターの大森靖子さんが一緒に出演するからといって、曽我部さんのライブに行きたがり、サインをもらって緊張しながら嬉しがっている。なんとも愛らしいのです。
映画好きな息子の淳くんを連れて、映画館の前まで一緒に行き、曽我部さんは中に入らず淳くんを一人だけで鑑賞させ、自分は待っている――そんな素敵な場面もあります。スクリーンの真ん前に一人で座って、「スパイダーマン」を鑑賞する淳くんのわくわく感、こちらにまで伝わってきます。わが家の子どもたちとの距離感とも、ちょっと近いかもしれません。親への葛藤を抱えているかもしれない。いないかもしれない。それはわかりません。でも、親としては、いずれにしたって、ただ見守ることしかできない。遠いような近いような、絶妙の距離感。
目がだんだん見えなくなってくるお父さん、敬虔なクリスチャンだったお母さんの話にも触れています。自分が幼い頃に見ていた、父親、母親をある瞬間、追い越してしまう瞬間の一抹の寂しさ。お父さんが亡くなるのを見送る場面が、印象に残ります。
父が死んではじめて、ああ自分も死ぬんだなあと実感した。それまで言ってきた「人間だれしも死ぬのだから」は嘘だったと思う。だって、自分の死を実感していなかったのだから。(本書より)
俺も死ぬ、そう実感した曽我部さんは、続いてこう綴ります。
子どもに対する親のいちばんの仕事は、死を見せることなんじゃないか、とぼくは思った。(本書より)
お父様が見せた「生きざま」は、文句も言わず、黙々と一つひとつ真面目に向き合い続けることでした。思慮深く、慎ましやかに、真面目にコツコツ積み重ねていく、立派な背中です。そして医師でもあるお母様は、「自分の生き方をすればいい」と声をかけてくれたそうです。「恵一、歌うときは神さまに歌うつもりで歌いなさい」。その神様というのが、イエス・キリストという意味なのか、丁寧に、心をこめて歌う、という意味なのかは誰にもわかりません。でも、曽我部さんご自身が、お母さんととても良好な関係を築いておられることが伝わってきます。
デビュー当初はとんがって、こだわって、虚勢を張って生きていたのが、今は何でも受け入れるようになっている。「ああ、いいよ。OK」って、柔軟に、肩ひじ張らずに受け入れていく。僕自身はまだそのレベルには到達できません。余計なエゴや、変なプライドがまだまだ消えません。でも同時に、それを完全に失ってしまったら終わりかもな、と思う自分がいます。肩ひじ張らずに、でも、全力で。経験を積んだからこその全力を出す曽我部さんを、これからも追っていこうと思います。
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このエッセイの中で曽我部さんが紹介している、北山耕平さんの『自然のレッスン』(筑摩書房)を読みたくなりました。「山奥で暮らさなくても、自然な生き方はできるのでは」との提案がなされているそうです。北山さんは雑誌「宝島」「ポパイ」の名編集者で、暮らしや思考、体を良くするためのアイディアが並んでいるとのこと。曽我部さんは下北沢の「ヴィレッジ・ヴァンガード」でこの本に出合ったそうです。僕もこの本を手にして、曽我部さんの営むレコード店・兼カフェバーに行きたくなりました。(構成・加賀直樹)